今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、宇和島市立伊達博物館学芸員の志後野迫希世さん。今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一と宇和島藩とは、じつは深~い繋がりがあるというんです!宇和島藩主や「民法の父」と言われた偉人との関わりなど、興味深いお話がたくさん飛び出しました。


 

佐伯)我々が実際に見ることのできる「つながりの証」もあるそうですね。

志後野迫)そうですね、もともと南豫護国神社は宇和島藩主を祀った鶴島神社という神社でして、宇和島に初代藩主が1615年に来て以来ずっと伊達家が江戸時代を治められるんですが、その300年記念にですね、初代藩主・秀宗公、それから5代藩主・村候(むらとき)公、そして8代藩主・宗城(むねなり)公が大正3年に祭神として祀られるんです。それで建ったのが鶴島神社、今の南豫護国神社になります。その時に渋沢栄一から狛犬が奉納される…

佐伯)神社の。

志後野迫)そうですね、今も境内で祭神を守っているという。

佐伯)は~。実際に御覧になって、どんな狛犬なんですか?

志後野迫)普通の御影石で作って、土台の所に「大正3年渋沢栄一奉納」と彫ってあります。

佐伯)そうなんですね!それを我々は今も見ることが出来ると。

志後野迫)そうですね、実際に見ることができますね。

佐伯)場所はどこにあるんですか、南豫護国神社。

志後野迫)宇和島東高校のすぐ近くにリサイクルショップがあるんですけども、国道56号線沿い、今のお城山の麓の辺りになります。

佐伯)そうですか。じゃ、今度宇和島に行ったら見てみよう。

志後野迫)ちょっとね、階段上らないといけないんですけど。

佐伯)そして他にも、渋沢と宇和島のつながりというのがあるそうですね。

志後野迫)実は宇和島出身の「民法」を作ったことで有名な法学者・穂積陳重(のぶしげ)さんの奥さんが渋沢栄一の長女、娘さんだったんです。

佐伯)へ~!それは偶然というか、たまたまなんですかね?

志後野迫)その仲介というか、尽力したって言われてるのが当時伊達家の家令、いわゆる執事さんになるんだと思うんですけれども、西園寺公成(きんなる)という方がいらっしゃって、その方の仲介によるという風にも聞いております。

佐伯)ここでもちょっと伊達家との繋がりが出てくる訳なんですね。

志後野迫)はい。その結婚式の時の媒酌人には西園寺公成さんと、大津事件で有名な大審院の裁判長だった児島惟謙(これかた)が務められていた。その席に肩を並べて出した座席表みたいなのが残ってるんですけど。

佐伯)うゎ、興味深い!どんな方がいらっしゃったんですか?

志後野迫)有名な方はその方なんですけれども、そういう資料の中に名前が…

佐伯)そうですか。

志後野迫)これはですね、渋沢栄一氏の資料館さんが発行した図録に載せられてて、それを読ませてもらって知ったんですけれども。

佐伯)じゃ、娘さんの嫁いだ相手の故郷が宇和島ということは、渋沢栄一も何度かは宇和島に来られてるんですかね?どうなんでしょう?

志後野迫)それがですね、残念ながら宇和島には来てらっしゃらないんです。

佐伯)そうなんですか!?

志後野迫)私も来てるのかなって思ってたんですけども、当時、宗城公も宗徳(むねえ)公もいずれも東京に家がありまして、東京の方でお会いしてたみたいですね。

佐伯)あーなるほど。

志後野迫)藩主でしたし、こちらにも土地勘があったり、あと猟をしに帰ってきたりとかで、よく明治維新後もちょくちょく帰って来られてる記録は残ってらっしゃるんですけど。

佐伯)じゃ、宗城公は帰ってきてたけど、渋沢は直接は来てはなかったということなんですね。

志後野迫)そうなんですよ。逆に、この松山の地に来た記録が残ってて。

佐伯)え!

志後野迫)松山の小中学校とか商工会議所の方々と宴会をしたり、学校で講演もしたりした記録が残ってるそうです。

佐伯)愛媛にも縁があったんですね~。

志後野迫)そうなんですよ。

佐伯)さて、穂積陳重さん、渋沢の御長女と結婚された「民放の父」っておっしゃいましたけど、この方も宇和島を代表する偉人、なんですね。

志後野迫)はい、宇和島を代表する先哲偉人の一人で、宇和島の方々からは親しまれています。

佐伯)宇和島で「ほづみ」って言ってパッと…「ほづみ亭」ってお食事ができるところあるじゃないですか、それを思い浮かべたのですが(笑)、それは関係ないんですか?

志後野迫)実は関係あるんです!

佐伯)あります?

志後野迫)あの「ほづみ亭」さんっていうお食事のお店がある所の前に橋がありまして、実は「ほづみ亭」さんの名前の由来はその橋にあります。その橋が「穂積橋」。

佐伯)「穂積橋」。

志後野迫)「穂積橋」はどこから来たかと言うと、実はこの穂積陳重さんの「穂積」という名前から来てるんです。

佐伯)ええ。

志後野迫)実はその民法学者として有名になった時に、地元では穂積先生の銅像を作って称えようという運動が起こったそうです。ですが、ご本人は「そんなことをするよりも私は万人に踏まれて役に立つ『橋』にその名を残したい」という手紙を地元の方に送られて、それで「穂積橋」という橋が残ったんだそうです。

佐伯)え~、すごいことですね。胸を打つエピソード。

志後野迫)そうですよね、普通だったら「銅像にしてもらえるんだ、ありがとうございます」っていうところなんですけど、そこが穂積先生、「みんなの役に立つ」っていう。そこはやっぱりすごいなと思って。郷土の誇れる偉人だなぁと思います。

佐伯)民法を整えて行ったというのも、きっと「人々のために」という思いだったんでしょうから、一貫して…その思いを貫かれてるんですね。

   

 


[ Playlist ]
Sonya Kitchell – I’d Love You
The Beatles – For No One
Scissor Sisters – Take Your Mama
The Submarines – Clouds

Selected By Haruhiko Ohno


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