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インタビュー場所:自宅  聞き手:江刺伯洋

時間があるときはお子さん・遙久君と過すことが多い?)
そうですね。結構、家にいる事が多いから
治療も(子供と)一緒にします。怪我しているときとか(練習場の)サンパークに連れて行きますね
で、山さん(トレーナー)とかが(こどもを)見てくれるから

ベビーシッター代わりに?)
はい笑。まだ、あんまり泣かないから楽です

家族といるとリラックス?)
そうですね、リラックスになりますね

子供が生まれてから自分が変わった?)
家族が一人増えたという部分では責任感が増えたと思いますね
でも、基本的には変わんないですよ。昔からちゃんとやってたし

遙久君が生まれた時の感動は覚えていますか?)
覚えてますよ
病室で待ってて。嫁さんのお母さんとうちの親で待ってて
弁当食ったりリラックスしてたんすけど
そしたらいきなり生まれて遙久をバーって連れてこられて
来たと思ったらまたバーッと持っていかれて。何がなんだかわかんなくて3人とも
何がなんだかわかんなかったけど、感動はしました笑
でも、(出産が)終わった後松山に来ないといけなかったので。もう直ぐ
生まれて1時間も経たないうちに病院出て空港向かう形だったから
ちょっと残念だったですけど。

それは入団の為に?)
そうですね。1月15日に(子供が)生まれて、チームは15日に始動してたから
1日だけ休ませてもらって、16日から練習入れるようにって感じだったから

じゃあ、生まれてチラッとしか見てない?)
もうほんと、チラっしか見てないです
一瞬でした

それは辛いですね?)
いや、もう辛かったですね。それから1ヶ月帰れなかったですし
最初はオフが何日かあって1日休みでも(山梨)に帰ってました
じゃあ、つぎにちゃんと遙久君に逢えたのはいつ?)
2週間後くらいかな。バタバタでしたよ。家も探しながらだったんで

その頃、携帯の子供の写真ばっかりを見ていたんですよね?)
携帯で画像を送ってくれるから
毎日見て、何回も再生したり直ぐ電池が無くなってました笑
今、ヤット落ち着きましたね

サッカーを始めたきっかけは?)
幼稚園から始めて。気付いたらやらされてました
(実家の埼玉に)青葉幼稚園って言うサッカーチームがあって

埼玉花咲徳栄高校時代の思い出は?)
いや〜走っているイメージしかないですね
特別結果を残しているチームでもなかったしキツイだけでした

プロを意識したのは?)
小さい時からプロになりたいなとは思っていて
まさかなれるとは思ってなかったですけど
意識したのは(帝京)大学の2,3年ですね。Jリーグのチームをよく練習試合してたんで

甲府に入団した経緯は?)
セレクションで入って。(大学)3,4年の時とか甲府と練習試合やってて
(当時の監督)大木さんが見ていてくれたからですね

甲府の5年の思い出は?)
あっという間の5年間で必死でやってたから充実していた
サッカーしか考えない生活だった。遊んでるまもなくあっという間でしたね

愛媛に来る経緯は?)
甲府の監督の安間さんが薦めてくれたのもあったし
トライアウトで望月監督が見てくれたので

愛媛での戸惑いはあった?)
環境は甲府とあんまかわりなかったから
やってるサッカーは違ってたので。まあ、だいぶ慣れましたけど
街は甲府よりおっきいし、温泉があるし、いいですね

子供がいくつになるまではサッカーを続けたい?)
(遙久が)物心つくまではやりたいと思ってますけど

じゃあ後10年くらい?)
いやそれはいけないでしょ笑!
まあ出来るだけ長く続けられれば。でも、簡単には辞めない

夢は?)
やっぱJ1を(甲府で)2年経験してJ1でやりたいって言う気持ちは相当あるから

愛媛をJ1に上げてくれる?)
そうなるといいですね。チャンスがあったら今年だってわかんないですし
はやければはやい程いいですね

パパとしての誓いの言葉を!)
まあ、僕が生きている間は家族の大黒柱なんで
しっかり仕事してメシ食わしてかなきゃならないんで
がんばりたいと思います!