今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、愛媛県総合科学博物館の学芸員・久松洋二さん。現在開かれている企画展「小川正孝展」を手掛けられた学芸員さんです。その小川正孝は、アジア人で初めて新元素を発見したという愛媛出身の科学者!でも、その功績の割には県民にあまり知られていないような…。その理由を熱く語ってくださいました。


 

佐伯)企画展の図録、それからチラシをお持ち頂いてるんですけど、表紙になっているのがもしかして勲章もらった時の写真なんですか?

久松)そうですね、いつ撮られたかっていうのは残ってないんですけれども勲章をつけているので、その後に。まあ何度か受けてはいるんですけれども、
その記念の写真だと思われます。

佐伯)まあ本当に貫禄があると言うか気品のあると言うか。

久松)そうですね、威厳のある顔ですね。面白いエピソードがありまして、この図録の写真はちょっと二枚目っぽい写真を撮っているんですが、じつはもっと厳めしい方だったみたいで、あだ名がですね、「平家ガニ」とか「鬼瓦」とかですね、そんな名前がついてたみたいで。

佐伯)はっはっは(笑)、「平家ガニ」って!

久松)それもですね、「そんな名前がついてる先生がいるよ」っていう新聞記事になるほど。

佐伯)え~、そうなんですか(笑)

久松)それほど愛されてたということなんですけど(笑)。とても生徒にも人気のある、いい先生だったみたいですね。

佐伯)そうですか。でも勲章をもらい、それから歩けば黒山の人だかりが出来るくらいの人気者と言うか、そんな小川自身ですし、その大発見なんですが、なぜこれが幻になってしまうのでしょう?

久松)この当時の見つかっていなかった元素たちっていうのは、特定の石に極微量しか含まれないものばかりだったんですね。実はトリアナイトからニッポニウムを抽出することに成功したのは、小川正孝一人だったんです。自分の弟子も同僚も同じ実験して、トリアナイトが手に入れたと思ったら逃げられたみたいなんですね。他の人では取り出すことができない、そういう元素だったんです。

佐伯)他の人が証明できない。

久松)そうですね。普通は追事件と言いまして、「研究者が発見したものを僕も実験したけれども、やはりその通りだった」みたいな別の報告が出て確認されるわけなんですけど、それがないまま長い年月が経つんですね。

佐伯)他の人がそういった実験で再現できなくって、「もしかしてあれは間違いだったんじゃないか」っていうような疑念と言いましょうか…

久松)そうですね、一部ではそういうふうに考えられられた人もいたかもしれませんね。ただあの当時はもう皆で我先に見つかってない新元素をということなので、小川が使っていない別の鉱物からですね、世界最先端の新しい実験方法を使って同じ元素を発見したという研究者がいっぱい出てきます。

佐伯)そうなんですか。じゃ、今その小川の名前じゃなくて残っている人が、そのあと同じものを別の方法で見つけちゃったってことなんですか?

久松)そうですね。おもしろい偶然なんですけども、その75番という元素と、小川が言ったニッポニウムは43番に当たるんですけども、43番と75番を同時に発見したというドイツの科学者グループが出てくるんですね。で、小川のニッポニウムはそのあと周期表から姿を消すんですけども、そのドイツのグループが見つけた43番はマスリウムっていう名前がつくんですが、それはしばらくの間周期表に載ってたりします。その後また消えるんですけども…

佐伯)あ、それも消えるんですか。

久松)はい、43番っていうのはとても難しい自然のいたずらの元素で、石の中から見つからないということが、その何十年も後にわかるんですね。なので「皆がチャレンジしても見つからないはずだ!」というタイプの元素だったんです、石からは見つからない。

佐伯)さっきおっしゃったドイツのグループ、43番と75番を一緒に見つけたというグループの、75番レニウムっていうのが実はニッポニウムだって最初におっしゃってませんでした?

久松)そうです。75番レニウムがニッポニウムだったということが分かったのは、つい最近1990年代の話で…

佐伯)え~~~~、そんな最近なんですか!

久松)はい。なので当時はニッポニウムは最終的に幻扱いされてですね、何十年も小川の発見は間違いだったという風な、そういう不名誉な評価が続くんです。その評価は小川が亡くなった後なんですけれども。

佐伯)じゃあ小川さんは本当は75番を見つけてたのに、それを43番として申請というか発表したがために、周期表に名前を残すこともなく、今おっしゃったように亡くなってしまったんですか。

久松)そうなんです。実は小川正孝は自分が43番を見つけてたと信じてですね、自分が死ぬもうホント数週間前までずっと実験をし続けて、それを証明しようと努力していました。

佐伯)世間の評価っていうのはどうだったんですか?

久松)そうですね、その当時もニッポニウムの話が出ると新聞の取材があったほどですので、まだニッポニウムのことをよく知られてた、皆が期待してたんですけれども、結局そのあと証明することができなくなったということでうやむやになってですね、「あの発見は結局追実験されなかったので、そのままどういうことかわからないけれども幻の元素ということで、皆の記憶から消えていったという形になりました。

佐伯)あの…数年前に新しい細胞を見つけたと言って大騒ぎになって、でもそれこそ他の人の実験では証明できないとなって今度は逆風にさらされた科学者がいたと思うのですが。

久松)小川正孝の場合はですね、幸運にも小川のやったその科学的手法では見つからなかったんですが、当時最新鋭の物理的な実験方法では見つけることができるタイプのものでして。これ、小川の死後何十年も公表されなかった事なんですが、実は死の直前にですね、その実験をしてたということが分かってます。その実験写真がじつは残ってたんですね、遺品の中に。それを解析すると、実は小川の資料は75番レニウムだったってのが科学的に証拠がございまして。なので小川自身が幻を見てたわけではなくて確かにあったということが、今では科学的に証明されています。本人は43番だと信じてたんですけども、不幸にも75番だったということが科学的に証明されてしまいます。小川はちゃんと新元素を発見してたということは、もう科学的な事実です。その周期表の場所だけ間違えたということです。

佐伯)…なんで間違えちゃったですかねぇ。

久松)本当ですねぇ。

佐伯)43番と75番っていうのは似てるんですか?

久松)そうです。原子番号の数は離れてるんですけども、周期表で確認すると上下の関係でして、同じ縦の並びは似たような性質を持つということが分かっております。43番と75番はとってもよく似た性質を持ってるんですね。

佐伯)でもなんか…惜しいですねぇ。

久松)惜しいですねぇ。

佐伯)じゃあ今草葉の陰でちょっとホッとはしてるんですかねぇ。

久松)そうですね、小川正孝も自分がちゃんと正しいことを見つけたということで喜んでると思いますし、何しろその遺族の方が喜ばれました。お父さんは、おじいさんは、いろんなことをやられてたけど結局あの実験は幻だったんだなあと何十年もご遺族も思ってたんですけども、実はちゃんと発見してたっていうことが科学的に証明されたので。証明された時に、まだ息子さんがご存命だったのですけども大変喜ばれたようです。だから逆に、その喜ばれたことで「こんな遺品があるよ」という提出があって次々と補足される、その証明されたことが確かに正しかったということが補足される、そういう証拠がどんどんどんどん集まるわけなんです。


 

 


[ Playlist ]
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Selected By Haruhiko Ohno


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