今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、大洲八幡神社の宮司で「大洲古学堂保存会」事務局長の常磐井守道(ときわいもりみち)さん。大洲八幡神社の宮司さんが代々管理していて“愛媛最古の図書館”と称されている「古学堂」について、お話を伺いました。大洲の気風が育んだ貴重な「古学堂」ですが、西日本豪雨での肱川氾濫で大きなダメージを受けました。この修復へ向けて、クラウドファンディングも実施予定です。

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佐伯)古学堂なんですが、こちらが誕生したのはいつ頃なんですか?

常磐井)はい。古学堂の前身は坂本塾と申しまして、登る坂ですね、坂道の坂に、本、ブックの本ですけども「坂本塾」と申しまして、貞享、元禄の頃ですので1684年から1700年代前半、だいたいまあ320年頃前に大洲の総鎮守であった八幡神社の宮司で国学者の兵頭主水正秀(ひょうどうもんどまさひで)という者が「坂本塾」として開塾したというのが出発点になります。

佐伯)あの、兵頭さんが開塾してのに「坂本(・・)塾」なんですね?

常磐井)はい、由来は八幡神社の坂のもとに塾があったということで「坂本塾」と呼ばれていました。

佐伯)そういうことなんですね!で、この兵頭主水正秀さんは、どういった目的で「坂本塾」を開かれたんですか?

常磐井)はい、もともとは神祇道、つまりこの国の成り立ちですとか神々の存在やその御教えなどを伝えるために広く教えるため、それから神職の子弟を養成するためにですね、八幡神社の宮司が代々塾長といますか学頭を務めて行なっていたということになります。

佐伯)元禄時代、江戸時代中期ですよね。私のイメージですと、江戸時代は身分制度というのがはっきりしていて、例えば武士ですとか限られた方が学問をすることができるっていうイメージなんですけれども、この「坂本塾」というのはどういった方々が学びに来られてたんですか?

常磐井)そうですね、まずは神職、それから神職の子弟、それに加えて地域の学ぶ意志のある人間は広く、それはもう身分に関係なく学べたというような形です。

佐伯)じゃ、それまで学びたくても学べなかった方々に門戸が開かれたということに…

常磐井)はい、そのような形です。

佐伯)そうですか。じゃあ、本当に喜んで意欲のある方が通われてたんでしょうね。

常磐井)そうですね。ただ当時は神典の講釈とか社中もできて弟子も育ったんですが、やはり一般の方にとっては十分に学問のできない状況の方が多くてですね、例えば農業に差し支えてなかなか通えない。それから学びたい意欲があっても金銭面での問題から十分に通えないというような、そういう側面もあったようです。

佐伯)そうですか。そういう課題も抱えながらも、開塾して、そこからどのように発展していくんですか?

常磐井)はい、正秀の子供のですね、兵頭守敬(ひょうどうもりよし)、これは守に尊敬の敬で「もりよし」とも「もりたか」とも言いますが、守敬がですね、寛永3年ですので1750年に文庫を建てて充実させていくようになります。

佐伯)文庫?

常磐井)文庫というのは今で言う図書館ですね。蔵書を購入して、蔵書をそこに収めて、誰でも見れるような状態にして学び舎としての充実を図ったというような形になります。

佐伯)それが“愛媛で初めての図書館”と言われる所以なんですね!

常磐井)はい、そうです。

佐伯)で、どんな文庫だったんでしょうか?

常磐井)はい、まず建物はですね、木造二階建て延べ40平方メートル。ですので畳で言うと十畳間が一階と二階それぞれあるようなぐらいの大きさでして、「坂本塾」のある兵頭家の敷地内に建った、付属した図書館というような位置付けです。

佐伯)その中にはどのような本が収められていたんでしょう?

常磐井)日本書紀、続日本紀など六国史ですとか、古事記や古語拾遺、その後は群書類従など様々な古典類などが備えられたということです。

佐伯)どのくらいの数になるんでしょう?

常磐井)最盛期には所蔵の書籍は5000冊とも1万冊とも言われており、今はだいたい1500冊ぐらい残っています。

佐伯)そうなんですね。でも今ですと印刷でどんどん、本5000冊1万冊って言われてもそうなんだって感じですけど、当時は印刷じゃないんですもんね。

常磐井)そうですね、一つは写本。皆で写したものを持ち帰って収めた。それから、あとは当時は木の版木がありましたので、版木で刷ったいわゆる典籍を備えたというような形です。

佐伯)とは言え、現在の印刷技術とは全く違うものですから、その冊数も今とは違う、本当に貴重なものが5000から1万収められていたということなんですね。この文庫は誰でも利用できるものだったんですか?

常磐井)はい、誰でも申し出があれば利用できたという風に言われております。

佐伯)武士でも農民でも誰でもということですか?

常磐井)はい、もうどのような身分でも学びの志のある者であれば見ることが可能でした。

佐伯)これも画期的なことだったんじゃないですか?

常磐井)そうですね、当時としては非常に早い段階で、そういう庶民に開かれた図書館だったというふうに聞いております。

佐伯)これはやはり大洲藩の気風みたいなものもあったんでしょうか?

常磐井)そうですね、そう思います。大洲藩というのは非常に学問に対して熱心な藩でございまして、五代藩主の加藤泰温(かとうやすあつ)公はですね、特に学問にも力を入れられておりまして。伊予で最初に藩校を作ったのも大洲藩ですし。明倫堂という陽明学を学ぶ藩校があったんですけれども、そういった気風がやっぱり後押ししたのかなと思います。

佐伯)当時は藩校っていうのもあったと思いますけれども、それとは別に「坂本塾」があるということで、大洲の学問への意欲っていうのは他のところに比べると随分高かったと。

常磐井)はい、そうじゃないかなと思っています。

   

   


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Selected By Haruhiko Ohno


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