今週は「坂の上の雲ミュージアム」から生放送!松山大学人文学部社会学科准教授の大石茜さんをゲストに、「近代日本の保育」をテーマにお話を伺いました。大石さんのご専門は保育の歴史「保育史」。今では当たり前となっている幼稚園や保育園ですが、日本ではいつ頃、どのような背景で始まったのか、そして時代によってどのように変化したのか。明治の開化期、太平洋戦争の戦時下など、社会情勢によって保育は大きく影響を受けています。そうした中で尽力した女性など、保育の歴史は働く女性の歴史とも大いに関わっています。歴史を学ぶことは未来への希望へ繋がっているという大石さんの言葉が、とても印象に残りました。ちなみに、以前使われていた「保母」というのは「幼稚園教諭」に対して「保育園」で働く女性をさしていましたが、戦中まで使われていたのは「保姆」という漢字。こちらは幼稚園と保育園区別なく、そこで保育に関わる女性を指す言葉として使われていたものだそうです。

番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。


佐伯)ここまで明治期の保育園そして幼稚園の誕生、また戦時中の保育がどのような様子であったのかというお話を伺ってきましたけれども、当然その保育をするとなるとそこで働く、現代で言えば保育士さんっていうのを確保、育成しないといけないと思うんですけれども、ここからはその保育士にスポットを当ててお話を伺っていこうと思います。

大石)はい。先ほど最初の幼稚園が東京女子師範学校の付属の幼稚園だったということや、愛媛県で最初の幼稚園が愛媛の師範学校附属だったというお話をしましたが、各地でこうした師範学校附属の幼稚園というのは多いんですね。それは師範学校で、学校の先生の養成だけではなくて「保姆」の養成もしていたということが背景にあります。幼稚園でリーダーシップをとる女性たちを師範学校で育てていたんですね。特に東京女子師範学校は、当時日本の女子教育で一番高い学歴の学校なので、全国から集まった非常に優秀な女子学生の中から保姆が誕生して、卒業後は地元に帰って保育に携わっていくということがありました。

佐伯)そうなんですね。日本で一番高い学歴を誇る、その学校出身の女性が地方へ戻っていって保育に携わると。

大石)はい。

佐伯)先ほど最初の幼稚園ができたのは明治9年、1876年ということでしたけれども、それ以前から保姆の養成というのはされていたということですか?

大石)先に保姆養成が始まっていたというよりは、幼稚園を作って、そこで実践も兼ねて保姆養成をしていくという感じですね。

佐伯)実践を兼ねて。

大石)なのでほぼ同時に幼稚園を作り、ヨーロッパのいろんな幼稚園をモデルにしながら、そこで実践をしながら日本の保姆養成課程を作っていくみたいな、そういったイメージですね。

佐伯)でもそうした高い学歴を誇る学校出身者が就くようなお仕事だったってことですよね。

大石)そうですね。今と違って女性の職業が限られていた時代に、女性で専門性を持ってできる仕事という意味で、保姆は非常に重要な職業の一つでした。なので、生涯独身で保育に人生を捧げた女性もたくさんいますね。

佐伯)そうですか。

大石)最初に紹介した保育の先駆である東京の二葉保育園を設立した野口幽香という人もその1人で、姫路の出身で東京女子師範学校に進学して保姆となって、結婚せずに自分で保育園を作って保育の世界に献身した女性ですね。

佐伯)そうなんですね。

大石)この保姆養成課程というのは大きく分けると官立公立系の教育機関、師範学校が典型的な例ですが、こういった公立系のものの他に、キリスト教系の教育機関が挙げられます。特に日本の教育は男子の教育を中心に教育制度が先に整っていくので、キリスト教が女子教育の設立に積極的に関わっていったという歴史があります。なのでその女子教育と関わりを持って保姆養成課程や附属幼稚園というのも、キリスト教系の学校に数多く設置されています。

佐伯)そうなんですね。うん。

大石)このキリスト教系の保姆養成課程というのが全国にたくさんあるんですけども有名なものがランバス女学院ですね。関西にありますが、後の聖和短期大学で、今は関西学院大学の傘下に入っています。このランバス女学院では、アメリカの宣教師が英語の原書で保育の講義をしていました。

佐伯)え、そうなんですか!

大石)はい、なので当時こういった女学校に通った保姆さんになりたい人たちというのは英語もできたんですね。

佐伯)へえ~。

大石)大正時代に、日本では大正自由教育と呼ばれた新教育運動というのが盛んになるんですけども、これは学校教育で有名ですが保育でも同様の動きがありました。この新教育運動はアメリカから入ってくるんですけども、アメリカの新教育運動が日本で紹介されて実践されていく中で、ランバス女学院では、まさにその最前線のアメリカで使われているテキストを原書で読んでいたということですね。

佐伯)わ、そういうところだったんですね。

大石)こういった保姆の養成ですとか保姆の仕事というのは、いわゆる内地と呼ばれた日本の国内だけではなくて、外地と呼ばれていた満州ですとか植民地の台湾、朝鮮などアジア各地でも広がってます。日本の保姆養成課程で保育を学んだ女性たちは、外地に渡って外地で子供の教育に当たっていくっていうことがたくさんあったんですね。

佐伯)はい、例えば?

大石)例えば満州では、満鉄と呼ばれる南満州鉄道株式会社が有名ですが、満鉄は学校教育、保育も含めた社会事業や学校教育も全てやって担っていくんですけども、満鉄が幼稚園の経営をしていて、そこで長年保母を務めていた峯タウという女性がいます。彼女はランバス女学院の卒業生で、生涯独身で保育に献身した女性の1人ですね。ミッション系の女学校を出た、すごく後輩から…モダンガールのようなハイカラな人だったようで、多くの母親や子供たちが憧れるような素敵な女性であったというふうに、インタビューとかでも聞いています。

佐伯)そうですか。そういった高学歴の女性たちが、その方たちは子供たちのためにということで保育に献身をしていったという歴史があるんですね。


[ Playlist ]
Nicola Conte – The In Between
Minnie Riperton – Perfect Angel
Coke Escovedo – I Wouldn’t Change A Thing
Duffy – Delayed Devotion

Selected By Haruhiko Ohno


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