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サカ魂スピンオフ企画「完全インタビュー」(DF松下幸平編)
(リハビリをしていた「ASRE」にて)
昨年9月9日、試合中に左膝靭帯断裂の怪我をした時は?)
ものすごい音がして、最初は骨でも折れたかなと思ってたんですけど
1回ピッチの外に出てトレーナーの島崎先生と確認して
走れるなあとおもってグランドに戻ったんですけど
ボールが来てタッチした瞬間、ガクガクで
あ、サッカーやれる状態じゃないなと
で自らピッチの外に出て ああやっちまったな〜と
落ち込んだ思い出がありますね
やはり冷静ではいられなかった?)
やった直後ははっきりとした診断がわかんなかったので
ちょっと時間たってMRIとかいろいろ検査して断裂しているとわかり
僕の友達にも何人かJで活躍している人なんですけど
前十字やったらサッカー辞めるわなと僕も思ってたんですけど自分のことになり
驚きと・・・悲しかったですね
サッカー生命が危ぶまれるケガでも諦めなかったのはなぜ?)
2,3ヶ月前に(チームメイトの)千島徹君が同じ怪我をして
徹君もがんばってリハビリしていたし
あといろいろ調べると今ジュビロで活躍している駒野さんも前十字をやっていると
でも代表まで上ってワールドカップも出ている
そういう怪我しても諦めないですごい活躍している人が世界にもたくさんいて
こんなところで諦めたらだめだなと思って
リハビリの1年で感じたことは?)
やっぱり病院で1ヶ月入院して
長いようで短くて
いろんな刺激があって 自分の知らない世界を体感できて良かったと思います
人生観が変わった?)
そうですね
同じ病院の中でも僕のように膝だけじゃなく いろんな病気の人がいて
いろんな患者さんと話をする事も出来たしいろんな交流が出来て
人生の中でもプラスになるようないい話しばっか聞けたし
みんなにも言うんですけど 僕の手術の跡が一番小さかったんです
足だけじゃなくお腹切ったりとかいろんな人がいて みんな20センチ30センチ切っている人ばっかりで
どんな手術したのって見せると「あ、こんなので済むの?」って言われて
でもスッゴイ痛くて大変だったって思ってたんすけど
逆にその人の手術の傷口見るとなんも言えなくて笑
もっとがんばらなあかんなあと思って
めげてたらだめだなあと思って
そこでリハビリに対する心の準備が出来ましたね笑
地元の消防士・田丸さんとの病院での出会いは?)
笑顔のいいおじさんです笑
その人の紹介でいろんな人と出会えたり
その人と出会えてなかったら病院で孤独に1ヶ月間過してたと思うんですけど
出合えてよかったと思うような人です
田丸さんの言葉で覚えている事は?)
ある夜、平行棒のリハビリ中に田丸さんが声をかけてくれて
お互いのケガの話をして
「幸平君は若いし落ちるとこまで行けばあと上がるだけじゃん」って
そうだなと思って
「上がってくしかないんだから」と言われて気持ちが楽になりました
サポーターにも思わぬプレゼントをもらった?)
愛媛だけじゃなくて磐田の人たちから千羽鶴をたくさんもらって
部屋に飾ってみるとほんと大きくてビックリしました
愛媛FCのフラッグにも寄せ書きしてもらって
チームメイトにも寄せ書きしてもらって
ほんと助かりました笑
口に入れるものもこだわる?)
前のチームがほんと環境が整っていて寮のおばちゃんに任せておけば栄養もしっかりしてくれるし
こっちに来てちょっとシビアになって
でもプロとしてやらなきゃなんないんで
ちゃんとしたものを食べなきゃなんないし
なんでもサッカーの為って考えていたらそうなったって感じですね
飲み水にもこだわる?)
水もそこまでではないけれどしっかりいろいろ試しています
今も入院中の人は病院にいる?)
そうですね 入院している時は整形外科以外の人とも交流があって
ガンだった人もいたし・・・
あの人どうしたって話のときも「いやあの人集中治療室入ったよ」とか
「あの人おととい亡くなったよ」とか・・・
シビアって言ったらいいのか・・・
入院前とかなり変わったと思う?)
そうですね
ほんと変わったと思いますね どこがと言う訳ではないけれど
自分としても大きくなっているんじゃないかと思うのはありますね
そういわれたこともありますし
それはそこで得た物かもしれないし 何か身にはなっています
病院で出会って人たちに言いたい事は?)
入院している時から治して試合に出るから応援してくださいって言ってたんですけど
それが治ったとこまで来てるんで
ホームでニンジニアスタジアムで出て
その時から日赤の旗振って応援するって言ってくれていたんで笑
実現するかどうかわかんないですけど
ほんとに活躍するんで是非見に来てください!
「サッカー魂」スピンオフ企画・取材後記(ユース・Jrユース)
下部組織の成長無くしてトップチームの飛躍はない
全サッカークラブ、いや全スポーツチーム共通の定説だというのは周知の事です
1994年4月8日の創立総会で産声を上げた愛媛FCはユースチームからスタートしました
その間、14年
残念ながら
天皇杯でユース史上初勝利を演じた
97年組以上の、またはそれに迫る成績を残せてはいません
全国にプロチームが乱立し
盛んな青田買いが行われている今、
後発組で、しかも充分な施設や資金が整わない愛媛のような弱小チームには
例え有能な小学生、中学生が現れても
そのまま地元チームに引き止めるほどの魅力的な条件はほとんど揃っていません
選手の県外流出は高校サッカーとともに歯止めがかからない状況
では
環境が悪いと良いサッカーは出来ないのか
良い選手は育たないのか
否
ロナウジーニョは貧困を理由に泣き事を言ったか
メッシは成長障害をいいわけにボール蹴りを止めたのか
言い訳の連鎖からは何も生まれない
今週末、ユース年代最大の大会が始まり
来週木曜日、高校サッカー最大の抽選会がある
愛媛サッカー界不遇の時代だからこそ
彼らのプレーに注目したい
さあて、次回のサッカー魂ヤローは・・・
「サッカー魂」スピンオフ企画・完全版インタビュー(ユース・Jrユース)
海外留学4人組インタビュー
(練習後のサンパークにて:左から近藤、佐々木、垂水、小原)
『松山市ドイツ・フライブルク姉妹都市20周年記念事業
SCフライブルク短期留学(8/24〜30)』
< 派遣指導員・Jrユース篠崎秀陽監督>
フライブルク留学の経緯は?)
松山市とフライブルク市が姉妹都市を結んで20周年という事で
その記念事業の一環で行かせてもらいました
今後、愛媛FCとSCフライブルクがいい関係を保てるように
交流の一環としても行かせて頂きました
SCフライブルクはブンデスリーガ2部のチーム?)
レベルはJ1の中位以上あると思います
どんな事をしてきましたか?)
むこうのベーユーゲントと言いまして
アンダー17のトレーニングに4回参加しました
近藤選手と佐々木選手が同行しましたが、現地での評価は?)
向こうの監督から聞いたのはやはり日本人はスピードがあるのが一つ
あと個人のテクニックも 1対1の局面でのテクニックが非常にあるとの評価を得ました
しかし2対2以上の局面になると、ゲーム形式の練習になると消えてしまうと
そこらは彼ら(近藤、佐々木)も感じたと思うので
今後どう成長するか期待しております
近藤は非常に運動量が多く、動きながら正確なスキルを発揮する事が出来る選手で
佐々木はストライカーと言うこともあり
スピードもあってちょっとした突破からのシュート力
シュートセンスは長けていると思います
これから愛媛FCとSCフライブルクでどんな交流をしていきたい?)
ひとつはクラブ間の協定を結んだりして
選手の派遣やチームの派遣、選手の貸し借りなどで交流を深めていったり
向こうの施設面はJリーグより100年進んでいるので
そういったところでのアドバイスなどをもらえればと思います
今後、愛媛FCが発展していく上でこの交流は凄く大事なことだと思います
< 派遣選手・U-15MF近藤 貫太選手、FW佐々木 寿輝選手>
ドイツのフライブルクはどうだった?)
近藤:いい環境で地球にやさしい町だなあと思いました
スタジアムの上にソーラーパネルがついていたり そういうところに感動しました
サッカー以外でもいろんな発見があった?)
近藤:ありました
佐々木君は?)
佐々木:凄くサッカーする環境もよくて街もキレイでした
練習はどんなことしたの?)
佐々木:SCフライブルクのチームと一緒にトレーニングをしました
その感想は?)
近藤:まず体がでかい事がひとつ 1対1ではあまり負けていなかったです
勉強になったところは?)
佐々木:海外では言葉がしゃべれないと通用しないという事です
近藤:僕はちっちゃいので ある程度からだがないと通用しないのかなと
覚えたドイツ語を教えて?)
佐々木:Zeit(ツァイト 直訳は時間 フリーの意味)です
パスを出したときに振り向く事が出来たりするときに言います
近藤: Hintermann(ヒンターマン後ろに人がいるの意味)です
相手が来ていて時間が無いないときに言います
この経験をどう生かしたい?)
近藤:帰ってきた日から通用しなかった部分を意識して練習しています
佐々木:積極的にコミニケーションをとるようにしています
二人の夢は?)
近藤:ぼくはいい選手になって世界に通用する選手になりたいです
佐々木:僕もプロになって世界で活躍できる選手になりたいです
・MF 小原 勇人選手
UAEキャンプの感想は?)
とりあえず暑くて外でたらサングラスが絶対いる!みたいな
あとみんなターバン巻いてて顔がわからんかった
あとご飯が香水の臭いしました
味はそこそこやったんすけどご飯食べたら・・・ダメでしたね
ご飯と缶詰のコーンを混ぜたらギリギリ食べれました
でもこれからプロになって代表の試合になったら
そんなところでもやらないといけないですよ?)
・・・がんばります
どんなことしたの?)
UAEは今年プロが出来たばっかりなんですけど
むこうのユースチームと試合をしました
どうでした?)
技術とかは日本のほうが上だと思っていたが
やっぱり身体能力とかは外国人には勝てないなと思いました
この経験をどう生かしたい?)
やっぱり愛媛FCで全国に出た時に向こうで経験したことを少しでも生かして
チームに貢献したいと思います
自分のプレーのウリは?)
自分はキックが得意です
・DF垂水 雄太選手
ブラジルでどんな事をしたの?)
試合と観光
試合はサイドバックとサイドハーフで出場しました
相手チーム名は覚えてません笑
試合の感想は?)
向こうは上手かったです
通用しなかった?)
いや通用したんですけど向こうは体がデカいんですよ
初めてのブラジル?)
はい
どんな国だった?)
ご飯もおいしいかった。スパゲッティとか
ポルトガル語は何か覚えた?)
オブリガードだけです笑
サッカーで勉強になったのは?)
ブラジルの選手はボールに来るのがはやいので
ボールが来る前に次の事を考えようと思いました
夢はプロサッカー選手?)
ハイ
「サッカー魂」スピンオフ企画・取材後記(FW大木勉)
会う人会う人気さくに声を掛けてくる
流石、地元三津
そして最後に必ず「またケガしたん笑?」
これには大木君も苦笑いで返すしかありませんでした
まあ14年もやってますからね、満身創痍ですよ
いつも全体練習が終わるとサッと引き上げるのを見て
ベテランとしてケガも多いし無理をしないように体に気を使ってるのと聞くと
「いや、全体練習で全てを出すようにしているので余力はないんです笑
プロになってからずっとそうですよ」とのこと
なるほどこれが大木君の流儀
練習に行くとわかる
彼の右足のふくらはぎ、力こぶの形が変わってるんです
ああ、凄い筋トレして膨らみ方が違うんだなあと思ってたら
これまたハズレ
「肉離れのケガで下半分の筋肉がつかなくなったんすよ」
「足首は数えられないくらいケガしてますし
足首のスジものびきってしまって骨があたるんでずっと痛いし・・・」
マスコミの前ではあまりベラベラとしゃべる方ではないので
(オフの時や仲間といる時はオモロイ兄ちゃんです)
恐いイメージがついてますが
やっぱり聞いてみないとわからないものです
ボロボロなんですね
でも彼がいないと今のチームは機能しません
「でも怪我が多いから出れるんはホーム限定やろ」と言う人もいますが
いいじゃないですか ホーム限定選手で結構
“愛媛のデニス・ペルカンプ”
あと5年は働いてもらいまっせ!
さあて、次回のサッカー魂ヤローは・・・
「サッカー魂」スピンオフ企画・完全版インタビュー(FW大木勉)
三津のお好み焼き「みよし」にて
サッカーをするきっかけは?)
小学校の時に、僕3人兄弟の一番下なんですけど
兄ちゃん2人がサッカーはじめるって事で僕もついて行った感じです
お父さんはラグビーで有名な人ですよね。ラグビーに行くつもりはなかった?)
ラグビーは小中は(チームが)なかったので
兄貴2人は中学校までサッカーして高校からラグビーしたんすけど
僕もラグビーしようかなと思った時はあったんすけど
(三津)中学の時に県選抜とかなんとか選抜に選ばれてたんで
丁度僕が中二の時に南宇和高校が全国優勝して
それを見てて僕も南宇和でやりたいなとおもってたんで
僕だけサッカーやらしてもらった
南宇和高校でも大活躍でした。今振り返ると?)
高校の思い出は下宿していたので
皆と生活していたというのが
下宿っていっても大家さんの家からはなれてくらしていたので
すごい楽しかったです
高校3年最後の武南戦を覚えている?)
僕が点を取ったんすけど
結局1−1のPKで負けて
高校最後の試合だったので、もうこのメンバーでサッカーできなくなると思うと悲しかったですね
サンフレッチェ広島時代も愛媛FCの会員になっていたのはホント?)
やってました
愛媛FCにお世話になった先輩とかいたし
愛媛にJリーグが出来たらいいなと思っていたんで
なんかの形で力になれたらいいなとは思ってました
故郷でサッカーをするこだわりはある?)
地元でJリーグでやれてるのは全国でもそんなにいないので
恵まれてると思うんすけど
その分、期待されるんも大きくなるで
がんばらないといけないなと思いますけど
三津に対する思いは強い?)
僕が生まれ育った町なんで
落ち着くっていうか・・・
ナントも言えない町ですね笑
最低でも後5年は出来ると僕は思ってますが。近いところでの夢は?)
いま下の娘が1歳なんで
その子が(お父さんがサッカーをしているのが)わかるくらいまではやりたいなと
何歳になったらわかってくれるかわかんないですけど笑
上の2人はもうわかっている?)
もうわかってますね
最低でも3年はやりたい
やれるからだがあって、皆に迷惑を掛けないくらいに
やれるだけはやりたい
ケガはまあ・・・防ぎようがないですね・・・
最後に“三津”にメッセージを)
三津はサッカーの盛んな町なんで
僕ががんばって試合に出て活躍すれば
たぶん観てくれている人も多いと思うので
元気を与えられるかなと思うのでがんばりたいです
「サッカー魂」スピンオフ企画・取材後記(佐伯GM編)
最初に出会ったのはいつの頃だったでしょうか。
取材に行くといつも佐伯さんがいて、この人は何をしている人なんだろうと。
でも忙しそうな人だなあと感じていたのを覚えています。
クラブチームのスタッフに憧れる人は多いと思いますが
僕は彼を見て諦めました笑。
半端な情熱では簡単に吹き飛ばされてしまう世界です。
安定していたサラリーマン生活を捨て
なぜどうなるかわからないチームのスタッフになったのかを
JFL時代に聞いた事があります。
随分悩んだ後、
「最初から手ごたえがあったんです。このチームはJリーグにいくなあと。
だからですかねえ・・・」と答えてくれました。(書籍『オレンジ色の夜明け』P23より)
久し振りに密着取材(詳しくは8/6「おかえりテレビ」内で放送)をさせてもらい
あの頃と変わらない情熱と
あの頃とは違うたくさんの苦労があって
それを支えてくれるホンの少しの喜びがあることがわかりました。
確かに昔は何もなかったことが面白かったけれど
そこで止まる事は出来ません。
本当のプロチームになるその時まで
やっぱりこのチームを追いかけていきたいと思います。
さあて、次回のサッカー魂ヤローは・・・
「サッカー魂」スピンオフ企画・完全インタビュー(佐伯GM編)
四国ダービー当日の朝、事務所にて 聞き手:江刺伯洋
もともと1万人を集めようとしたのは何故)
1つは鬼武チェアマンが愛媛に来た時に
「集客で一生懸命やっているのはわかるが一度結果を出してみろ!」「やるなら(四国)ダービーしかないやろ!」って言われて。
でも(試合の日は)水曜日ですよって言ったら「関係ない!」って言われて笑。
Jリーグとしても支援するからやってみろと言われてからですね
この3年間、お客さんでは苦労してますね)
2つの考え方があって。
Jリーグの中でもようがんばっているって言ってくれる人もいるんです。
今の状況、スタジアムの位置とか施設とかチームの成績とか、まだ3年目だし。
そんな一足飛びに5千人、1万人になったりは出来ないと。
今やるべきことは地に足をつけて
(スタジアムの)半径3キロ以内のお宅を戸別訪問したりなどの地域に密着した活動をしてファンを増やしていく事が大事だと言う意見と。
そうは言っても打ち上げ花火は何発も打ち上げないといけないと。
お客さんが入らないとJリーグじゃないという意見もあって。
僕ら楽なのは打ち上げたほうが楽かなと思っていたんですけど。
年に2回くらい1万人集めたらいいかなと。
でもそれすらも3年やって非常に難しいという事がわかって。
江刺さんにも言われた事あるけど、1万人入ったという事実は大事だと僕らも思うので何とかやりたいが後につながる集め方をしたい。
今回1万人集めました。次(の試合は)2千人でしただと本当に打ち上げで終わる。
非常に苦しいけれどJリーグもサポーターもボランティアも応援してくれているので
何とか目標に向かってがんばりたいし
今日もし1万人いかなかったとしても次実現できる足がかりにしたい。
江刺さんもそうですが
昔からお客さんが50人くらいのときから知ってるじゃないですか。
球技場の客席を見上げると全員知ってるっていう笑。
関係者か(選手の)家族か彼女かとか。
JFLの時からの人はほとんど知ってるけど、今回いろんなところで活動して話しをさせてもらうと半分以上が知らない人でした。
確実に応戦してくれてる人が増えているのを実感できました。
今日のために特別な活動をしてきた?)
そうですね。
何とか1万人集めたいというのもあるし水曜日でもサッカーが見られる。
僕らいつも水曜日は(お客さんが)入らんわいとか難しいよねって話をしていたんですけど他のJリーグに行ったらJ2でも仙台とか1万人以上入ってる。水曜ナイターでも。甲府もそう。
そうなると、でも成績がねとなるんです。
でももういいわけの連鎖みたいになるんで断ち切って水曜でも集められるような情熱を持ってやろうって。
そういうところから今回もやっています。
一時はGM自らクビを考えたとか?)
今、僕がクビっていってもこの状態のクラブを引き受けてくれる人もおらんでしょ笑。
僕らの最終的な目標はこのクラブをJ1にあげること。
J1にあげて本当の意味でのプロクラブとして地域に親しまれる
活動自体が地域還元になるクラブにしたい。
それが甘い話
JFLからJ2にあがればなんとかなるという雰囲気が皆に流れていたと思う。
Jリーグっていうのはホントに素晴らしくてJリーグのある地域っていうのはすごく恵まれているなと思います。
J2の下位のクラブはどこも経営は火の車です。
その中で地域貢献とか地域還元とか偉そうな事言っても、自分の事できないのに他の人のことできんのかって。
JFLからJ2にあがって何とかなるって言う雰囲気は、僕自身はJ2の苦しいクラブを知っていたんであがってのほうがしんどいという感じでした。
社長もそれは認識しててあがったら大変やぞと話しをしていました。
ただあがったらJリーグのいいところを凄く感じているので、それを県民の皆様にそのよさを広げる一番の手段はJ1にあがること。
これが一番はやくてわかりやすく伝わる手段やとおもう。
それをする為に地道な活動をして、積み上げて、(J1にあがる)チャンスが来たらっていう。そこまではやりたい。
でも追い込まれたのは事実?)
今でも追い込まれています笑。日々追い込まれている。
いつも見失わないようにしているのは何のためにやっているかっていう。
自分のためにやっているのだったらこの仕事は割に合わない笑。
ストレスが凄いたまる仕事ですけど反面心のそこから面白くて、仕事としては充実感のある仕事なんで。
嫌でやっているわけではない笑。ストレスは・・・かなりたまりますけど笑
家族の理解は?)
JFL時代から理解はしてくれています。
(前の)仕事をやめた時も何も言わず。
J2あがった時は凄く喜んでくれて。
でも家族にはJ2あがってからがしんどいとトコトン言ってた。
子供達は帰ってきたら10秒くらいは「パパーッ!」って言ってくれるけど
後はずっと存在感ない笑。存在感を見せ付けたいですね。
長い歴史も含めて今日は相当重要な日?)
そうですね。
やるべきことはやってきました。
一人でも多くの人に来てもらう努力はギリギリまでやりたいと思います。
1万人は次につながるようにしたい。新規の人に来てもらいたい。
サッカー教室に行って小学生に試合に出ていないような選手のカードをプレゼントして
喜ばないかなと思っていたら相当喜んでくれたりして。
この1ヶ月の活動は7/30のためだけにやってきたといってもいいです。
最後に、試合まで7時間。今日の観客数の予想は?)
もちろん、一万人いくと思いますよ!
「サッカー魂」スピンオフ企画・取材後記(宮原裕司編)
まず今回は完全版インタビューを掲載できない事を
皆さんにお詫びしなければいけなません。
東福岡時代や石橋さんとのワールドユース話、
けんじろとの交流、チームを渡り歩く中でのプロ根性などを
じっくりと聞いて見たいと思ったのですが
ケガもあり取材が半ばでストップとなりました。
でもまた次の機会に
絶対に実現したいと思います。
といっても今回の“海族団”取材で宮原選手の
素顔が少し覗けたような気がします。
放送を見ていただいた人は分かると思いますが
おおげさではなくて子供達に大人気でした。
それも最初からではなく
子供達といろんな話をしながら子供達が喜ぶネタをリサーチして
ここぞというタイミングでギャグを披露する。
おおげさではなく
帰るころには完全に子供達のハートをしっかり掴んでいました。
これ簡単なようでかなり高度なテクニックです。
我々しゃべりのプロでも難しい。
というかそれが出来たらしゃべり手としても一流です。
サッカーにも通ずると思いますよ。
相手の情報をリサーチして咀嚼して絶妙のタイミングで必殺のパスを出す。
なるほどこれが“三冠男”の
どのチームでも中心となりえた男の秘訣なのではないかと一人納得してました。
練習の合い間もいっつも
他の選手にチャチャを入れていて
いいタイミングでツッコミを入れるなあと思っていました。
見た目が今風の兄ちゃんなので
もっとハッチャけているかと思ったら(失礼!)
しっかりした考えを持っていますしね。
チームスタッフによると“海族団”の活動は
宮原選手からやりたいと言い出したそうで
そういうことを選手から言ってきたのは彼がはじめてだそうです。
OFFのときは相当ハジケルそうですが
ONとの切り替えが出来るのも才能ですもんね。
さあて次回の「サッカー魂」ヤローは・・・
「サッカー魂」スピンオフ企画・取材後記(GK兼田亜季重編)
サッカーをやり始めたきっかけは本人もよくわからないそうで
「おそらくカズさんと誕生日が同じだからだと思います」と真面目に答えてました。
彼にも影響を与えていたか、恐るべしキング・カズ・・・
にしてもしっかりした子ですね、兼田君はホント。
親戚のおじさんみたいに感心するばかりです。
だって練習以外はほとんど家に居るらしく
それもただボーっと時間を無駄にしているわけではなく
大学生として毎日ちゃんと勉強しているんですよ。
しかも通信教育なんで基本は一人でやります。
一人でパソコンの画面を見ながら授業を受けて
週1回はレポートを提出する。
出来ますか?誰も監視する人は居ないのだからサボり放題ですよ。
授業の出席日数が足らなくて留年してしまった私には絶対に出来ません(当たり前)。
“サッカー選手である前に一人の人間として上のレベルでも通用するようになりたい”
そんな考えに至ったのは全て
サンフレッチェユース時代、特に森山監督との出会いだったと彼は断言します。
サッカーファンならご存知のゴリさん。
熱血漢でホントに選手からも慕われています。
実は兼田君が愛媛に来るのを私が知ったのは
チーム公式発表のかなり前でした。
もう時効だからいいと思うのですけど笑
昨年末の全国高校サッカー選手権の組み合わせの時、中継スタッフを集めて
勉強会をしました。
そのときに講師として来て頂いたのが森山監督でした。
お話しも面白くてためになって、やっぱり日本一になった人は違うなあなんて感心していたら
最後に「今年、うちから○○、○○、○○がトップに上がって、兼田というGKは愛媛に行きます」
なんて言うものだから
こちらは「え〜ッ!そんな特ダネを聞いてもいいのだろうか??」とビックリしました。
もちろんチーム発表までどこにも言いませんでしたけど笑。
兼田君も「やっぱゴリさんらしいっすね」と笑ってました。
高校時代の指導者、恩師というのは
サッカーだけでなく人生を左右する大きな存在でもあるんですよね。
予定では5年間で大学のほうは卒業出来るそうです。
それまでに兼田君のほうはもちろんトップデビューもして
代表なんかにも呼ばれたりして
ゴリさんのほうもトップチームの監督になってて
さらに愛媛と広島がJ1で戦ってたりなんかして・・・
愛媛のゴールマウスに兼田君、広島のベンチにゴリさんが居て
試合後に卒業証書を見せにいくなんていうのが最高ですねえ。
さあて次回のサッカー魂ヤローは・・・
「サッカー魂」スピンオフ企画・インタビュー完全版(GK兼田亜季重とゴリさん編)
インタビュー場所:自宅にて 聞き手:江刺伯洋
早稲田大学人間科学部通信教育課程の勉強は毎日何時間くらい?)
2,3時間です
パソコン見て授業を受けたり、レポートを打ったりしています
練習以外の時間は何をしている?)
勉強するか、寝るか、風呂に行くか、あと料理くらいです
家に居るのが苦じゃないですね
なぜ大学も行っているの?)
サッカー選手であるまえに一人の人間として出来ていないと
上に行っても通用しないとおもうので
やっていて自分に得じゃないことはないし
やれるんなら若いうちにやっておきたかった
やってみてどう?)
いろいろ勉強になりますし 普通の大学生よりしっかりやらないとと思います
愛媛に来てからの4ヶ月はどう?)
あっという間でした
試合になかなか出られないが)
まだ若いし それが理由ではないけれど
いろいろ経験とかもあるので しっかり今やれる事をやっておけば
出たときに活躍できると思うんで 今はやるだけですね
改めて自分のウリは?)
シュートを止めたり 繋ぐところだったり
高校時代、サンフレッチェユースで日本一になるなど大活躍でしたがユース時代の思い出は?)
環境的には一番いいところだと思うし 入ってそれで上手くなったと思うから
あの3年間は自分にとって一番いい時期にいいところでできたと思います
そのおかげで今の自分もあるとおもうし
そのなかでいろんな人と出会えてその人たちから
いろんなものを吸収できたと思うので
こういうこと(通信教育)もやろうかなと考えるようになったと思います
人生の中でも大きな3年間?)
そうですね
高校時代は全寮制?)
はい
サンフレッチェユースの森山佳郎監督はサッカーだけではなく生活面でも影響を受けた?)
ゴリさん(森山監督)は今までで一番尊敬できる人だし 人間的に優れてるから
あそこまでいろんな人に信頼されて
いろんなひとからも頼りにされてるし
やっぱああいう人が生き残っていけるんだなと感じました
森山監督から言われた事で今でも覚えていることは?)
やることをやったぶんだけ自分に戻ってくるみたいなことですね
ゴリさんとは常に一緒にいたんで
ゴリさんも家族と居るより俺らと居るほうが長いし
それだけ俺らのことを思っていてくれたと思うんで
去年は1年間、キャプテンをしていたのでそういうとこでも
感謝しないといけないと思います
もう家族みたいなもんですね
今でもときどき連絡したりしますね
〜ゴリさんに電話〜
(以下は電話でのやりとり)
ゴリさん)はい、森山です
兼田)ゴリさん、久し振りです
ゴリさん)元気ですか?
兼田)元気ですか?
ゴリさん)大変ですよ (チームの)調子があまりよくなくて
まあ今の時期あまり調子がよくてもね
去年みたいにネ 今の時期苦しんで後で結果がいいほうがいいかな
今も今年のチームの池田君が今年のチームを引っ張ってくれてる
去年のアキシゲ君みたいにチームをまとめようとがんばってくれてますよ
アキシゲ君はどうですか?
兼田)そうですね(試合に)出たりは出来てないですけど
練習やってるだけでいろんな勉強にはなりますし
今我慢してやっておけば
ゴリさん)まあ焦らんで 目先の出る出んじゃなくて毎日ちょっとずつでも進歩して
1年後とか半年後にもっと大きい道にすればいいじゃないかね
毎日毎日が勝負やなどっちにしても
一日どんだけ上手くなるかが勝負やな
目の前の敵は近くにあるん?遠くにあるん?ハハハ
兼田)多分近くにあります
ゴリさん)お、近いか
とりあえず目の前の敵を引き摺り下ろしてもっともっと目標に近づいていく事やね
精神的にも安定してやれとる?
兼田)はい。そんな落ちてないです
ゴリさん)生活も大丈夫?
兼田)はい バッチリです
ゴリさん)飯はどうなっとるんかいね
兼田)自炊です
ゴリさん)自炊?ちゃんと作れるん?
兼田)めちゃ上手いですよ
ゴリさん)上手いご飯を作ってくれる人がおるとかやなくて?
兼田)いやいやいやいや、いないすよ
ゴリさん)まあ元気で何よりやね。たまにお母さんと会ったりして。
弟のジュニアのサッカーとか見たりしてるよ。弟もがんばってやってるよ。
おかあちゃんも心配してるけど元気な姿を見せるのがいちばんやね
そっちで顔や名前は覚えてもらっとるかね?
兼田)はい。いろいろサッカースクールとか行ってます
ゴリさん)地域の人に覚えてもらって
子供達に夢と希望をあたえられるようになるのが一番やね
成長している姿を垣間見れてよかったよ 元気に一日一日を大切にして下さい
みんなにあきしげがんばってるって言うよ
江刺)お話になるのは久し振り?
ゴリさん)コーチの山中さんから腐らずにやっていると言うのは聞いています
高校のときからしっかりキャプテンだったし
自分の体の事も含めてしっかりしてた
3年生になってから変わったかな キャプテンを立候補して周りをまとめて
かなりヤンチャな子が多い 個性派集団の年だったので
その中でも皆をまとめ
自分もレギューラー争いで大変な中
チームの為にがんばってくれたなあと感じますね
立場が人を変えたというか
まだまだアマちゃんだったのが 自分がキャプテンになってがんばってくれた
江刺)じゃあいいところばかり?
ゴリさん)いやいやまだまだアマいですけど
まずはこれからがプロの世界は努力だけでもダメだし
ホントに力をつけて 目の前の敵を 味方とレギュラー争いの勝負だし
対戦相手との生き残りを賭けた勝負だし
厳しい厳しい男の肉食獣の争いみたいになる
江刺)最後に本人からの決意を聞いてください!
兼田)まだ今出れてないんですけど 1年後2年後に成長したなあと
思えるようにがんばりますんで
これからもちょくちょく電話するんで 宜しくお願いします
ゴリさん)わかりました いい報告を楽しみに待ってます!
後輩達もあきしげの活躍が励みになると思うんで
がんばってください 体に気を付けてね〜