今週は、「坂の上の雲ミュージアム」特設ブースからの生放送。松本啓治総館長、上田一樹学芸員をゲストに、Youtube動画「松山歴史まちあるき」余土編について、お話を伺いました。この動画作成は、松山市内を屋根のない博物館に見立てる「松山フィールドミュージアム構想」にもフィットした取組みですが、第一弾が余土編になったのは、明治から地方自治の模範的な村をつくってきた伝統ある町であること、そして地域の皆さんの地元愛が非常に強い地域なんだとか。地元の語り部が実際に歩きながら紹介する動画、ぜひチェックしてみては!特に「余土の人で知らない人がいたら、その人はもぐり」と言われるほどの郷土の偉人・森盲天外について伺うと…


 

佐伯)第2回の動画が「森盲天外と余土村是」。これ、「村」の是非を問うの「是」ということで、ルールということですか?どういうことでしょう?

松本)地元の方はね、このことはもう知らない人はいないと思うんですけど、明治31年34歳の時に森盲天外は村民に推されて日本初の盲目の村長となるんですね。

佐伯)日本初の盲目の村長。

松本)元から盲目だったわけではなくって、いろんな政治活動もされて議員にもなられてるんですが、その道中で盲目になられてですね、そういう中でこの村長というのをされているんですけども、村長となった盲天外さんは余土村の綿密な調査を行うんですね。そのデータを耳で聞いて、それを頭の中で整理してですね、で「余土村是」として定めていって、それをまた実践していくんですね。このことをね、地元の森二朗さんという人が映像の中では熱っぽく語っておられるんで、是非ご覧頂けたらと思います。

佐伯)盲目になっている盲天外に村人たちが「ぜひ村長になってほしい」という風に望んだというのはどういうところからだったんでしょう?

松本)それまでに盲天外さんの人柄とかいうのは十分知っていたんだろうと思うんですね。政治活動も行われていて、県会議員をされていたんですね。そして自分の財産なんかも、その自分の活動でどんどん使っていくんですね。だから、今であれば私利私欲で逆にポケット入れる人も多いかもしれないですけど、逆に出していくんですからね。そういう人物だったんで、皆さんが盲天外さんについて行ったし、盲天外さんを村長にしたらどうなんだということが出たんだろうと思いますね。

佐伯)なるほど。私財をなげうっても公のために尽くすという人物。

松本)そういう人だったんだろうと思います。

佐伯)ただ現代と違いまして、もちろん点字などというものもなかったんでしょうし、パソコンですとかそういった技術ももちろんない時代でしょう。その時に目が見えない中でそういったリーダーシップを発揮していく、調査を進めていくというのは、すごく大変な…

松本)目が見えなくって誰でもできるわけではなくって、それだけの優秀な頭脳というのもあったに違いないし、責任感というか使命感というか、そういうものを持っておられたということが大きかったじゃないですかね。

佐伯)ここがあの明治人特有の。

松本)そうですね、僕らも「坂の上の雲」の中で明治を生きた人々の事を色々研究しているんですけど、やっぱり明治という時代の中にはですね、公のために生きた人、志を高く持った人というのにたくさん出会うんですね。ですから、この森盲天外さんも、もう一つの「坂の上の雲」のような感じがいたしますね。

佐伯)そうですか。上田さん、先ほど総館長が「余土の人、余戸の人で盲天外を知らない人がいるとしたらもぐりだ」という話がありましたけれども、ということは上田さんも幼い頃から盲天外についてはよく聞いていた?

上田)そうですね、小学校の学習の一環で盲天外さんが書いた「一粒米」っていう…

佐伯)一粒米?

上田)ええ、一粒の米と書いて「一粒米」っていう。自分が盲目になってくじけそうになった時に、一粒の米を触るうちに、一粒の米でも人に食べられて血肉になっていくと、エネルギーになっていくっていうことを気づいて、立ち直って政治活動をして村長になってっていうような、そういうお話は、小学校の時にもう習いました。

佐伯)へ~、そうなんですね。ちなみにきょうは「一粒万倍日」と言って、その「一粒米」の一粒ですが、一粒のことを今日始めたら万倍になって返ってくるっていう日らしいんですけど、そんな日に一粒米の話を聞くとは思いませんでした(笑)

松本)へ~、それは知らなかった!

佐伯)じゃ、そのように村民からも人望が厚かった森盲天外が定めた「余土村是」、これはどういうものなんでしょうか?

松本)これは村の産業などの現状を把握して、改善方法を定めるというようなものなんですね。いわゆる農村計画のようなものだと思うんですね。「余土村是」では、青少年教育、それから耕地の改良。田んぼを改良していくと。そして勤倹貯蓄、ちゃんと働いてお金を貯めましょうと。で肥料をみんなで買う肥料などの共同購入とか、で小作人が多かったんですけども小作人を保護しようと。また副業を奨励するとか。そういったことが、この村是の中では決められているんですね。この「余土村是」を自分と一緒に活動してくれた池内清間さんが取りまとめられて、明治36年に大阪で開かれていた第5回内国勧業博覧会に出品してですね、それが見事一等賞を取るんですね。

佐伯)でも農村計画が一等賞を取るって、とても不思議な感じもしますけれども、この村是っていうのは他の地域でも定めていたようなものなんですか?

松本)そうですね。国の方から方針が、そういった村是というのを作りましょうということで、地域の計画を立てましょうと全国でやられていたんだけども、作るんは作るんですね、どこも。作るんだけれども、それを実際実行するというのはなかなか難しくって。いい格好だけして計画だけは作って計画倒れに陥るというところが多かったんだと思うんです。

佐伯)それは公約だけして果たさないみたいな話ですか(笑)でも、そんな中にあって、この「余土村是」はきちんと実施をされたと。

松本)これはすごいことだと思いますね。

佐伯)しかもそれが一等賞ということなんですけれども、内国勧業博覧会っていうのは何なんですか?

松本)勧業博覧会というのは明治政府が殖産興業を推し勧める政策の一つとしてですね、大久保利通が進めたものなんですね。国内の物産とか美術工芸品とか、農業、いろんなものを集めた博覧会なんですね。ということは、相当大きな博覧会なんです。そこでたった一冊の本「余土村是」が一等賞を取るというのはちょっと信じられないですけどもね。

佐伯)本当ですね。

松本)ちゃんと表彰状がありましたので確認をして参りました。間違いないです(笑)

佐伯)そうですか(笑)。じゃ、本当に異色の出品作であり、一等賞であり、という…

松本)驚きますね、そこには何か特別なものがあったのかなということを思いますけどね。やっぱり国としても、「余土村是」を一等賞にしたら全国の村がこれを目指して余土へ行って勉強して、一等賞をとった村のやり方を勉強してくるだろうと、そういう思いがあったかもしれないですね。

佐伯)松山市の「坂の上の雲のまちづくり」が全国でも注目されるじゃないですか。それの先駆けみたいな形だったのかもしれませんね。

松本)そうですね。

  


[ Playlist ]
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Rumer – Blackbird
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Selected By Haruhiko Ohno


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