今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、元駐日ポーランド大使のヤドヴィーガ・ロドヴィッチさん。ポーランド生まれのロドヴィッチさんは、東京大学留学を経て外交官となり、2008年から2012年まで駐日ポーランド大使を務められた女性です。一方で、日本文化、特に能の研究者としての顔もお持ちです。今回は、国際会議への出席のため愛媛に来県されたタイミングでご出演いただきました。テーマは「ポーランドと日本・松山をつなぐ物語」。キーワードは「日本の勝利を願っていたポーランド人」「高浜虚子と能楽」「ポーランド兵にカーネーション」の3つです。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
ロドヴィッチ)日露戦争が始まったときから、ポーランドあるいはオーストリア領土に入っていたポーランド人の間には、新聞の中に毎日のようにたくさんの記事が出ていて地図もあったりして、すごくみんな興味を持っていたんです、日露戦争に。初めて日本という存在を、日本国ということをすごく尊敬するようになったんですよ。
佐伯)そうでしたか。
ロドヴィッチ)その時からです、男の子が産まれるときにですね、名前として例えば「ノギ」
佐伯)え~っ!
ロドヴィッチ)あるいは「トウゴウ」
佐伯)え~~っ!
ロドヴィッチ)という名前をつけた人もいましたよ。
佐伯)それほどに日本に対しての思いがあった!
ロドヴィッチ)親日的になりました。
佐伯)うわ~、これは知りませんでした。で、さっきのお話のように投降して、松山の収容所に実際ポーランド人の方も何人もいらっしゃったんですよね。
ロドヴィッチ)そうですね、はい。
佐伯)先ほどからお名前が出てくる稲葉先生が来られたときに、番組で「ポーランドと日本、捕虜と松山」ということでお話を伺いまして、松山の捕虜収容所では実はパンを、やっぱ欧米の方パン召し上がるけれど日本ではそれがないので、どうしようっていうことで、なんと捕虜の皆さんが自分でパン釜を作ってパンを焼いたりだとか
ロドヴィッチ)そうらしいです。そう聞きますけど
佐伯)収容所に使われていたお寺の小僧さんが、「コニャック=お酒を買ってきて」ってこっそり言われたのを間違えて「こんにゃく」を買ってきたなんていうね、エピソードも…
ロドヴィッチ)おかしいですね(笑)
佐伯)そうなんです、聞いたんですけれども、松山の捕虜収容所でのポーランドの方々はどんなふうに過ごしたというふうに聞いてますか?
ロドヴィッチ)まずはですね、私も自分でそれほど研究はしてませんけれども、よくロシア人と喧嘩して…
佐伯)そうなんですか!
ロドヴィッチ)喧嘩していて、そして二つ目ですけれども何て言いますか、信仰深い人も結構いました。
佐伯)ポーランドの方は…
ロドヴィッチ)カトリックです。ですから、お祈りなら例えば神父さんからラテン語でやってます。それで自分では、家ではもうポーランド語でお祈りする。それは禁じられたんです、本当は。
佐伯)戦争で?
ロドヴィッチ)ロシアの中で。
佐伯)ああ。
ロドヴィッチ)で、ロシア正教でやってましてね。それで収容所に入ってから他の捕虜者を見て、それぞれの信仰に従った儀式、お祈りならできるということで、カトリックの神父が雲祥寺で…実は彼らたちほとんど雲祥寺に
佐伯)雲祥寺というのが、収容所に使われていたお寺。
ロドヴィッチ)お寺なんですよ。
佐伯)そこに神父さんがやってきたんですか?
ロドヴィッチ)やってきたんです。で、たとえば入院しても、病気して重病になって後に亡くなった人のお葬式の仕方としても、カトリック神父がそれをやったんです。ですから、ロシア人墓地に行ったら、お墓はだいたい形としては一緒ですが十字架の形は違うんですね。それでわかります。
佐伯)よく見ると違ってるんですね。
ロドヴィッチ)違っています、はい。
佐伯)ああ、そうですか。ちょっと今度訪ねたときに見てみたいと思います。
ロドヴィッチ)お願いします。
[ Playlist ]
The Beatles – For No One
Rickie Lee Jones – Someone To Watch Over Me
Everything But The Girl – Rollercoaster
Selected By Haruhiko Ohno