山下泰則アナウンサー

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By南海放送

ラジオソムリエの白☆優です♪

 

今回は”山ちゃん”こと 山下泰則アナウンサー

 

愛媛県愛南町に生まれ、

当時 テレビラジオのチャンネル数も少なく娯楽も今ほどなかった

少年時代。 居間で家族みんなで一緒にラジオを聴いていました。

 

入学祝いに何が欲しいと聞かれ

東芝のトランジスターラジオをプレゼントしてもらいました。

 

*山下アナの住んでいた南予 愛南町には南海放送の電波はその当時飛んでいなくて

NHKラジオか民放は 大分放送か高知放送か宮崎放送の電波が入っていたんだそうです。

 

番組にハガキを書いたり リクエストとかしたことは?

 

FMリクエストアワー(NHKラジオ)に

リクエストしたことがありました。

(八木健さんMC)

”ザ・リリーズ”の「好きよキャプテン」

読まれるかなって~ってわくわくしながら聴いてたけど 読まれなくて、

読まれないんだなって。。。思いながらも

ラジオ聴き続けてたら、

数か月後 ふと読まれて

すごく 嬉しくって びっくりした思い出です。

さらにラジオを聴くようになった(笑)

 

このころからアナウンサーを目指していたのですか?

 

「このころは将来の夢の中にアナウンサーとか放送とかはなかったな。

遠い世界な気がしてたのかなぁ。

高校生になって深夜放送が全盛期!

パックインミュージック オールナイトニッポン セイヤングなど聴いてました。

電波状況が悪くて ザーザーいっててもめげずに(笑)聴いてました。

 

大学は東京に。

入学するとサークルの勧誘とかあるでしょ。

そこで綺麗な女性の先輩が綺麗な声で

”アナウンス研究会に入らない?”って

すいよせられるように(笑) 入部しました。

 

そこで授業よりアナウンスの勉強に熱中してました。

アナウンスの専門学校にも通いました。

 

当時からアナウンサーは狭き門だったけど、

南海放送のアナウンサーに♪

 

入社当時は先輩アナウンサーがたくさんいて。

最初のお仕事はラジオニュースのみ、それが数年間続きました。

 

その後、しばらくしてラジオ番組”谷村新司の青春キャンパス”の担当に!

アナウンサーとしてかかわれるのか!!と♪思ったら

”ディレクター”として。

思いがけない、ディレクターとしての関わりだったけれど

各地の高校生がスタッフ。 高校生と一緒に企画・制作をするのが

これが、とても楽しかった。」

 

*”青春キャンパス”は

1980年から1987年まで、文化放送の制作NRN系列全国ネットで放送されていたラジオ番組。

ネット局各局にアナウンサー ローカルタレントから成る「キャンパスリーダー」が設けられ、各地方のリスナーのまとめ役に。

また、オーディションで選ばれた各県高校生たちもスタッフとして番組制作に関わっていた。

 

 

 

 

アナウンサーとしてのレギュラー出演は?

 

「”きっとヒット歌謡曲” 門田アナと松沢はつみアナの番組の

リポーターに!

”コーヒーを飲ませてください”(マダム ル カフェ シルブプレー)

ひとりでマイクもって 愛媛県内 飛び回りました。

いろんなところ行ったなあ(笑)

今だったらちょっと考えられないけれど(笑)当時はアポなしで一般家庭を訪ねていきました。

20代後半 知名度もないし むげに断られちゃうという(笑)

でもリスナーやインタビューした人とのふれあいの楽しさをここで知ったんだなぁと思います。

(その後 この番組担当のアナウンサーになります)

 

 

数年後午後ワイド「SOねやまちゃん どんどんワイド」が始まります。

自分がリスナーとして聞いていた ラジオ番組のMCであった八木健さんをゲストにお呼びしました。

パーソナルなつながりがラジオはいいよね なんて話しをして。

 

東京で予備校に通ったときに

「がんばれ受験生」というラジオ番組で

ニッポン放送の高嶋ひでたけアナウンサーが来て

インタビューを受けて握手してもらいました。

でかい あたたかい感触がとても印象に残ってます。

初めて生のアナウンサーに実際に会った。

その時は まだアナウンサーになろうと思っていなかったけれど

後から振り返ると パズルのひとつだったような忘れられない出来事。

東京支社に転勤したとき ニッポン放送の喫茶で 高嶋さんに再会して

その時の話をしました。

 

 

 

 

ラジオに育てられたという思いが強いという山下アナ。

組織の一員 サラリーマンなので

思いがけない 東京支社への転勤がありおどろきましたが、

視野を広げることができ、楽しくお仕事してました。

そのまま定年かなあと思っていたら

ラジオに!!

 

 

ラジオはよりそってくれるもの ときには家族以上に自分の気持ちをすくいとってくれる。

トークのキャッチボールは直接リスナーさんとの間でできないけれど

それに準ずる キャッチボールができるもの。

心のかよう ぬくもりを感じるものでありたいと

今もそういう気持ちでやっています。

何十年経験しても ゴール地点はないんだよね。

 

ひとことひとことを丁寧に丁寧に確かめるように

話してくれる山下アナ。

お話しを聞いているだけで、安心感に包まれました。

 

 

 

 

”山下泰則アナウンサー”

1957年生まれ、南海放送アナウンサー。

ズームイン朝のRNB初代キャスター。

担当ラジオ番組

”山下泰則のモーニングディライト”

月~木 6:55~9:00

 

 

ラジオソムリエの白☆優でした♪

 

 

たまちゃんと こうやって時々作戦タイム(^^)

ちょっと最近はお互いバタバタでできてないけれど、

心癒される 楽しい時間です♪