5月31日、日本テレビ系列の報道局長会の視察で、高松から高速船で約30分、瀬戸内に浮かぶ小さな島、豊島(てしま)を訪れました。
島民は現在、800人ほど、香川県沖の12の島で開催されている「瀬戸内国際芸術祭」の舞台の1つです。
◆自然そのものが作品?驚きの美術館
どの作品も豊島の自然に溶け込んだ、心に残る作品ばかりですが、私の芸術観を揺るがす1つの作品に出合いました。
写真の『豊島美術館』です。
コンクリート造りの低い円形の建物には柱が無く、天井に2カ所、空が見える大きな穴が開いています。
それだけ・・・。いわゆる作品というものが無いのです。
館内は撮影禁止なので、あえて言葉で説明すると、「静寂」と時折、聞こえる「鳥のさえずり」、そして、常に形を変える「水滴」や天井から入る「光」、さらに心地よくゆらぐ「風」が作品なのです。(もちろん、訪れた人それぞれに感じ方があると思いますが・・・)
こんな作品、初めて見ました。というか、これは作品なんでしょうか?
そうした感動に加え、私には、この作品に大きな存在理由があるように感じました。
実は、豊島には特別な歴史があるのです。
◆国内最大規模の産廃不法投棄の歴史
みなさんは国内最大級の産業廃棄物不法投棄事件「豊島問題」をご存知でしょうか?
豊島には、島民が主に1980年代から90年代の「闘争」を通じて、県に誤りを認めさせ、国をも動かした”住民運動のシンボル”と呼べる歴史があります。
◆不法投棄現場の今
一般の人は入ることが出来ませんが、豊島美術館から車で20分ほど離れた場所に、産廃不法投棄の事件現場があります。
確認された廃棄物の量は約91万トン、最終的には一旦、隣の直島(こちらも瀬戸内国際芸術祭の島として有名)に運び出され、廃棄物の焼却、溶融による無害化処理が行われました。
しかし、今も豊島の現場の敷地では、新たに発見された産廃の処理や、地下水の浄化作業が続いています。
◆記憶を消さない。受け継ぎ、”乗り越える”
その敷地の中にポツンと古びた2階建ての建物が残っています。
逮捕された産廃業者が当時、事務所として使っていた建物です。
「豊島のこころ、資料館」と書かれた看板のかかる建物は、まさに住民運動の記憶を消すまいと、手作りで作られた資料館です。
◆「お金も能力もない。あるのは命だけ」
住民運動を支えた1人の安岐正三さんによると、「カラスの鳴かない日はあっても、黒い煙(産廃の野焼き)の立たない日はなかった」といいます。
「自分たちにはお金も能力も何もなかった。あったのは命だけ。命を使って戦った」という言葉には、住民運動のすさまじさを感じました。
◆「これは巨悪。怒りで体が震える」
住民運動は当初、適用する法律がないという壁に阻まれるかに思われました。
しかし、引き受け手がなかった弁護士に「平成の鬼平」と呼ばれた故中坊公平弁護士が就いたことから潮目が変わります。
安岐さんによると、不法投棄現場を見た中坊さんは、「これは巨悪である。怒りで体が震える」とつぶやいたといいます。
◆知事が直接、住民に謝罪
そして、問題が持ち上がって約20年、3代目の知事を迎えた2000年、当時の真鍋知事が豊島を訪れて直接、住民に謝罪、産廃の完全撤去などを柱にした合意が成立します。
事件の原因には、県が産業廃棄物認定をためらい、業者への指導を怠ったことがありました。
資料館には、不法投棄現場の産廃の断面を保存処理した”記憶”も残されています。
◆先人の遺した”記憶”の上に、未来を創る
豊島は、こうした”負”の歴史を、”記憶”から消し去ることなく、新しい未来を創ろうとしています。
観光マップにも「産廃不法投棄現場」をしっかり、書き込んでいます。
そして、世界から注目される芸術の島に生まれ変わろうとしています。
『海のレストラン』は外国人観光客でいっぱいでした。
◆自然との共生をコンセプトの真ん中に
フランスの著名な芸術家、クリスチャン・ボルタンスキーの作品『心臓音のアーカイブ』は、人の心臓音で作品を構成していて、建物は静かな砂浜に位置しています。
宿泊できる作品『ウミトタ』は、その名の通り、リビングから海と棚田が同時に眺められます。
◆誰かが何かをしてくれると期待しない
技術の力を使って汚染された環境浄化に取り組み、自然に溶け込んだ芸術作品を人々に提供し、オリーブを植えて緑を再生させています。
安岐さんは40年間、住民運動に関わって、間違いなく言える教訓として、次のように語りました。
「誰かが何かをしてくれることは絶対にない。自分で考え、自分で行動する。それしか問題を解決する方法はない」
島民は今、自分たちの手で新しい豊島を創ろうとしています。