今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、道後プリンスホテル元会長で、愛媛産官学連携観光産業振興協議会会長の河内広志さん。南海放送ラジオで自由闊達なトークを繰り広げるプレゼンターも務めておられます。半世紀以上にわたり、愛媛を代表する観光地・道後温泉で観光業を牽引してきた河内さんは、その功績により黄綬褒章を受章されました。そんな河内さんにお伺いするのは「道後観光の変遷」。「瀬戸大橋、明石海峡大橋、しまなみ海道の3橋時代」「人材不足による意外な効果」「最古にして最先端」をキーワードにしたお話や、褒章にまつわるエピソードも語っていただきました。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
佐伯)先日も全国植樹祭が愛媛でありましたけれども、そういった4大行幸啓ですとか、その中の一つの国体なんかがあると、いろいろなものが整備されたりってあったと思うんですが。昭和28年ですかね、四国でも国体があったかと思うんですけれども、その際は道後は何か恩恵というか影響ってあったんですか。
河内)その当時の旅館組合長が組合員の皆様方とご相談をされて。常に館内に温泉施設を持つということは大きなコストだったんですね。従って行政が作っている、または民間事業者が作っている街へ出ていくことによって外湯文化を楽しむというのが、道後の長い歴史だったんです。
佐伯)そうなんですか!
河内)ところが愛媛国体が決定をしたときに、やはり選手の皆さん方、それから応援団で来られる皆様方に、いちいちご不便をかけるのは不自由だということで、館内に温泉施設を作ろうということを、組合で決議するんです。そして館内にお風呂を作るという内湯文化を進めていくんです。
佐伯)これ大きなスタイルの転換ですね。
河内)転換です。それで非常に選手の皆様方は楽ですから喜ばれたと思いますけれども、私は個人的にはね、それはその時期は正しかったのかも知れませんけれども、その後はやっぱり外湯文化がいいと思うんですよ。館内でご宿泊をされると、中の温泉を楽しまれる方もいらっしゃるし、今でも外湯を楽しまれる方もいらっしゃいますが、やっぱり街に出ていくという勢いをつけるには外湯文化を徹底して推し進めた方が、街作りには貢献したんではないかと個人的には考えます。
佐伯)ただその時は内湯文化…疲れている選手の皆さんもホテルでゆっくりしてもらおうってことだったんですかね。
河内)もちろんです。
佐伯)でも今までは外にあったものを各ホテル、旅館にっていうことになると引き湯をしないといけませんよね。
河内)そうです。引き湯をして松山市が各旅館に、市の財産ですから送湯管でもって、各旅館に送湯、配湯するという長い歴史がスタートするわけですね。
佐伯)それが昭和…
河内)31年…正確にはちょっと覚えてませんが。
佐伯)じゃ、それを各旅館に届けるために何か施設も作られたっていう?
河内)そうです。各組合員が館内に、温泉入浴施設を作っていきます。
佐伯)で、そこから…それが昭和30年ぐらいだとすると、30年ぐらい経ってから瀬戸大橋が開通したっていうことになりますかね、昭和63年。瀬戸大橋が開通して、これでまた道後はもっと大きく変わりました?
河内)信じられない事象が起きました。見たこともない観光バスが、北は北海道から南は鹿児島県から、もう押し寄せてくるんです。
佐伯)は~。瀬戸大橋は香川にあるけれども、ちゃんと道後まで皆さん足を伸ばされたんですね。
河内)私は岡山県と香川県につく橋だからと思っておりましたが、実際は広島県と愛媛県についた橋と勘違いするほど大勢のお客様が大挙して、連日連夜、もう満館を超えた、ものすごい状況で、お見えになりました。
佐伯)橋ってそんなに影響があるんですね!
河内)もうね、「桃栗3年、橋1年」で効果は終わりましたけれども、その1年は長かった!
佐伯)そんな言葉が!「桃栗3年、橋1年」?これどういう意味ですか。
河内)桃と栗は3年ですけど、橋が1年だったというオチです!
佐伯)普通「柿8年」ですけど、「橋1年」(笑)その影響は1年で…
河内)終わります。やっぱり、瀬戸大橋はハードであってソフトではなかったんですよ。手段だったんですね。従って、日本全国の皆様方が、そのハードの橋を渡りたいというお気持ちで来られましたけど、やっぱりブームは去ります。そのときに私が一番痛切に感じたのは、おもてなし業のなりわいで、我々は禄を食んでいるのに、もうね、毎日がもう満館を超えた、満室になると、目の前に来られるお客様が、もう本当に物流のごとく「はかす、流す、こなす」で、とにかくその1日を無事平穏に終えようと。もう心が鬼になって、おもてなしができなくなるんです。
佐伯)余裕がないから…
河内)まったく。社員も同様に心が折れて、もうお客様をお客様としてお出迎えができなくなりました。こんな失礼なことはあってはいけないと思いましたけれども、お客様を受けている以上、1年間は乗り切るしかないという思いで毎日毎日を乗り切りました。
佐伯)そうだったんですね。で、1年後には少し落ち着いてくるんですか。
河内)もう本当に潮が引くように見事にブームは去りました。
佐伯)落ち着いてからは、また元に戻っておもてなしをなさったんですか。
河内)はい、順調にお客様が減少して、また氷の時代、冬の時代が到来いたします。
佐伯)でも、瀬戸大橋開通の10年後に今度、明石海峡大橋が開通。さらにその1年後にしまなみ海道の開通ということで、このときはやっぱり「橋1年」?
河内)はい。同様に2橋目も3橋目も「桃栗3年、橋1年」。最後のしまなみ海道は9ヶ月程度で潮が引くように終焉を迎えでいきます。
佐伯)そうでしたか。
河内)やはりハードの橋というのは、効果が長続きしません。
[ Playlist ]
The Thrills – Don’t Play It Cool
Nick Drake – Place To Be
The Beatles – For No One
Selected By Haruhiko Ohno




