Yahoo!ニュースとの共同連携企画記事
を書くため1か月半、ダム直下の町、
大洲市肱川町を取材しました。
取材を通じて、
ダムについての『世論』が
時代と共に変化しているのではないか、
と感じました。
1つの期間を例にとれば、
民主党政権下の政策
「コンクリートから人へ」による
2009年「ダム検証」時代の世論と、
毎年、大規模な豪雨災害が
全国のどこかで起きる現在の世論は
大きく変化したように感じます。
「ダム検証」時代は
”税金の無駄遣い”という言葉を
よく聞きましたが、
今回の取材で
「”税金の無駄遣い”だからダムに反対」
という声は、
私の取材では聞きませんでした。
◆40年がかりの”超”長期の公共事業
Yahoo!特集記事の執筆依頼を受け、
西日本豪雨3年を節目に
全国に共通する”今的な課題”を考えた時、
思い浮かんだのが山鳥坂ダムでした。
「あのダム、どうなっているんだろ?」
1986年(昭和61年)の
実施計画調査から35年、
民主党政権下のダム検証で5年間、
建設が中断されるという時代を経て、
建設が進んでいます。
取材してまず、驚きました。
今年5月、ダムサイト予定地周辺で
新たに大規模な地滑りの危険性が判明し、
ダムサイトの場所の変更も含めて
工期、費用を改めて精査することが
決まっていたからです。
2026年度の完成予定が
さらに見直される可能性があり、
それに伴い総事業費、850億円も
精査中となっています。
つまり40年を超える可能性がある
様々な経緯と
極めて長い歴史を持つ
公共事業となっているのです。
***
しまなみ海道の架橋運動が
大きくなったのが昭和30年代。
その約40年後、1999年に完成していますので
山鳥坂ダムはしまなみ海道に匹敵する
長期的な公共事業といえます。
(しまなみ海道の総事業費は約7,400億円)
40年も経てば
社会や経済環境も大きく変化します。
本四架橋も1973年のオイルショックで
一旦、決まっていた5本の橋の着工が
一時、無期延期されました。
これほど変化の激しい時代にあって
40年という長期に及ぶ事業が
生き残る条件とは何か。
取材を通じて
自分の中で問い続けたテーマでした。
◆民間企業ではありえない事業だが・・・
850億円の資金を、
投資先の事業からの収入が全くない状態で
40年間に渡って投資し続けるのは
民間企業ではありえない事業です。
(まず資金繰りが続かない)
しかし山鳥坂ダムは公共事業であり、
資金の出どころは公費。
目的は氾濫を繰り返す肱川流域住民の
安全、安心という
お金では測れない、
置き換えの利かない価値にあります。
この点が、民間企業の投資とは
決定的に違います。
本四架橋も、直接の動機は
1955年(昭和30年)の紫雲丸事故に代表される
(児童を含む168人の犠牲者を出した)
お金に置き換えの利かない
”命”を守る目的にありました。
「西日本豪雨までに
山鳥坂ダムが完成していいれば
ここまで大きな被害にはなっていなかった」
大洲市の立場です。
一方、治水効果への疑問や
環境への悪影響などを理由に
建設に反対の意見もあります。
◆技術の進歩、社会の変化への適応など
多くの課題も・・・
しかし40年という時間は
予想を超える技術の進歩を生みます。
紫雲丸事故当時のフェリーの安全性と
現在の安全性とは大きく異なります。
こうした時間による”不確実性”を
コストや工期に読み込むのは
非常に難しい作業です。
しかし、長期にわたる事業では
時間という”リスク”の存在を
謙虚に事前に、あるいはその都度、
住民に説明する必要が
あるのではないでしょうか。
今回、山鳥坂ダムの
ダムサイト建設予定地周辺で
大規模な地滑りの危険性が分かったのも
新たな「高品質ボーリング」によって
これまでは分からなかった
地すべりのリスクがより詳しく
分かるようになったためです。
◆限界も公開、説明し、対応する大切さ
西日本豪雨では
野村ダムと鹿野川ダムの緊急放流による、
河川の氾濫によって犠牲者がでました。
遺族らは、野村ダム管理事務所が
事前の放流を十分に行わず
大量で急激な放流をした操作には
重大な過失があるなどとして
国に対し、損害賠償を求めています。
私は今回の取材で、
被災者から「避難情報がなかった」
(「聞こえなかった」も含む)
と聞きました。
ダムの限界も
十分に事前に住民に公開、説明し、
限界によるリスクを可能な限り、
減らす努力が必要だと感じました。
肱川ダム統合管理事務所は
「ダムからの情報が住民に伝わったか。
行動に移してもらえたか。
その点を検証し、”伝える”から
”伝わる”情報発信に取り組んでいる」と
話します。
◆歴史の流れと『世論』
「40年という長期の事業が
生き残る条件とは何か」。
この疑問は、
国交省のダム関係者や、被災住民、
自治体関係者に問い続け、
実は、取材という”枠”を超えて
議論もしたのですが、
最終的な答えは見つかっていません。
財政状況や政権、経済状況や
国際情勢など様々な”変数”に
左右されることもあるでしょう。
しかし40年という事業の歴史とともに
『世論』という”流れ”が
時には激流のように目に見える形で
時には地下水のように静かに脈々と
流れ続けている・・・
取材を終えて、そう感じています。
その流れにしっかりと、真摯に
目を向けているか。
その流れと共にあるか。
事業が生き残る
条件の1つではないでしょうか。