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2013年7月29日: 1:36 PM: スポーツ

暑い、そして熱い夏。

高校野球の県大会が終わりまして、

皆様、ご存知のように済美高校が 春夏連続出場。

甲子園に「忘れ物を取りに行く」闘いをしに行きます。

 

 

さて、準決勝と決勝を生中継した南海放送ラジオですが、

僕にとっては生レポートは初。(矢田部ANが済美側、白石が今西側)

 

放送の中でも出てきましたが、

母校の応援席リポートという

貴重な経験をさせてもらいました。

 

もちろんボロボロでしたが…

 

伝え切れなかった応援席のエピソードも多く、

こちらで紹介させていただきます。

 

<吹奏楽>

「実は、もう準備進めてるんですよ!」

そう笑顔で話してくれたのは部活を引退した3年生の前部長の方。

今治西高では、甲子園の打席に立ったとき、

選手が演奏してほしい曲を、吹奏楽部が聞いて

そのリクエスト曲を試合で演奏します。

(県大会はプレイ中の演奏ができないので甲子園だけです。)

 

吹奏楽部は8月1日にいわゆる公式戦を控え、

応援・甲子園準備・大会用の曲をバランスよく練習(他の学校も同じ条件ですが)

野球の試合のある日は試合の前後に少しでも練習をします。

 

そこまでがんばる原動力はなにか。

学校行事だからだけではありません。

それはお互いに感謝の気持ちを持っているからと語ってくれました。

 

「野球部と吹奏楽のお互いの信頼・感謝の気持ちは歴代No.1かもしれません!」

 

逆転を信じ、最後の最後まで笑顔で応援を送りました。

 

2006年から毎年春・夏どちらかの甲子園に出場している今治西。

共に闘い、共に歩んできた両部活。

「壮行会でも、野球部は(私たちを含め)支えてくれる人に

いつもありがとうと言ってくれるし

吹奏楽部の3年が部を卒業する定期演奏会(6月)で花束をくれたんです。

うれしかった。

だから、部活を引退しても希望を出して、野球応援し続けています。」

 

部を卒業しつつも志願して、演奏に加わった10人。

さらに、決勝で演奏するために京都からきたという、

今年、高校を卒業した大学生も。

 

「昨日新幹線で来て、今日、帰りますよ(笑)」

 

片道4時間、 新幹線は大学生とっては高価な移動手段だと

僕は学生時代思ってました。

お金と時間をかけても駆けつけてくれるのは、

野球部の日ごろの行いがしっかりしているからでしょう。

他の学校もそうですが、

全力プレーで恩返しする選手と それを支える人の信頼あってこその応援ですね。

 

 

<保護者会>

選手を一番近くで見守ってきた保護者会。

大会前 2~3週間かけて千羽鶴を作りました。

その千羽鶴にソフトボール大のボールの飾りをつけました。

白球には「挽回」と書かれています。

 

去年のチームのこととはいえ昨夏、22の三振を奪われ、

新チームになって秋には初戦敗退。

言葉にならない悔しさを胸に、

檜垣主将が「挽回」の夏にすると誓いました。

保護者も子どもたちと同じ想い。

「挽回」と書かれた千羽鶴を渡しました。

 

自身も今西野球部OBで、

保護者会の代表を務める横手君のお父さん。

 

「できんことはできんですから。

子どもたちには、やれることをしっかりやってほしい。」

準決勝の際、語ってくださいました。

 

翌日、

三連覇そして、8年連続甲子園をかけた決勝戦

 

試合の展開は接戦。

緊張感のある面持ちで息子たちを見守ります。

 

「(安樂君は)大量に点が取れる投手ではない。

ひとつひとつ。 しぶとく守って、しぶとく攻撃してほしい」

 

選手たちは1点を、1球を必死に追いかけましたが

願い届かず、敗退。

 

「彼らは最後まであきらめなかった。結果はともかく、

最後まであきらめない姿勢を教えて貰いました。」

「(息子は)最高の仲間と出会い、プレーができた。」

 

もう少し息子たちの野球を見たかったともおっしゃいましたが

息子たちの成長を実感した横顔は、うれしそうにも見えました。

 

まだまだご紹介しきれないエピソードはあります。

チアリーダーが一夜漬けで作った花飾りだとか、

以前勤務していた先生や 卒業した去年の野球部が訪れた応援席などなど

 

今回は担当した今治西のエピソードでしたが

各校にそれぞれドラマがあって、

夏の高校野球はみんなの思い出が集まる場所なんだと感じています。

また来年、もう少し成長してリポートしたいと思います。

 

長文かつ、つたない文章を最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

ちなみに…

決勝のあと 両校の野球部員が観客席のゴミ拾いをしていました。

夏の舞台へ感謝の気持ち。

ご紹介までに。

2013年7月19日: 4:34 PM: 未分類

連日暑い日が続きますね。 体調いかがでしょうか?

さて、ブログの「はじめまして」の記事やラジオなどで小出しにしてきました

「自転車で帰ってきた」 について書いてみようかと…

 

周りの大学生が卒業旅行だ、卒業旅行だと 言っている時期。

白石は何も考えておりませんで、

「今しかできないこと、何かしたいんだけどなー」

「海外旅行やら国内旅行やら、別に今でなくてもできるよなー(多分)」

贅沢な悩みです。

 

そこで思いついたのが

「時間はあるし、自転車で愛媛に帰ってみるか」

という経緯で

今年3月、東京→松山 720キロ自転車完全走破の旅を決行。

 

ただ無謀な性格ゆえ

1、いつ、どこまで、どう行くか行程を決めず

2、ギアもなし、電動でもなしの自転車(いわゆるママチャリ)で走る。

3、事前に運動して準備もせず

(絶対にまねしないでください。)

という、見た目はしっかりしてるのに、実はそうでもない一面を見せつつ

3月2日にスタート。

中古のママチャリ。ちょっとコンビニまで…みたいな自転車で松山へ。

 

 

やってみると 旅の前半はやはり足にきました。

毎日筋肉痛。山や峠、せまい道が多く。

もちろん気温差も…山の上は2℃のところも。

のぼせて鼻血がでて、鼻にティッシュを詰めて坂を上った日も。

意外と自転車が通れない道も多く、迂回もたくさんしました。

  

(こんな道も通りました。)

 

しかし、大きな荷物にママチャリ、話しかけてくれる方もいて 元気をもらいました。

差し入れもいただきました。応援の言葉ももらいました。

SNSなどを通じても応援していただきました。

進むたびに、漠然と松山まで行くということが、 自分だけでなくみんなの目標になるといいますか。

とにかく、自分はひとりで走っているのではないという感覚に。

自分勝手に始めた旅なのですが…。

 

今まで、(もちろん今も)多くの方に支えられて生きてきて、

アナウンサーになるという夢もかなえられたんだなぁと

道中、自分の人生を振り返りながら思いました。

今度は、愛媛で夢や目標に挑戦する人を応援していきたいです。

恩返しもこめて。

(自然がご褒美をくれた瞬間でしょうか、しまなみの島・橋などの美しさが胸にしみました)

 

およそ720キロの旅。

地元からこんなに遠いところで勉強させてもらってたのかと

実感・感謝する旅にもなりました。

無謀で危険な旅だったと思いますが、やって良かった。

 

苦しいと思っても、ひとつひとつペダルをこぎ続ければ、 自転車は倒れません。

少しずつでも前に進みます。

その少しずつが重なって目標を達することができるんですね。

勉強になりました。

 

長く、つたない文章を最後まで読んでくださり、 ありがとうございました。

繰り返しになりますが、絶対にまねしないでください。

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この旅の行程

2013年3月

2日  東京→神奈川・小田原

3日  神奈川・小田原→静岡県・清水

4日  静岡県・清水→静岡県・浜松

5日  静岡県・浜松→三重県伊勢

6日  三重県・伊勢→三重県津

7日  三重県・津→大阪・梅田

8日 (知人と会う一日)

9日  大阪・梅田→兵庫県・三宮

10日 兵庫県・三宮→兵庫県・姫路

11日 兵庫県・姫路→岡山県・岡山

12日 岡山県・岡山→広島県・尾道

13日 (知人と会う一日)

14日 広島県・尾道→今治

15日 今治→松山

 

実際に走った日 12日

実際に走った時間 107時間50分(休憩含む)

総走行距離 728.1km( 手元の自転車用メーターによる測定)

使用した自転車 中古のママチャリ(ギアなし・電動アシストなし)

2013年7月16日: 2:20 PM: 未分類

はじめまして!

今年入社しました白石紘一(しらいし・こういち)です。

すでにテレビやラジオのニュース、あな蔵、ヒトミ目線などで

ご覧いただいている方もいらっしゃると思います。

少しずつでも成長できるようがんばりますので

みなさま、よろしくお願いします。

 

高校まで今治に、そしてアナウンサーを目指し上京。

東京にある大学に通い、

Uターン就職が決定。

それを機に、地元へ帰ってきました。

自転車で。

 

ええ、自転車です。3月に。

単なる卒業旅行ですよ。引越しを兼ねて

詳細は次回。

 

ちなみにブログは

日々取材や日常生活などで勉強したこと、学んだことを、真っ白なノートにいっぱい書いていけたらなぁと

白色学習帳という名前にしました。