今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、愛媛県歴史文化博物館の学芸員・亀井英希さん。歴博の展示室には開館当初から、「純友の乱」について説明してくれる藤原純友のロボットがいるのを御存知でしょうか?その純友は今春、愛媛県生涯学習センター内の「愛媛人物博物館」で愛媛の偉人として新たに常設展示に加えられるなど再注目されています。「国家への反逆者が偉人として取り上げられるようになったことが感慨深い」と話す亀井さん。では純友は、なぜ海賊となったのか。そこには、こんな思いが…。
佐伯)純友は、どこで生まれたんでしょうか?
亀井)はい、まず生まれたのはですね、一般的に言われてるのは平安の中頃ですね、ある説では西暦893年と言われてますけども、藤原氏で最も繁栄した藤原北家の出身ですね。貴族として、とても良い家柄に生まれたと言われてます。で、筑前国=現在の福岡県太宰府の次官・藤原良範の三男として生まれたということが言われてます。ただ、これもまた別の説もありまして、別の説では伊予の豪族・越智氏の一族として今治で生まれたという説もあります。で良範が伊予の地方官として赴任した時に養子にしてもらったというような説もありまして、いわゆる貴族の出身であるという説と伊予の豪族の一族として生まれたという説があります。ただ一般的に言われていますのは藤原北家の流れで生まれたということを言われてますので、そういうことが有力かなと思います。ちなみにですね、純友は藤原北家でありながら父の後ろ盾がなくなって出世が望めない…父親が早くに亡くなったんですね。で、出世が望めなくなり、またその後ですね、地方官として伊予の役人として中央から派遣されるようになるんです。そんな形で伊予の方に来るようになるわけなんですね。
佐伯)その伊予では、どんな任務に当たっていたんでしょうか?
亀井)純友は最初は海賊ではなくて、実は海賊を取り締まる側だったんですね。
佐伯)あ、そうなんですね。
亀井)先ほども述べた通りですね、実は純友が生まれる前からですね、割と瀬戸内海には海賊が出没していて、その当時の都の方でも瀬戸内海に蔓延る海賊を何とかしなければならないと結構問題になってまして、それに対して純友に「あなたが行ってこい」と。海賊を取り締まりに行ってこいという命を受けて伊予にやってきたんですよ。で、純友はですね、海賊たちを鎮圧してですね、けっこう名をあげたと言うかですね、有名になりました。ただですね、この役人ですね、海賊を取り締まる役っていうのは任期があったんですけども、この期間からこの期間伊予に行ってきなさいっていうのがあったんですけども、その期間が過ぎてもですね、なぜかわからないんですけど純友は京都の方に戻らないで、都に帰らないで伊予にずっと定住し続けるようになるんですね。なぜこの伊予に残ったかっていう、まあこれも難しいですけども、おそらくその日振島、最初から言ってる日振島を根城に海賊の棟梁になったとか、あるいはですね、その時の海賊を鎮圧してたのを契機としてですね、伊予の特に南予地域の人々や伊予の海賊たちと、取り締まる側だったのが逆に仲良くなっちゃったと言うか、仲良くなって帰れなくなったとか。そういう色々考えはあるんですけど。
佐伯)ミイラ取りがミイラになったみたいな形なんですね(笑)
亀井)そう。だから都に帰れなくなったというか、帰らなかったのか帰れなくなったのかちょっとわからないですけど。
佐伯)でもそこにはやはり葛藤もあったんじゃないかとは思いますが、理由ってどんなことが考えられます?
亀井)少し思うのは、やはり純友の中に朝廷に対して少しずつ不満があったんじゃないかということが思われます。例えば自分が海賊退治をしても、その手柄をきちんと評価してもらえなかったとかですね。まあ海賊の中にはですね、いろんな警備とか雑用などに従事していた人もたくさんいたんですけども、その人が職を失った、リストラされたりでそういう生活をしてくのに海賊にならざるをえなかったっていうような状況を純友はよく理解していたとか。あるいは都の役人たちはずっともう酒や遊びにふけっていたというか私服を肥やしていたというか、まぁ要はもう堕落していたと。で、そういう状況であるにも関わらず、自分は伊予に行って海賊を退治して来いということであったので、要は都の貴族たちが生活している姿と地方で自分が現実に見てきた人々の姿っていうのに、なんかこうギャップというかですね、色々なんか矛盾しているようなものを感じたんじゃないかなという風なことが思われますね。
佐伯)それが、じゃあ後押しとなった?
亀井)そうですね。で、伊予に残って、実はその日振島に海賊の拠点を構えるんですけど、都の方から見れば純友が何故ずっと伊予に残ってたかっていうのもすごい不思議ですし、いずれ純友が何のために伊予に残ってるんだっていうのも全然わからなくなってくるんですけど、そのような時に純友の実は配下の部下の人間が、摂津国=今の兵庫県の芦屋市の付近でですね、国司っていう国の役人を襲撃するという事件が起こるんですけど、これが純友の配下の部下の人間がやったということで、これは完全に純友がいわゆる国の機関を襲ったということで、この時から国に対して、いわゆる朝廷に対して反乱を起こした「やっぱり純友は賊だ」という風に、これによって睨まれたんじゃないかと。朝廷から海賊として睨まれるようになった一つのきっかけがあったと思います。これによってもう純友はちょっと都ですね、国と敵対することに引くに引けなくなったというか、そういう風な状況だったんじゃないかと思います。
[ Playlist ]
Amos Lee – Keep It Loose, Keep It Tight
Sharon Jones & The Dap-Kings – How Long Do I Have To Wait For You
Badly Drawn Boy – The Time of Times
Smashing Pumpkins – Lily (My One And Only)
Selected By Haruhiko Ohno