今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、予土歴史文化研究会顧問の赤松嘉進さん。これまでこの番組で秋山真之や宇和島藩主伊達宗城などを御紹介する際、しばしばその名が登場していた山下亀三郎についてお話を伺いました。「日本の海運王」と呼ばれた山下亀三郎の数奇な人生にはドラマチックなエピソードが多数ありますが、根底には「坂の上の雲」の登場人物と同じく「自分のためだけでなく、世のため、人のため」という思いが感じられます。


 

佐伯)ずっとうまくいかないでいた山下亀三郎の転機となったのが、今こうして振り返ると秋山真之との出会いだったとも言えますよね。

赤松)そうですよね。

佐伯)秋山との付き合いというのは、ずっと続いていってたんですか?

赤松)そうですね、さっきも言いましたようにお互い酒が好きですから、何か事あるごとにはそういう機会を作っていたようであります。実は秋山真之はですね、当時のことですから今ほど医学が発達してないわけで、盲腸というふうに聞いておりますけども、それで軽井沢あたりで静養していたのを「俺の別荘に来いや」ということで、小田原の対潮閣という別荘に呼び寄せてですね、「俺んとこで静養したらいいよ」ということだったんだけれども、残念ながら大正7年、秋山は亡くなるわけです。その時に秋山がですね、「山下、お前に何も頼むことはないけども、まあ子供のことだけはよろしく頼むよ」と。「そんなことは心配せんでええ」と言って、子供のことを頼むと言われたその二人をですね、兄の方は自分の会社すなわち山下汽船、それから弟の方は浦賀ドックの方に入社をさせて働いてもらったということであります。

佐伯)じゃあ亀三郎の別荘で息を引き取った秋山真之、そしてそこで交わした約束のとおりに子供達の面倒も見たと。親友の一人だったんですかね。真之は本当に初対面の時から意気投合したということでしたけれども、亀三郎の人物のこと、どんな風に評してたんでしょうか?

赤松)今その伝えられることでは、いわゆる「彼に三絶あり」ということですね。

佐伯)三絶?

赤松)一つは人の話をよく聞くと。よく聞くということは情報に通じるわけでありますから、情報通であったこと。それからよく人を使う、すなわち人間通。これは本当に人使いは上手やったようであります。それからいわゆる乾坤一擲の離れ業を行う。火中に栗を拾うというようなですね、果敢な実行力を持ったおった、ということを真之は言っていたようであります。

佐伯)そういう人だったからこそ、きっと周りにも随分気の合う方というか、人脈も広がっていってたんでしょうね。

赤松)そうですね、私なんかも知らん人が多いんですけども、その時代のですね、政治家それから財界人にものすごく交流があったようでありまして、そういう意味で亀三郎の人脈というのはすごいという風に言われております。

佐伯)先ほどもお話にでてきました渋沢栄一しかり、それから穂積陳重さんとの交流もありますし、そして秋山真之ということでね。

赤松)いやいや、それはもう総理大臣級の人も、例えば山県有朋にしても隣の別荘を買うたぐらいですからね。

佐伯)は~、そうですか!

赤松)山県さんの隣の別荘を亀三郎は手にして、山県さんとも上手にお付き合いをするという。凄い人との付き合いを上手に作り上げていくこと、これには大変長けておったようでありますね。

 


[ Playlist ]
Fairground Attraction – The Moon Is Mine
Tracey Thorn – Hands Up To The Ceiling
Marcos Valle – Flamengo Ate Morrer
Mario Biondi & The High Five Quintet – On A Clear Day

Selected By Haruhiko Ohno


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