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「サッカー魂」スピンオフ企画・井上秀人取材後記
井上秀人、青野大介、黒河貴矢。
三人のJリーガーを輩出した丹原東中の謎は昔から気になっていました。
そのルーツはそれより下の丹原サッカースクールにあったんですね。
しかもその監督が青野君のお父さん(正勝さん)だったとは
これまた驚きです。
正勝さんは社会人(豊田市の住友ゴム)でサッカーもやっていたそうで。
丹原に帰ってから小学生のクラブチームが無かったので
今のチームを作ったとか。
井上君曰く、青野監督はロベルト・バッジョそっくりで渋くて
とにかく楽しくて、盛り上げる雰囲気作りが巧かったと当時を振り返ります。
高校から県外へサッカー留学しちゃう子が愛媛も多いけれど
近いからという単純な理由だけで愛媛に留まってくれてホントよかったです笑。
車に同乗させてもらいいろんな話をしましたが
丹原の実家に近づくたびに
「いいでしょ?」「いいとこでしょ?」「絶景でしょ?」
「好きなんですよね〜このコース」と
山深くなる車窓からの眺めを誇らしげにアピールしてくるんですよね。
それがとても微笑ましかったです。
ああ、故郷が大好きなんだなあと。
スポーツに集中する環境があって、明るくのびのび育って
好きなことが職業であることの有り難さに感謝を忘れない。
まさに丹原っ子の代表ですね。
そうそう井上君に一つ謝りたかったことがありまして。
それはJFL時代に井上君が先生をやりながらサッカーやってたのを
当時、「サッカー魂」としてちゃんと取材できていなかったことです。
後から聞いて、ああその時にちゃんとやっておけばよかったなあと
ずっと後悔していました。
遅ればせながら今回、取材させていただいて感謝しています。
改めて取材が遅くなったことを謝罪いたします。申し訳ございませんでした。
これに懲りず、また部屋に行かせて下さいね笑。
井上君は小学校の頃、リフティングを1000〜2000回(!)出来ていたそうで。
少し披露してもらおうと
愛媛FCからボールを持ってきていたんですが
ボールを見た丹原サッカースクールの子供たちが
「これ愛媛FCの選手が使ってるヤツ?スゲ−!」と
興奮しているんですよね。
井上君や青野君たちは彼らの身近なヒーロー。
やっぱり、青野監督も言ってましたように
愛媛県人としては井上、青野の丹原ボランチ“丹ボランチ”を
また見たい。
それと、こちらは子供達から言われて苦笑いしてましたが
そろそろJ初ゴールもお願いします笑。
さあて、次回のサッカー魂ヤローは・・・
「サッカー魂」スピンオフ企画・井上秀人インタビュー完全版
いつも青野君と乗り合わせて丹原町から練習に来ている?)
そうですね。あの人、治療が多いので治療をやらない日は一緒に来ています。
僕は基本的に治療とかはやらないんで。
去年はケガがあったんすけど、今年はゼンゼンケガとかないから。
自分でストレッチとかで終わらせています。
そういう意味では結構、強いほうですよね?)
去年初めて怪我したくらいで今までサッカーで怪我した事はないです。
それはなんで?)
怪我しにくい体に生まれてきたんじゃないですか。
体当てられても痛くないですし。
鈍いってのもありますね笑。痛みに鈍いっていう。
昔から指導者が痛いところを見せるなみたいに教えられてきたからですかね。
中学校とか大学とかは軍隊みたいでしたから笑。
大きな怪我がないってのは恵まれてますね。
青野君とはいつから一緒?)
中学からですね。3つ違いなんでかぶってないんすけど。丹原東中ですね。
丹原東中出身の三羽烏(青野、井上、新潟アルビレックスの黒河)として有名ですよね?
そんな事ないですよ笑。でも、地元で声をかけてもらいますけど。
(3人とも出身である)丹原少年団(現丹原サッカースクール)にたまに行ったりします。
一緒に小学生とサッカーしたり。
(青野)大介くんの父ちゃんが監督してるから。
そのチームに井上君も入っていたの?)
ハイ。そっから始まったんですよね。
僕の行ってた小学校にサッカーチームが無くて。
たまたま友達がそこでサッカー出来るよって話があって。
行ったんですけど、その友達はさっさと辞めて笑。僕一人でやってたんすけど。
最初の指導者は青野君のお父さん?)
そうです。お父さんが渋くて。ロベルト・バッジョに似とんすよ笑。いまもやってますよ。
青野大介君とのつながりは相当深いですね)
僕の3つ上だったんで、小学校の時は大介君はやっぱすごかったですね。
今は青野君の父ちゃんと僕と大介君とでゴルフ行ったりしますからね。休みの日に。
毎日1時間くらいかけて練習に来ているの?)
50分くらいですね。慣れたら苦ではないすけど。
なぜ、丹原から車で通っているの?)
まだ通勤範囲かなと。
あと、ご飯とかちゃんと親がやってくれるから。
自分ひとりだったら手を抜いてしまいそうなんで。結構自由にやらしてくれてますしね。
家帰ったら真っ暗ですけどね笑。
行き帰りは大介君とくだらないこと話しながら来てますね。
あんまサッカーの事とか話さないですね。
さっき青野君に秀人君はどんな存在って聞いたら「暇つぶし」って言ってました笑)
ハハハ。まあ、そんな感じですね笑。
ホントの兄ちゃんと弟みたいですね?)
そうですか?じゃあ、悪い兄ちゃんですね、あれは笑。
真面目なアドバイスとして「今はメンバー外れて辛い時期だけどそれがいつか力になる」って言ってました)
確かにそうですね。
今試合に出てなくてメンバーにも入ってないんですけど。
人生でそういう経験やったこと無かったから・・・
逆に考えたらいい経験をしてるかなと思うんすけどね。
・・・まあ、ガマンする時なんてサッカー以外でもこれからいろいろあると思うんで。
そういう時は成長できるときんなんかなと自分自身でも思いますけどね。
出れないからダメとかは思わないですからね。
ほんとにチームに必要な存在だったら確実に出れるわけじゃないですか。
そういう存在じゃないってことがわかりましたね。
そういう存在になったら確実にどんな状況でも出られるわけですから。
・・・今、ちょっとカッコ良いこと言いましたね俺笑。
こういう経験をしていたほうがいいんじゃないですかね。
いつかサッカーを辞めても僕はサッカーに携わっていきたいんで。
ということは試合に出れない人の気持ちもわかるわけで。
そういう気持ちもわかったほうが自分がチームを持ったときに色んなこと言えるかなって。
そういうことを経験しない人はわかんないじゃないですか。
だからいい経験やってるかなって。
まあでもその分、試合に出てる人以上にがんばらないととも思います。
指導者を夢見ていますか?)
そうですね。そっち系には行きたいですけどね。
大学終わって、まだプロじゃない愛媛FCに来た頃は迷いは無かった?)
迷いというかその時期はサッカー辞めようかなと思ってた時期なんで。
その時は先生を目指していたんで。学校の先生に。
一応、大学で教職も取ってたんで。
ご両親はホントはそっちになって欲しかった?)
なって欲しかったでしょうね。収入も安定してるし。
JFL1年目のときにサッカーしながら(東予西中学で)先生もしていたので。
そのときは大変じゃなかったですか?)
そのときは先生やってサッカーやっているか、寝てるかっていう。その3つしかなかったですね。
ほんとにしんどかったですね。
主に先生やってお金もらってたので
どっちかっていうとサッカー選手というよりは先生でしたね笑。
よく学校で子供達に何で試合に負けたん?とかって聞かれましたね笑。
今でも子供達は応援してくれている?)
そうですね。年賀状とかも来ますし。うれしいですね。
そのころは忙しすぎで休みが欲しかったですね。
朝6時に起きて学校行って終わって練習に行って
土日は遠征でどっかいって夜中バスで帰ってきて、翌朝学校みたいな笑。
なので今の立場はホントに幸せでありがたいですね。
そのことを思い出したら今苦しいのは何でもないですね。
でもしんどかったけどその頃は学校がいやとかサッカーがいやとかはなかったですね。
ムチャクチャ濃い毎日を過してましたからね。
普通では味わえない生活?)
そうですね味わえない。っていうか味わいたくない笑。
(Jに)昇格してなかったらサッカーやってないかもしれないですね。
なぜ先生ではなくサッカー選手を取ったの?)
サッカーやってるうちにもうチョットやりたいなと思ってて。
あの1年(05年)でJにあがる事が出来て、自分自身も生活費くらいは稼げるようになったから。それだったらやってみたいなと思って。
プロサッカー選手をやってみてどうですか?)
今ホント人生で一番いいんで。
自分のやりたいことが職業だっていうのは最高だと思うんで。
今恵まれてるなと思うんすけどね。朝起きてサッカーやって、一日が終わるって。
他の人に申し訳ない感じですけど。まあそんだけ特別な職業だとは思いますけどね。
でも親は子供の事を心配するから
JFL時代の僕を見てた時は辞めてはやく他の仕事して欲しいと思うでしょうね。
愛媛FCユースに来たのは?)
僕の場合は1つ上の(黒河)貴矢が千葉の市立船橋にいったから、
練習に行ったらそこの(布)監督からもうちに来たかったら取るよって言ってくれたんすけど。
だから選択肢が(市船か愛媛FCユースの)2つあったんすよ。
で、どっちにしようか迷って。近場を選びました笑。
青野君と同じふるさとで同じチームで、今同じポジションなので一緒にまたピッチに立ちたい?)
そうですね。そうなれば丹原が盛り上がっていくんじゃないですか笑。
今、試合出てないですけどまだ第1クール終わったばっかりなんであと2クール残ってるんで。
自分にチャンスが巡ってくるだろうなと思ってるんで。練習でアピールして。
やる気をなくしたらそこで終わりだと思うんで。
常にやる気だけは持ってがんばろうかなと思いますね。
井上君の夢は?)
サッカー選手でなくなってもサッカーに携わっていたいなとは思いますね。
丹原町民にメッセージを?)
丹原にですか笑?
そうですね。僕と青野大ちゃんががんばって
丹原って名前をドンドン広めていきたいと思うんで
みなさんも一緒に丹原町を盛り上げていきましょう!
ハッハハ。これおかしくないですか笑?
“サカ魂”スピンオフ企画・取材後記〜DF関根永悟編〜
益々ファンになりましたね。特に“関根かあちゃん”の笑。
関根君とお母さんのわずかな会話だけで
二人の関係が凄くいいのだろうと容易に想像できました。
Jリーガーだけでなく少年サッカーや高校サッカーの選手の親御さんって
本当にがんばってますよね。
(もちろんサッカーだけではないですが)
お母さんが毎朝、4時に起きてお弁当を作ってくれたとか
お父さんが練習後、1時間かけて練習の送り迎えをしてくれたとか。
成功する選手は例外なく家族や周りの支えがあります。
まだ、そんな経験は無いけれど
いざ自分ができるかと言われればちょっと考えてしまいます。
憧れだけでは乗り越えられない現実の厳しさが支える人にもあります。
でも、それをやり遂げて息子がプロサッカー選手になってくれた。
二人にしかわからない絆に少しだけ触れられたような気がします。
ファンにもお馴染み、関根君はいつもニコニコ。
この日の取材も笑いが耐えませんでした。(南、高杉両選手がいたので余計に笑)
でも、こっちに来た当初は
耐え切れないくらいのホームシックにかかっていたとは知りませんでした。
そりゃそうですよね。
まったく未知の土地にたった一人でやってきて、仕事しながら
どうなるかわからないサッカーチームに人生をかけていたんですもんね。
バカでかい荷物をみんなで担いで電車を乗り継ぎながら試合をしていた時代を知っている
数少ない“J昇格戦士”の一人。
あなたにしか伝えられない事がたくさんあります。
是非、照れずに今度の関根会でそんな話も少しだけしてみて下さい。
あと
リップサービスだったのでしょうが
「かあちゃんを愛媛に呼んで永住したい」と言ってくれた時は鳥肌もんでした。
関根君、
愛媛に家買っちゃえ
さあて、次回のサッカー魂ヤローは・・・
“サカ魂”スピンオフ企画・完全インタビュー〜DF関根永悟編〜
(“関根会”のメンバー、南、高杉選手と食事しながら 聞き手:江刺伯洋)
まず“関根会”とは何?)
もともとは去年出てないメンバーでメシを食いに行ったんすよ。
サテライト組で。そこから始まったんすかね。
去年は3,4人いたんすけど、ドンドンちっちゃくなっちゃった。ハハハ
もうそろそろ解散の危機笑。
関根選手はどんな先輩?)
南)「人としてはやさしい。あんまり怒んないですね。基本。
これは言えないけど1回キレれられました。言えないですけど」
高杉)「いつもお世話になっています。結構、境遇が似てる。関東の社会でやってて・・・。
尊敬しています(一同爆笑)」
二人の後輩からよく相談される?)
まあ、相談っつうか、いつもグチグチ言ってる笑。
(不満を)溜めちゃあいけないから、みんなで言いあってリフレッシュする。
貴重な会ですね?)
そうですね。そういう人がいないと溜まっていっちゃう一方なんで。
(不満を)出す場、みたいな感じなんで。
愛媛4年目、J昇格時代を知っている関根先輩から、二人の後輩に心構えを!)
そうですね。
でも、こういうことを上から言うと「また上から(目線)?」見たいなこと言われる笑。
いつも言われるんすよ〜。(南、高杉爆笑)
俺がちょっと試合出て「お前らがんばれよ」みたいなこと言ったら、
まあ実際は言ってないんすけど言ったようになって
「すぐ試合出ると上から言うんだから〜」みたいな風に言われるんですよ(二人爆笑)。
まあ、そういうので盛り上がっていく会です笑。
今後も関根会を宜しくお願いします。(全員爆笑)
まあ、
仲良く年の差を感じさせない。何でも言い合えるので好きですね。楽しくやってますよ。
南)「こういう先輩がいる事でいいチームになっていくと思う。いい先輩です」
泣けてくるね笑。
選手会長として気にかけていることは?)
選手会長よりもチームとして、成績もあるがホームの観客動員数ですね。
やっぱりもう少し。こういう時こそみんなで集まって盛り上げて行きたい。
J昇格のときの盛り上がりを知ってるだけに寂しい?)
そうですね。
あの盛り上がりを勢いをもう一回、このチームにもってきて。
J3年目なんで勢いがないと上にいけないと思うんで。
選手だけじゃなくて周りからも会場からも盛り上げてもらって
うちらもがんばって一丸となって勝って行きたい。
ところで選手会長って何をする?)
主に・・・雑用笑?
チームの決め事とか決めたり、あと決起集会とかの場所決め?
決め事とは罰金とか。遅刻とか試合で悪質なファールをしたときとかの罰金を決めています。
後は選手会長が集まるJリーグの会議に出席したりですね。
愛媛での4年目を振りかえると?)
よくいるなみたいな笑。
よく愛媛に残ってられるなみたいな。試合も1シーズン通してレギュラーで出た事も無いし。
試合数も半分ぐらいだけどよく残ってられるなと。
JFL時代のホンダFC戦(2005年6/18)での伝説のスーパーボレーについて?)
今思い返すと信じられないですね。
南選手は知ってます?)
南)「知ってます。映像でみました。すばらしいですね。
でも、たまたま残って打っただけでしょ笑?」
サボってたらボールが来ました笑。ビックリしました。
でも、勝てないのが俺なんですけどね。
(結果は2-2のドロー。詳細『オレンジ色の夜明け』DVD、書籍)
Jの初ゴールも“ペナルティエリア外”からのヘディングだったし。(全員爆笑)
あれはギネスに載せて欲しいな。あれもすごかったね。感動的だった。
愛媛に来た経緯は?)
ホンダ(ルミノッソ狭山)に五年いて。いちおうJは目指してたんですけど。
なかなか機会が無くて。
5年目のシーズン始まる前に、チームはJFLを目指していたんですが
上がれなかったら違うとこ行こうと思ってやってたら上がれなかったんですよ。
それでどうしようかなと思って。
J目指しているチームを探していたら、愛媛に知り合いがいるスタッフがホンダにいて。
セレクションがあるのを教えてくれて。
セレクション受けたら受かっちゃいました。
頭も五厘(刈り)にして、目立つかなと。
そこから考えたらJリーガーになれたのは奇跡ですね。
愛媛1年目の最初もホームシックにかかって。ホントに笑。
最初1ヶ月間くらいはやばかった。
知り合いもいないし。しゃべる人もいないし。道もわかんないし。
サッカーもろくに出来なかった。
1ヶ月は仕事もしてなくて。
でも、仕事初めてから落ち着いてからはサッカーも出来るようになった。
サッカーを始めたきっかけは?)
幼稚園のアルバムを見ると幼稚園の頃からサッカー選手になりたいって書いてあったので。
幼稚園の時の友達のおじさんがサッカーチームのコーチをやってた。
それで一緒にいったのがきっかけだと思います。
Jリーガーになるまでは家族の支えが大きかった?)
中学校はクラブチームに入ってたんですけど、
学校終わると直ぐに行かないと練習に間に合わない。
場所が遠かったので。
毎日、親が車で迎えに来てくれて。そのおかげで練習にいけて。そんな事があって・・・
感謝してますね。
今でもお母さんと連絡する?)
そうですね。向こうが子離れできてないんで笑。
一人っ子なんで、結構連絡は来ますね。
食材とか送ってくれて。おばあちゃんからも。冷凍食品で。
かあちゃんは埼玉の川越にいます。
なかなか直接は会えない?)
今までに愛媛に1回来ただけですね。来ても困っちゃうんですけど。照れくさくて。
今プレーしているのはサポーターの為でもあるが、かあちゃんのためでもある?)
そうですね。ありますね。かあちゃんのためにも親孝行したいなみたいなのはあります。
これからの抱負は?)
(同じポジションの)高杉が横にいるんで言いづらいですけど笑、。
まず試合出ないと始まんないんで。それからチームを上にあげたいですね。
で、関根会、全員が出られるのが一番イイですね。
(カメラ目線で)監督、お願いします!ハハハ
描いている夢は?)
一人っ子なんでいつかは親と、愛媛に永住するんだったら母親を呼びたいですけどね。
わかんないですけど、親がそばにいるほうが安心なのかな?と言っておきます笑。
それは結婚宣言?)
それはご想像におまかせします笑。
御礼
昨日のラジオ特番は
久し振りにやり遂げた感に包まれた放送後でした。
番組の完成度などはまだまだではありましたが。
企画を思いついたときの勢いのまま(途中、挫折しそうになりましたが笑)
準備、本番と駆け抜けた爽快感を味わえました。
聞いた人がどうかはわかりませんが・・・
ただ、番組に参加してくれたゲストの皆さんや
リスナーの皆さんがこんなにもチームを愛しているんだというのが
凄く伝わりました。
それが力になりました。ありがとうございました。
また
やります!
今夜、決行!
GW特別番組ラジオ生討論
『愛媛FC これで委員会!!』
南海放送ラジオ:午後10時〜12時
特別委員:Jリーグチェアマン・鬼武健二氏
スポージャーナリスト・二宮清純氏
参議院議員・友近としろう氏
委員:愛媛FCゼネラルマネージャー・佐伯 真道氏
愛媛新聞社・久賀 大輔氏
ファンサイト「J’sGOAL」、サッカー専門新聞「EL GOLAZO」・近藤 義博氏
フリーライター・寺下 友徳氏
議長:南海放送アナウンサー・江刺伯洋
愛媛の未来はここにある!
“サカ魂”スピンオフ企画・取材後記〜MFキム・テヨン編〜
とってもオープンでマジメな選手でした。
若いのに、浮わついたところがなく、かといってピチピチ感(古!)も
あってちゃんと自分を持っているという感じでした。
周知の通りルックスも良いので
もっとスカしてるかと思ったらゼンゼンそんなことなかった。
友達のように話してくれ心地よかったですね。
まあ、こちらにあわせてくれたのだと思いますが笑。
弱冠19歳ですよ。自分を省みて、ホント尊敬です。
会うまでの彼の印象は何といってもミドルパスです。
シーズンの開幕前、ファジアーノ岡山とのトレーニングマッチ。
右足から放たれる20〜30mのサイドチェンジのパス。
速くて正確でした。
うわ〜これは噂に違わぬ楽しみな選手が来てくれたなあと一目ぼれしまいました。
本人に聞くと
「高校時代、ミドルパスはメチャクチャ練習させられました」と言われナットク。
丁度、その頃韓国チャンピオンになったんですよね。
ただ、今は戦術の関係もありその得意技を出す事が出来ず迷っているそうですが。
はやく愛媛のファンにビターッとはまるテヨンパスを披露してもらいたい。
高校時代の活躍が認められて韓国のサッカー協会が選ぶサッカー留学生になったエリート。
日本語も半年ぐらいでだいたい聞くのは大丈夫になったそうで。
頭もいいんです。
聴きながらほとんど覚えたということは
かなり耳がいい。音に敏感なのでリズム感があるんでしょうね。
大切です。サッカーでも、人と接する時でも。
日本にはやく溶け込もうとする姿勢も尊敬できますね。
おそらくそのまま韓国にいてもプロになったでしょうけど、
敢えて異国の地にやってきたチャレンジャーです。
優男風のルックスに騙されてはいけません。
彼も韓流的サッカー魂ヤローです。
小さい頃は細すぎでお母さんが心配して、
運動を辞めさせるほどだったことも影響しているのでしょう
食事や体調管理もしっかりしています。
ヴィッセル神戸時代は寮で食事があったから楽だったけど、
今は一人暮らしでなかなか大変だよね〜と言ったら
いや、そういうことも自分でしなくちゃだめです!と逆に叱られました。
スイマセン笑。
そういうところもプロ意識が高い。
何度も言いますが19歳ですよ。
韓国は得意な事をのばそうという教育システムで
学生時代、午前は勉強、午後はサッカーばかりやってきたので
勉強は小学校からあまり出来てませんといってましたが
多分、勉強だけやっていても成功したタイプですね。
どんな教育をしてきたのかご両親が愛媛に来られた時、是非教えを請いたいものです。
彼の速くて正確なミドルパスが
愛媛の成績も観客動員も逆のサイドへ導いてくれるはずです。
さあて次回のサッカー魂ヤローは・・・
“サカ魂”スピンオフ企画・完全インタビュー〜MFキム・テヨン編〜
(インタビュー場所:キム選手の自宅にて 聞き手:江刺伯洋)
サッカーを始めたきっかけは?)
小学校の時に友達とグラウンドでサッカーしながら遊んでいたんですけど
その時、サッカー部の監督がきてサッカーやってみないかといわれて
それからやるようになりました。
小学校3年生の時ですね。
それからずっとやるようになった?)
3年生になって体が弱いからとお母さんに言われて
4年生の時に1年くらいやっていなかったんです。
それからまたやるようになりました。
小さい時は体が丈夫じゃなかった?)
そうですね。
体が結構細かったので、ちょっと危ないかなとお母さんが言ってて。
サッカーは激しいから辞めなさいと。
なのにまた始めたのは?)
やっぱりサッカーが好きで。
高校時代、フランスでサッカー留学をしていたそうですが?)
韓国のサッカー協会から3人選ばれて留学させてくれるんですけど
全部サッカー協会がやってくれました。
フランスのメツというクラブです。
どうでしたかフランス留学生活は?)
食事が合わなくて大変で、
試合も激しくてケガばっかりで大変だったけれど
自分も激しくなったし良かったと思います。
プロサッカー選手になるとずっと思っていた?)
中学生の頃から思ってました。
高校のときが一番強かったですね。全国一番になりました。
日本に来るようになったのは?)
フランスから帰ってきてちょっと韓国でやってて
代理人が日本に知り合いがいて
日本でテストの機会があるけどやってみないと言われてそれでOKといわれて来ました。
韓国は若いときから代理人をつける人が多いんですよ。
日本語がメチャクチャ上手いですよね?)
はい、勉強がんばりました。ハハハ
日本に来て3年目でどうやって勉強したの?)
しゃべっているのを聴いたりとか、自分で単語を覚えて。
ドラマとか映画とか日本で見て
意味がわからなくてもとりあえず見ようってやってましたね。
今は普通にわかりますね。
本とかはあまり使わなくてドラマとか見ながら。
いっぱいやりましたね。
音を聞いて自分が単語を覚えたのを
他の人がどうやってしゃべっているかを見て聴いて覚えました。
一番最初に覚えた日本語は?)
あいさつですね。
「ハジメマシテ」です。書くのは無理。ハハハ。
漢字がゼンゼン。
フランス時代はフランス語も?)
今はゼンゼン。ハハハ。
カッコ良いですよね。男前ですよね?)
え、僕がですか?とんでもないです。
モテるでしょ?)
そんなにもてないです笑。
女性のファンが多いですよね?)
そうでもないですよ。いつも顔を暗くして歩いてるんで。ハハハ。
好きな女性のタイプは?)
最初に見ていいなと思ったら。特にタイプは無いですけど。
一緒にいて感じが良いなと思ったら。雰囲気とかですね。
日本の生活は寂しくないですか?)
もうだいぶ慣れて大丈夫ですね。
結構、お母さんとか家族と電話してるんで寂しくは無いですね。
1週間に3回くらいしますね。
話すのはお母さんが多い?)
お姉さんが多いですね。
お姉さんが2人いるんですけど。3人姉弟の一番下です。
最近元気?とか、最近韓国でこんな事があったよとか言ってくれますね。
じゃあ、仲良し?)
そうですね。結構仲良いですね。
休みの時は何をしている?)
家でスカパーでサッカー見たり、あと車でドライブ行ったりとかしてます。
で、愛媛FCに来た経緯は?)
去年、シーズンの最後にヴィッセル神戸の人に言われて、
愛媛からオファーがあるけどどうするって。
神戸におっても試合出られないし、出てもたまにしか出れないから。
J2は試合も多いし経験してみたらと言われて来ました。
ヴィッセル神戸ではリーグ戦5試合の出場。神戸時代について?)
結構自分でも良かったと思ってたんですけど、いい選手が多いし。
神戸の時は良かったと思います。
韓国の各世代の代表の経験があるが、代表は気になる?)
ずーっと代表呼ばれてやってきたんで、
いつかはまた代表に入りたいと思ってます。
開幕からスタメンで出ていたが、今は数試合出ていないが?)
やっぱりもっと調子を上げて、
チームに何が足りなくて自分が何が出来るかを考えてやりたいです。
自分に足りない物は?)
やっぱり攻撃の時にボールに絡んでもうチョットゲームを作るようなことをしていきたい。
昨日の試合で愛媛は最下位になったが外から見て感じる事は?)
やっぱ愛媛のサッカーって守備を固めて
しっかりボールとって自分達のボールにして
そこから点を決めるようにしているので
攻撃力をあげながらゲームを作っていけばいいとおもう。
今、チームは最下位で落ち込んでいます。
以前、キム選手が言っていた“強い気持ちを与えたい”というのが必要?)
そうですね。
ずっと最近は試合がよくないんで
もうちょっと心もしっかり強く持って選手みんなで話し合っていきたい。
今度出たらこうしたいというのは?)
やっぱり中央での強さですかね。
けっこうリバウンドとかを拾われてやられてるんですけど、
それをしっかり自分達のものにしてもっと強くやっていきたい。
お父さん、お母さんに昔からよく言われていることはありますか?)
ちっちゃいときからサッカーしかやってきてないので、
サッカーじゃないとなんも出来ないからがんばりなさいみたいなことは言われます。
夢は?)
やっぱり今年は愛媛で試合に出る事です。試合をたくさん出て経験をつむこと。
最後にファンへ)
最近、ずっと負けているのでその悔しさを持って、
そこから勝利できるように強い心を持ってやっていくので応援宜しくお願いします。
“サカ魂”スピンオフ企画・取材後記〜DF深水章生編〜
しゃべってみて凄く落ち着いているのが意外でした。
大学卒業したばかりなのでもっと今風(?)なのかと思ってました。
コメントも地に足がついているというか。
ホント、真面目でいいヤツって感じでした。
小学校の時の指導者・門家監督も「昔から飄々としていた」と言ってましたし、
堀江という穏やかな風土が彼の性格を形成したのでしょうか。
両親の教育もあったんでしょうね。
ただ、小さい頃からめちゃくちゃな負けず嫌いだったそうで。
負けた試合は「悔しくて悔しくてチームで一番泣いていた」(本人談)そうです。
やっぱり彼も“サッカー魂ヤロー”でした笑。
サッカーだけでなくプロにまで上り詰める人って
例外なく規格外の負けず嫌いですもんね。
実は私、彼が中学の時の試合を実況しているんです。(深水君の同級生のお母さんである岩本さんに言われるまですっかり忘れていました。スイマセン。2000年愛媛県ジュニアユースサッカー選手権決勝愛媛FCジュニアユース2-0西条東中学)
その試合を見返すと深水君は当時はボランチでいい仕事してるんです。
でも私の実力不足で彼の上手さをちゃんと実況してないんです。
経験も浅かったので
ついつい攻撃的な八板君とか尾花君ばっかり追いかけていました。
ダメアナウンサーの典型でした。申し訳ない。
深水君は14年前、愛媛FCが最初にサッカースクールから立ち上げた時の
1期生なんです。
あの時の小学生がトップチームで入団するなんてなんか運命を感じます。
これまでもユースから他チームを経てトップチームへというのはありましたが
ジュニアユース、サッカースクールからというのは彼が初めて。
愛媛FCの未来の為にもこの流れを大切にしていきたいですね。
そしてはやくユースから直で入団する
“地元生え抜き高卒ルーキー”を見てみたいもんです。
その意味でも後輩達、ユースの選手が深水君のプレー、言動に注目しています。
深水君がトップでも成功すればするほど
後輩達の通る道は綺麗に整備されます。
たくさんの期待とプレッシャーが彼にかかることになりますが
余計な心配をしているのはこちらだけで
しゃべり方と同じように
そんなものは飄々と乗り越える
“ストロング・ハート”、“ストロング・ウィル”の持ち主だという気がしました。
さあて、次回のサッカー魂ヤローは…
“サカ魂”スピンオフ企画・完全インタビュー〜DF深水章生編〜
(インタビュー場所:母校・堀江小学校体育館にて 聞き手:江刺伯洋)
子供達とのフットサルを終えての感想は?)
疲れましたね。ハハハ
初めてやったの?)
そうですね。チビッコとやるのは初めてですね。
上手い子もいた?)
そうですね。中にはスピードある子もいたりして。楽しみですね。
堀江小学校に帰ってくることはある?)
あまりないですね。
今日戻ってきての感想は?)
そうですね。僕もここで6年間やってたので。非常に懐かしい気持ちになりましたね。
子供達だけでなくお母さん達からもサイン攻めでしたね)
もっと活躍してもっともっとみんなに名前を覚えてもらえるようにがんばりたい。
サッカーを始めたきっかけは?)
それが良く覚えてないんですけど、
親に聴いたら小さい頃からサッカーがしたいと言ってたみたいです。
愛媛FCのスクール1期生になる?)
そうですね。出来たばっかりの頃から通ってます。
そのトップチームに入るようになったというのはどんな気持ち?)
その頃は漠然とプロでやりたいと思ってたと思うんですけど。
実際、この舞台で出来るとは思ってなかったんで非常に嬉しいです。
地元の応援は感じる?)
そうですね。
地元でプロでやってると友達とか知り合いによく“がんばれがんばれ”といわれる事はあります。
その声援はどう?)
そうですね。いい意味で自分にプレッシャーというか活躍してでないといけないなと。
いい意味で。いいモチベーションになってます。
大学卒業する時は就職を考えていたそうですね?)
大学の時は就職活動もしていて。そんな時に(入団の)話を頂いて。
その時はよしやるぞ!と思った?それとも迷いがあった?)
自分の中でサッカーをしたいというのがありましたので、嬉しかったです。
とりあえずサッカーをプロで出来るというのは嬉しい事なんで。
それがまた地元だったというのがさらに嬉しかったです。
今年は唯一の地元ルーキーですが、愛媛FCユースの後輩から見られる存在ですが?)
そういう意味でもはやく試合に出て活躍したいと思っています。
敢えて今の自分の課題は?)
とにかく自分の良さであるヘディングとか対人の強さって言う部分を磨いて
さらに通用するものにしていきたいなと思います。
練習後も個人で練習してますね?)
もっと上の高いレベルでやるためにも個人でやるという時間は大事だと思う。
出場したらどこを見て欲しい?)
やっぱりヘディングですね。
ディフェンスでは跳ね返すであったり、セットプレーでも得点に絡んでいけるようなヘディングをしたいなと思います。
お父さんがファンクラブに100人入れたというのはホント?)
そうですね。親も張り切って入れてがんばって集めてくれました。ハハハ。
プロ入りについて親と相談もした?)
イヤ、特には相談しなくて自分で思ってる通りに応援してくれてたんで。
特に何も言わないんです。無言で応援してくれているというのが伝わってきます。
出場しなくても親はスタジアムには来てる?)
毎試合来てくれてます。
将来の夢は?)
とりあえず試合に出て、こういう地元の小学校とか応援してくれているんで
子供たちに夢を与えられる選手になれたら嬉しいと思います。
ユース時代は代表経験もあります。フル代表も狙いたい?)
まずはやっぱり試合に出てそれでしっかりそこで活躍できたらいいなと思います。
最後に特に地元ファンへ)
こういう風に地元の小学校や保護者の方が応援してくれているので、
その期待にこたえられるにしっかり試合で出られるようにがんばりたいです。