また、雨期がやってきました。
去年の西日本豪雨で5人が亡くなった野村町で、被災直後から夕方になると、ある被災家屋の土間に、ご近所を中心に顔見知りが集まり、一緒に食事をしながら復興について話し合い、支え合った人々がいます。
その中心にいたのが、奥野速人さん(45)。
野村町の中学校を卒業後、地元を離れ、28年ぶりに生家に帰ってバーを始めた矢先に被災しました。
奥野さんは「もともとコミュニティが無くても、被災をきっかけに共に汗をかく中で、復興への絆は生まれる」と断言します。
復興とコミュニティの関係の1つの例を取材しました。
◆通りに面した「土間」という好立地
助け合いの場になったのは、地下1階、地上2階建ての奥野さんの自宅の土間(広さ12畳ほど)です。
西日本豪雨で地上1階の天井まで水に浸かり、土壁はボロボロに、屋内は土砂で埋まりました。
奥野さんは2年前に野村町に帰ってから地下1階でバーを経営していて、水に浸かった約200本の酒類を「捨てるのももったいないし、自宅の土間で元気づけに、みんなにタダで飲んでもらおう」と思ったのが、集まりのきっかけでした。
土足で気軽に入れる土間は便利で、ちょっとした休憩所の役割も果たしました。
◆土間の無料バーが”コミュニティ広場”に
復興作業を終えた被災者が、1日の汚れを自衛隊が用意した風呂で落とした午後5時ごろ、奥野さん宅の土間に1人、2人と集まってきました。
ご近所や顔見知りが10人程度集まりますが、顔見知りの知り合い・・という人もいて、面識のない被災者も加わることもあったといいます。
持ち寄った夕食を食べたり、酒を飲んでワイワイガヤガヤしたり、その日の作業の進捗や翌日の予定を話し合ったりしました。
そして、1日の疲れを癒し、情報交換して明日への活力を蓄えて、公民館や自宅に帰って寝ます。
◆28年ぶりの故郷で”疎外感”
奥野さんは野村町を一旦出て、2年前に帰って来たばかりで、それまで、どこか”居づらさ”を感じていたといいます。
しかし、「被災をきっかけに地域の人と共に汗をかく中で、地元との絆を取り戻したような気がする」と話します。
◆被災後の「片づけの手順」、消毒まで早くて5日
奥野さんによると、まず、復興へ向けての一歩は、家を消毒するまでの「下準備」から始まるといます。
①畳を家の外に出す
②大型家電(テレビ・冷蔵庫など)を家の外に出す
③掃除と小物の整理(グラスなど)
④泥を飛ばす洗浄(大量の真水が必要)
ここまでに大体、早くて5日。状況が整うと役場に連絡し、消毒を行います。
◆トラブルが多いのは被災初日
ところが、畳にせよ、大型家電にせよ、1人はもちろん家族でも運び出すのは無理で、どうしてもみんなと協力しなければなりません。
そこでトラブルになるのが”誰の家から順番に片づけるか?”という問題です。
”自分の家から・・”と思うのは人情。奥野さんによると、どんなにコミュニティがしっかりした地域でも、「もめる」といいます。
◆順番は「端から」
うまくいったのは、意外にも「端から」という順番でした。
いつかはみんなの協力で、自分の家も綺麗に片付く・・という”ルールに対する信頼”が生まれれば、あとは大丈夫だといいます。
奥野さんの地域の場合、通りに面した、大体8軒を1つのグループとして、端から順番にきょうは畳の日、あすは泥出しの日と1日のテーマを決めて片づけに取り組みました。
◆リーダーの条件
では、どこから片づけるか、何に優先して取り組むかといった決定を誰が下すのでしょうか?
奥野さんは経験から、大きく2つの条件を挙げました。
1つは、自ら動くことが出来ること。
例えば、町内会長といった役職に就いていても、高齢者であったり、何らかの理由で体が元気でなければ、リーダーシップをみんなに認められないといいます。
2つ目は、自身が被災者であること。
例えば、役所の人であったり、ボランティアはリーダーにはなれないといいます。
◆夜の土間で生まれたコミュニティ
奥野さんは「田舎の人は地元を一旦、離れた人間を他人扱いするところがある。しかし、被災をきっかけに、それまで付き合いがなかった人とも仲良くなれ、復興作業を通して絆が深まった」と話します。
そして、みんなが自分を認めてくれ始めた大きなきっかけは、「自分の家の片づけより先に、別の家を優先させる提案をしたことだった」と振り返ります。
「コミュニティがない地域でも、復興は必ず出来る」と奥野さんは断言します。
その奥野さん本人が、被災後、自宅の土間でコミュニティを作り上げていたことに、気付いていないのかもしれません。