今回は「坂の上の雲ミュージアム」からの生放送。学芸員の上田一樹さんをゲストに、トークのテーマは現在開催中の企画展「坂の上の雲の人々」について。「『坂の上の雲』の魅力は何と言っても人物にある」と話す上田さん。企画展の主役である「子規と陸羯南」「東郷平八郎と児玉源太郎」「小村寿太郎と金子堅太郎」のうち、「子規と陸羯南」について尋ねると-。


 

佐伯)まずは陸羯南について教えていただきましょう。この方はどんな方ですか?

上田)この陸羯南という人は青森県の出身の方なんですけど、明治時代を代表するジャーナリストで、新聞「日本」を創刊した方ですね。子規との関係でいいますと、子規のおじさんである加藤拓川という、後の松山市長もされた方なんですけど、外交官の。その人の親友で、この加藤拓川に頼まれて、子規の15歳ぐらいからですね、上京してからずっと面倒をみたっていう人になるんです。

佐伯)じゃあ、東京での父親代わりのような…

上田)まあ兄代わりであり父代わりでありっていうような方ですね。

佐伯)子規と陸羯南は何歳ぐらい離れてたんでしょう?

上田)子規が1867年の生まれで、陸羯南は1857年の生まれになります。

佐伯)ちょうど10歳違い。なるほど、じゃあ年の離れたお兄さんという感じだったんでしょうか。

上田)ちなみに子規って俳句とか短歌で有名だと思うんですけど、職業ってご存知ですか?

佐伯)ジャーナリスト!

上田)はい、正解です(笑)。けっこう俳句とか短歌で有名なのでご存知ない方って多いかもしれないんですけど、新聞記者が子規の職業でして、この子規が務めた新聞社の社長を務めていたのが陸羯南ということですね。ですので、その新聞で俳句や短歌とか文章っていうのを次々と発表して、子規は有名になっていく。その下地を作ってあげたのが陸羯南。陸羯南の理解と支援のおかげで、子規の文章とか文学作品っていうのが世に出たっていう、そういった方です。

佐伯)つまり子規に発表の場を与えてくれたと。

上田)はい、そういうことになりますね。

佐伯)今回の企画展では、実際にその新聞に子規が寄せていた文章などの資料も見られるという。

上田)そうですね、新聞「日本」という明治時代に発刊されたものも展示してありますし。

佐伯)今となってはもちろん新聞もね、パソコンで原稿書いてっていう世の中ですけれども、当時は手書きで。そういうのしっかり残っているんですね。

上田)『坂の上の雲』には、子規の文学活動を支えて、子規は結核、思い病を患ってましたけど、その子規を励まし続ける羯南の優しさというのが描かれています。

佐伯)本当にあたたかく子規のことを見守ってくれていたのが陸羯南。

上田)そうですね、大恩人と言ってもいいと思いますね。

佐伯)この正岡子規と陸羯南の展示には、子規が宛てた書簡があったりですとか。子規の文字って、すごくなんか人間味があるって言うか…

上田)ああ、そうですね。

佐伯)いわゆる超達筆!という感じではない?

上田)字は上手なものなんですけど、やっぱり気持ちがこもってるというか、そういったところは感じられると思いますね。

佐伯)この筆跡を見ても、なんとなく人となりが伝わってくるような、そんな感じもします。その直筆も見ることができる。それから子規庵、子規が過ごした場所の様々な資料というのもあるんですけど、私ビックリしたのが、子規ってシャーペン使ってたんですか!?

上田)そうですね、シャープペンシルを。筆なんかももちろん使いますけど、シャープペンシルも。子規庵っていうところに大切に保管されていたものを、今まさにミュージアムに借りて展示をしています。

佐伯)明治時代にシャーペンってあったんですね~。それにまずビックリしちゃったんですけど。これは、誰でも手に入るものだったんですか?

上田)これ実は、日清戦争に従軍記者として子規が行くんですけれども、その時に記念にもらったものなんです。だから結構貴重なものというか、そのへんの文房具屋で売ってるようなもんではないですよ(笑)。

佐伯)なるほど(笑)。同じくビックリりしたのが黒眼鏡って言って、色のついたメガネ…まぁ、サングラス?

上田)そうですね、このサングラス、スイス製のものなんですけど、西洋の文明とか文物が明治時代になるとたくさん入ってきて、そういったものを使い始めたっていうのが子規が生きていた時代ですね。

佐伯)子規といえば野球が大好きで、ベースボールに傾倒したなんていうところも知られていますけれども、やっぱりそういう新しい物っていうのに凄く興味のある人だったんですね。

上田)新しいもの好きですね~。ワイン飲んでカレー食ったりとかもしてましたし(笑)

佐伯)それでシャーペン使ってサングラスしてて、なんて今の私たちと変わんないんじゃないかっていうような(笑)

上田)そうですね、そういった西洋の文明がたくさん入り始めたっていうのが明治という時代っていうことで、ベースボールなんかもそうですけど、それに飛びついてどんどん新しいもの吸収したっていうのが子規ですね。

佐伯)そういう子規の一面も、今回のこの企画展の展示物から感じることができますね。

上田)そうですね、ぜひ実物を見て頂きたいですね。

佐伯)そして子規が亡くなるまで、陸羯南が支えてくれて。本当に精神的にもとてもあたたかい方だったと聞いたんですけど、どんなエピソードがありますか?

上田)晩年、子規は脊椎カリエスという病気でほとんど動けなくなってしまうんですけど、それで苦しくて泣き叫んだりっていうこともあったみたいなんです。陸羯南は子規の家の隣に住んでたんですね。そこから羯南が来て、手を握ってあげて額に手を当ててあげて、「僕がいるから大丈夫だよ」っていう風に言ってあげたっていう、そういったエピソードはありますね。

佐伯)まさに、本当に親か家族のように見守ってくれたというのが陸羯南。その子規が晩年をすごした子規庵なんですけれども、ずっと畳の部屋から庭を眺めるしかできなかった、晩年は。

上田)そうです、最晩年になると、亡くなる1~2年前なんかはそういう状態でした。

佐伯)この坂の上の雲ミュージアムの、今私たちがいる特設ブースからは本当にガラス張りで外の様子がよく見えるんですが、子規庵の写真を見ると、やっぱり子規庵からもお庭がよく見えるようなガラス窓がバーンって縁側に向かって広がってるんですけど、この明治の時代はガラス窓っていうのは一般的だったんですか?

上田)いえ、かなり高価で貴重なものでした。

佐伯)そうなんだ、なんとなくイメージでは障子の部屋みたいな感じですけど、すごくガラスがふんだんに使われてて。これもやっぱり陸羯南の思いやりなんですか?

上田)これは、実は子規の門人たちがお金を集めて、子規が寝たまま外が見えるように買ってあげたものなんですよ。

佐伯)当時高価だったガラスを。

上田)そうですね。

佐伯)は~。こういう写真1枚取っても、今みたいな背景を聞いて色々と眺めると、また違った楽しみ方ができそうですね。

 

 


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Selected By Haruhiko Ohno


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