愛媛県サッカー協会、ハチマキ会長勇退

オピニオン室

先日、愛媛県サッカー協会の
豊島吉博(71)さんが会長を退任し
名誉会長に就任しました。

そのインタビュー取材の内容です。
(News Ch.4 7/14放送予定)。

豊島さんは砥部町出身
愛媛新聞社勤務を経て
94年からは日本サッカー協会事務局長、
常任理事などを歴任。

日韓ワールドカップ招致や運営に
大きく貢献しました。

↑こちらは1997年11月16日
日本が初めてワールドカップ行きを決めた
あの“ジョホールバルの歓喜”直後の
一枚です。

「選手らはすぐ隣にいるんだけど
照明なんか消されて
真っ暗になってたね~」と
インタビューの最中にも
その嬉しさが
こみあげてくるようでした。

新聞社に勤めながら
若くして県サッカー協会入り
四国サッカー協会の理事長、
日本サッカー協会理事を歴任。

日韓ワールドカップ以外でも
愛媛にビッグマッチを招致しました。

キリンカップ92 日本代表対ウエールズ代表↓


バルセロナ五輪予選に、
Jリーグ公式戦↓などを松山に誘致。


93年、
名古屋グランパス対清水エスパルス戦。

プレシーズンマッチにも関わらす
元イングランド代表、
ガリー・リネカーを見に1万5千人が
県陸上競技場に集まりました。

そんなビッグマッチを裏で支えていたのが
豊島さんです。

県サッカー協会時代の
3大トピックスと言えば
まず、【平成元年度の南宇和高校日本一】。

愛媛新聞勤務時代で準決勝から同行。

「ところが、絶叫し過ぎて
仕事にならなかった。
記者としてはダメでした💦」
と反省しきり・・・。

「南宇和のおかげで
小さな町も出来ると思わせてくれたし、
優勝メンバーがプロになり
それを見た次の世代が育った。
なにより全国から
愛媛を見る目が変わった」

2つ目は2015年の「愛媛FC社長就任」

日本サッカー協会から
愛媛に帰ってきた時で
「青天の霹靂だった」

さらに、その時は
クラブに粉飾決算があったとして
前社長に代わっての緊急登板でした。

「地域に支えられてのクラブ。
その信頼を損ないかねなかった。
愛媛県民で作ったクラブを
潰してはならないと。
愛媛サッカー界の代表として
もう一回信頼を得ようと、
パフォーマンスですが
応援団の(ハチマキ)スタイルで
皆で一体になって頑張っていこうとした」

たしか愛媛FC社長退任時、
エミフルで
数百人のサポーターの前で
ハチマキ姿で愛媛FCの応援歌(チャント)
「この街で」を熱唱したのを記憶しています。

因みにJ1昇格プレーオフ進出という
最高成績を収めたのもこの年。

最大のピンチを
最高のチャンスで切り抜けました。

最後3つ目は2017年地元で開催された
【えひめ国体で初のサッカー総合優勝】

「狙っていた総合優勝が出来、
運営と強化がうまくいった。
嬉しかった❕」

サッカーは成年男女とも準優勝。

成年男子はFC今治、
成年女子は
愛媛FCレディースの選手で構成。

5位だった少年男子からは
三原秀真選手が
愛媛FCでプロ選手になるなど
その後の愛媛サッカー界の強化にも
つながっています。

最後に豊島氏からの応援メッセージ。

「愛媛FCと
FC今治2つのプロクラブがあるのは
全国でも稀です。

ダイバーシティ(多様性)が
重視される時代、
愛媛FCは愛媛FCのスタイル
FC今治はFC今治のスタイルを
切磋琢磨しながら貫いてほしい。

2つのクラブがあるのは
“愛媛の財産”なんです。

地元の人たちは
意外とそれに気が付いてない。
もの凄い力なんです❕」

記者プロフィール
この記事を書いた人
江刺伯洋

江刺伯洋(えさし はくよう)1971年3月1日松山市生まれ。
入社以来アナウンサーとして主にスポーツやラジオを担当。特にサッカー実況は少年からJリーグまで全カテゴリーをこなしてきた。
著書に愛媛FCのJ昇格劇を描いた「オレンジ色の夜明け」、「群青の航海 FC今治、J昇格まで5年の軌跡」がある。【現担当番組】DAZNのJリーグ中継(FC今治、愛媛FC)、ラジオ生ワイド「江刺伯洋のモーニングディライト・フライデー」(毎金曜午前07:15~11:09)など。

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