今治に『やり投』でオリンピックを目指している選手がいる。
今年5月から県のスポーツ専門員となった崎山雄太選手だ。
彼は日本大学卒業後、現・今治明徳高校の校長である濱元一馬先生の指導を受けるため今治で生活する道を選んだ。
濱元先生はやり投でアテネ・北京五輪に出場した上島町出身の村上幸史選手や去年インターハイで準優勝したハンマー投げ久門大起選手など数々の名選手を育てた「投てき指導」のスペシャリストだ。
崎山選手:「日本のトップ選手だった村上選手も3年間今治で練習して日本のトップになり、世界に行った。そういう人たちはどういう指導を受けて何を学んだのかを自分でも知りたくて」
崎山選手は奈良県出身。高校までは幅跳びの選手だった。しかし高校の体育の授業で初めてやり投をしたときに直感的に楽しいと感じ競技を始めたという。
崎山選手:「やり投の授業があって思いのほか飛んだ。投げるたびに距離が出て成績を残して行けたので、楽しいスポーツに出会えたなっていうのはあった」
高校1年の途中から本格的にやり投を始め3年生の時にインターハイ出場。更なるレベルアップを目指し投てきの強豪「日本大学」に進学したが入学当初の自己ベストは61mで新入部員の中で最下位だった。
崎山選手:「周りは70m越えが基本で自分の同級生に今治明徳出身の森秀選手
がいて彼は74mを持っていたので最大13m離れていた」
しかし、崎山選手は大学初の記録会で実力の片りんを見せた。1本目に自己ベストを13mも更新する74mをマーク。レベルの高い日本大学でもやっていける事を証明した。
しかし、それ以降70mを超えることが出来ず、その焦りからか腰と肘を故障。2年間やりを投げられない苦しい日々が続いた。
彼はそんな状況に追い込まれながらも諦めず肘を使わない練習に明け暮れた。徹底的に鍛えたのは「体のバネ」。もともと幅跳びの選手だったこともあり、崎山選手には抜群の瞬発力がある。「ハードル練習」や「幅跳び」の練習でその長所を磨いたのだ。
そして、ケガが完治して迎えた今年4月の記録会。周りが驚くような投てきを見せた。自己ベストを大きく上回る79m13cm。日本選手権の優勝ラインだ。
崎山選手:「構えて、右足クロスして左足踏んだ瞬間、いけると思った。歓声
が上がって、ちょっとガッツポーズしてかっこつけちゃいました」
やり投の第1人者だった村上選手を育てた濱元先生も崎山選手が秘めている力に可能性を感じている。
濱元先生:「魅力は、バネ。(他のトップ選手の中でも)80mに1番近いかもしれない。村上と比べてもそれぐらいの力を持っている。バネは跳躍選手並みですよ、あの子」
6月。日本一を目標に臨んだ日本選手権は雨で力が出せず73m70㎝の4位に終わった。
無限の可能性を秘めた23歳の挑戦はまだ始まったばかり。恩師と共に次の目標を見据えている。
崎山選手:「(目標が)五輪っていうのは簡単なんですが、その前にまず日本一にならないと話にならないので、まずは日本一目指したい。そして村上選手の県記録を塗り替えたい。」