ついに動き始めました高校サッカー
(第94回大会パンフレット用コラム)
共に当時を振り返る敗者二人のコメントである。
「“それ”しか頭に無かったですね。憧れの場所です」
「“そこ”に全てを賭けてもいいくらい夢のある大会です」
前者は1991年第70回大会の県大会決勝で自ら得点しながら
八幡浜工業の怪物・森岡茂にやられた南宇和OB、北内耕成(サガン鳥栖~現愛媛FCアシスタントコーチ)。
後者はその5年後。1996年第75回大会の同じ決勝の舞台で
宿敵・南宇和に敗れた新居浜工業OB、伊藤宏樹(川崎F~現川崎Fサッカー事業部)。
2年生で出場していた北内は膝の怪我を痛み止めで散らしていたが堪え切れなくなり
最後は痛みを紛らわす為、手を噛みながらプレーをしていたそうだ。
理由は「それでも出たかったから」。
敗れた後、城辺町(現愛南町)へ帰る3時間のバス内で声を発するものは
誰一人おらず、しかも翌日の練習は朝6時から始まったそうだ。
それが翌年の全国での躍進へと繋がった。
一方の伊藤は野心家だった。
「ここで活躍して全国で名前を売るんだ!ってギラギラしてましたね」
3年生最後の戦いでの惜敗はロッカールームで号泣しても受け入れられず、
悔しくて悔しくて全国大会のテレビ放送も見なかったそうだ。
スマートな外見からは想像できない内なる炎。
その想いがあったからこそ、プロの世界で13年。リーダーとしてもチームを牽引した。
「こういう舞台を経験するかしないかで人として成長すると思うし、可能性がドンドン広がると思うんです」
因みに翌年の76回大会で後輩たちがキッチリやり返している。
後にプロになったことが成功の全てではないが、“それ”と“そこ”が今の彼らを作り上げたというのはハッキリと断言できる。
何年、何十年経ってもう一度聞いても彼らの答えがブレることはないだろう。
さて、“そこ”への出場権を獲得した20チームが出揃った。
現在(9/11)、全チームを取材する弾丸企画で愛媛を駆け回っている真っ只中
(「ロッベン江刺が勝手に高校サッカーを盛り上ゲルンデス!リターンズ」ラジオ毎週日曜9時~、
南海放送HP、「激闘!高校サッカー」テレビ毎週月曜21時54分~)。
取材の都合上、現時点では南予勢しかお伝えできないが現場に行かないと判らない新しい発見が今年もたくさんあった。
練習メニューを週1回、公式戦のスタメンも選手達で決め始めたという南宇和。
技術や才能だけでなく生活態度など、大人顔負けの細かい査定基準がある。
責任感が増したことでチームに“関わる”選手が飛躍的に増えたそうだ。
大洲はキング・オブ・コントなどで話題のお笑い芸人・バンビーノ。
「ダンソン~、ニーブラ(捕獲)!」と言いながら獲物を仕留める方がサッカー部OBの石山大輔さん
(コメントもいただける予定)。今、高校生に大人気。情報が遅すぎたのは私だけでした。情けない。
毎年、訪れるたびに感心させられるのは帝京第五。“挨拶選手権”があればダントツで優勝するだろう。
ここは練習シューズの並びまでも完璧。ビッチリ一直線。
「5人に1人がサッカー部なので学校の看板を背負ってます」と意気込むのは60人の大所帯吉田。
地区代表戦で宇和島東と死闘を演じた粘りが身上だ。
毎年、体育祭の日程と悪戦苦闘しながらの八幡浜工業。
どの選手も「今年は走ってきましたから大丈夫です!」と胸を張る。
が、出来れば影響の少ない日程を抽選会で引き当てて欲しいものだ…
などなど訪れたチーム全部にガッツリ思い入れが出来た。
この紙面では到底書ききれないので残りは上記の番組などで是非、チェックしてください。
今年は愛媛FCもFC今治もこれから大一番を迎え例年以上に盛り上がっている。
しかし、冬の主役はやっぱり“選手権”。
木山ジックも岡ちゃんも吹っ飛ばすような旋風を巻き起こし愛媛をサッカーで塗りつぶそう!
全選手に告ぐ、全身全霊を傾けて愛媛の代表切符をニーブラせよ!!