萬翠荘100年~ウクライナ侵攻で考える

オピニオン室

今週、ベルギー王国の
ロクサンヌ・ドゥ・
ビルデルリング駐日大使が
愛媛県を訪れました。

100年の輝き 萬翠荘

ビルデルリング駐日大使が訪れた
松山市の萬翠荘には、
ベルギー製の鏡が飾られています。

萬翠荘は、今から100年前の1922年、
大正11年に旧松山藩主の子孫
久松定謨伯爵によって建てられました。

100年の“つながり”

当時、ヨーロッパから第一級品を
集めたという館内は、
100年前の輝きを今に伝えています。

実は、ベルギーは
ヨーロッパでも有名なガラスの産地で
サロンや居間にしつらえた鏡は、
萬翠荘100年の歴史を
映し続けてきました。

この日は、
久松定謨の孫の妻、昴子さんも招かれ
ビルデルリング大使と対面しました。


久松昴子さん

久松さんに加え、もう一人
萬翠荘と関係の深い女性アーティストが
大使と面会しました。

ベルギーを拠点に活動している画家、
HiRo彩霞さんです。

祖父が松山市出身の洋画家
八木彩霞で、
萬翠荘のサロンには、
八木彩霞が100年前に描いた壁画が
今も残っています。

作品名は「三坂峠」。

松山平野を望む峠の
100年前の様子を今に伝えてくれます。

100年前にベルギーから届いた鏡と
100年前に祖父が描いた壁画。

ベルギーと松山の不思議な縁を
萬翠荘は今に伝えます。

100年に平和の願いを込めて

太平洋戦争末期の空襲で
焦土と化した松山市ですが、
萬翠荘は被害を逃れました。

もし、戦火が及んでいたら、
ベルギーの鏡も壁画も
残らなかったはずです。

世界に目を向けると
ロシアのウクライナ侵攻で
平和が日常だった日本も
第二次世界大戦以来、
平和をいかに守り続けるか?
岐路に立たされてます。

萬翠荘の100年の物語を
次の100年にいかに受け継ぐか。

みんなで考えなければなりません。

記者プロフィール
この記事を書いた人
中武正和

1975年11月松山市生まれ。南海放送南予支局(宇和島駐在)記者として一次産業を中心に様々な話題を取材。西日本豪雨は発生時から被災地で取材活動に従事。2021年4月から県庁担当記者。南予・東予から届く支局の話題を分かりやすく解説します。

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