今週は久々の「坂の上の雲ミュージアム」からの生放送!愛媛大学副学長で「俳句・書文化研究センター」の三浦和尚さんをお迎えして、松山出身の書家であり神官だった三輪田米山についてお話を伺いました。じつは私、高校2年の時の担任が三輪田という先生で、「高名な書家の先生の子孫」というのは聞いたことがあったのですが、その書家こそ米山だったのに、ここまで深く知らずに生きてきました…。きょう改めて見せて頂いた米山の書は、素人の私にも、のびやかで自由さを感じさせます。松山を中心に数多くの神社の注連石や神名石に揮毫している米山の書には、こんな背景が-。


 

佐伯)米山は、いわゆる天才肌?

三浦)うーん…、まあ天才とだけ言うと書道の世界の人に叱られるんだと思うんです。米山はものすごい努力もしたんだと言われます。だけど努力だけで、ということでは絶対にないですよね。ちょっと話がそれるかもしれないんですが、私も字を書いたりするの好きなので書くんですが、まあ昔から能書家と言われる綺麗な字の人の作品は、…非常に傲慢な言い方になるかもしれませんが、一生懸命練習したらちょっとずつ近づけるんじゃないかという気はするんですね。現実にはいかないんですよ、そんな力はないんですけど(笑)。だけど米山の字はですね、どこまで頑張っても、とってもたどり着けない、ちょっともう雲の上と言うか。

佐伯)ほぉ。

三浦)尋常に頑張ってもたどり着けるような境地、世界ではないところにあるような気がするんですね。

佐伯)もう誰も真似できない?

三浦)だから、そこが一番、私としては米山の魅力を感じるところですね。

佐伯)その米山の、人としての魅力を語る時に、どういったエピソードがあるんですか?

三浦)あの、まぁ…お酒の話になるのかなと思うんですが。

佐伯)お酒。

三浦)はい。米山と言うともう「酒を飲んで書いた」という話しか出てこないところがあるんですね。

佐伯)そうなんですか(笑)

三浦)あの日尾八幡さん(米山の生家、日尾八幡神社)の米山の碑文にも「八十八歳で没するまで酒と書を愛し続けた」とあるんですね。「酒と書を愛し続けた」と言って、酒の方が先に来ているところがすごいですね(笑)。

佐伯)たしかに!

三浦)「書と酒を」じゃなくて「酒と書を」なんですね。あの意図的にその順番で置かれたかどうかはわからないんですけども。

佐伯)じゃ、飲みながら書いたんですか?

三浦)あの、酔いつぶれた後書いたという話です。

佐伯)そんなこと可能なんですか!?

三浦)いやぁ、どこまで可能なのかというところですけどもねぇ。

佐伯)“酔拳”みたいですね(笑)

三浦)あ、そうですね。ま、酔いつぶれて、皆に体を持って腰を抱えてもらって書いたとかみたいな話はあちこちで聞くんですね。

佐伯)へ~。

三浦)で、呼ばれて食事やお酒をふるまってもらって、その間じゅう家の人に墨をすらせていて、もう酔っぱらった頃に「もうそろそろ墨はすれたかい?」というような感じで書いていたというようなことはいっぱいあります。

佐伯)自由だ(笑)。

 

三浦)それから、作品を見ていたら「米山酔書」と書いてあるものが結構あるんですよ。ですからまあ、基本的に飲んで書いたということは間違いないんですが、ただ一方でですね、「無酒にて認めし故、いつもほど出来よからず」という風な書き方があって、酒を飲んでないからいつもほど出来が良くないというようなことを書いているわけです。

佐伯)面白い(笑)

三浦)ということは、逆に言うと酒を飲まずに書いてたこともあったんだなあと(笑)。

佐伯)ああ、そういうことですか(笑)。

三浦)だけど「酒を飲まなかったから出来が良くないんだ」というふうに本人も自覚していたということが面白いですよね。

佐伯)そうですよね。じゃあちょっとお酒とは切っても切れない関係の米山の書ということ。

三浦)ええ、それは言えるだろうと思いますね。

佐伯)そうして書くからこそ、精神的にも…先生がさっきおっしゃった「囚われない」というか、なんか色々しがらみを取っ払ったところの境地で書いてたっていう風にも考えられません?

三浦)私自身はもうそういう風に思っています。本人がどこまで自覚していたかどうかというのは聞いてみないと分からない所があって、私も一度お会いしたかったなと思うんですが、ちょっと時代が許さないんですけどもね(笑)。だけど、先ほど言いましたように「飲んでないので、いつもほど出来がよくない」と言うような書き方もあるように、やはり飲んでから書く方が自分としては良い出来のものができるというのは自覚はしていたと思いますね。それがなぜなのかというところなんですけども、やはり先ほど言いましたの囚われのなさと言いますか、ある書が好きな人が「その気持ちは俺もわかるよ」と言われたので、「あ、そうなのか」と思ったんですが、つまり、ちょっと色々気になるようなことを全部取っ払って別の境地に入ると言うか、そういうことがあったのかなと。中国の古典を中心にものすごい修練をした人ですから、そういう意味でのきちんとした字を書こうと思えば書けたはずなんですよね。だけども作品としては必ずしも中国の古典を模倣したようなものにはなっていない。それはやはり、そういう自分が身につけた技術という風なものを意識して書くことが、なんか妙に囚われのようになって技巧的になって、そういう書は嫌だというふうに考えたのではないか。そうすると泥酔することによって、例えば「ここはこういう風に撥ねた方がかっこいい」とかですね、みたいな…あぁ、これちょっと非常に卑俗な言い方で今申し訳なかったですが、米山さんに失礼だったんですけど、あの、そういう風なこといっぱい取っ払って純粋にこの字に向かう、筆に向かう、紙に向かう。そういう気持ちのところで何か一つ突き抜けた世界に入ることができた。そういうところで、お酒が必要だったのかなという気はします。ただ相当な量を日常から飲んでたみたいですから、文句なくお酒が好きだったということも絶対に事実だとは思います(笑)。

佐伯)今のお話で俄然人間味を感じるようになったというか、親近感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません(笑)

三浦)ただですね、ちょっと一言付け加えると私は、米山は非常に謹厳な神官だったとおもいますので、いわゆる注連石なんかにするようなものをぐでんぐでんになって書いたのかって言われると、ちょっとそこはむしろ斎戒沐浴して性根を入れて書いたのではないかという気もしていまして。だからちょっと、ああいう石なんかも神主さんが泥酔して書いたという風に皆さん思われない方がいいかなと、ちょっと蛇足ですが付け加えさせてください。

佐伯)名誉もしっかりと(笑)

三浦)そうそう。

 


[ Playlist ]
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Bruce Lash – Pump It Up
細野晴臣 – Tutti Frutti

Selected By Haruhiko Ohno


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