今週は「坂の上の雲ミュージアム」から生放送!10月18日に81回忌を迎える松山出身の「反骨の軍人」水野広徳をテーマにお送りしました。水野の菩提寺で毎年追悼法要を行っている蓮福寺の山岡宏住職とNPO法人アイムえひめの菅紀子理事長に水野への想いを伺うとともに、広島大学大学院人間社会科学研究科教授で歴史学者の小池聖一さんに「戦後80年 水野広徳から何を学ぶのか」をテーマにお話を伺いました。水野が生きた時代背景とその思想との関係を考えるとき、現代を生きる私たちが見つめ直すべき課題が浮き上がります。キーワードは「武勲か惨劇か」「意気地なしの腰抜け」「水野の問いは今でも生きている」の3つです。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
佐伯)では小池さん、3つ目のキーワード「水野の問いは今でも生きている」ということでお話を伺っていきます。これはどんなお気持ちを込められたんでしょうか?
小池)はい。水野はハッキリ言いますとですね、第二次世界大戦、特に太平洋戦争というものを非常によく予想していたわけですね。ある意味でそれは不幸にも現実化してしまったというのがあります。ですから、水野が言ったことを国民が聞かなかったという事実も含めて、それはまだ見直すっていうことは常に問い直すっていうことが必要だろうというふうに思うことが第一点ですね。第二点はですね、やはり真に日本っていうのを、日本、日本人と言われてるものがそれをどのように理解したのか、いわゆる反省といいますかね、というようなことも重要なポイントとして挙げられるんではないかと考えています。
佐伯)では、その一つ目のポイントですけれども、先ほども伺いました第二次大戦を予言、予測していたということなんですけれども、もうそれは国を滅ぼすほどのものになると考えていたんですよね。
小池)はい。日本全体が焦土と化すと、あるいは日本の海軍が全滅をするということは想定の範囲内だったわけですね。
佐伯)水野の中では想定していたけれども、実際にそうなってしまった終戦のときにはどんな思いが去来してたんでしょうか?
小池)彼はですね敗戦の8月15日の日にですね、正午、玉音放送の後にですね、野村吉三郎に手紙を、葉書を送ってるんですね。
佐伯)当時の外交官。
小池)外交官で駐米大使でですね、日本の「避戦」に努力をするんですが、駄目で帰ってきた野村吉三郎に対してですね。「時已に遅し」と。「軍部遂に國を誤る」と。「今度こそは国民もいよいよ目が覚めたでせうが時已に遅し」というふうに書いて送っています。非常に、何て言いますかね、多くの人が戦災空襲で亡くなったりもしていますし、彼も自宅も焼けて、そして疎開をしているわけですから、そういう状況の中で国民に目が覚めて欲しい。だけど私は生き残ってしまったけれども、むしろ死んでしまった方が楽だったんではないかというような手紙を書いています。
佐伯)そうでしたか。でも「時すでに遅し」すごく重い言葉ですよね。いよいよ目が覚めたであろうということで、そこから戦後についてはもちろん日本も平和について教育もされて、そういうふうに考え方も、今であれば水野の考え方もさもありなんということで受け入れられるところはもちろんあると思うんですが、世界に目を向けたときに、今この瞬間もなお世界では戦争が起こってますよね。
小池)そうですね。戦争形態が変わる、どんどん変わっていくわけですね。例えば第二次世界大戦後も冷戦もあったわけですし、大国間の戦争はなくなったけれども、戦争が周辺化していくわけですよね。さらに周辺化していくと、ワグネルっていうこの間のウクライナ紛争で出てきたような武装集団みたいなああいうものが、民間会社が戦争を受け負うような状況になったり、いろんな戦争形態が変わっていくわけですが、戦争はなくなったわけじゃないんですよ。第二次世界大戦のいわゆる被害者の数よりも、その後冷戦下も含めた戦争被害者、特に最近なんかではですね、戦争の被害者の数というのは実はそちらの方が全然多いんですよね。ですから戦争と言われているものはなくなっているわけではない。それから冷戦によってなくなったと考えられてた、大国間というか国民国家間の戦争というものも、ウクライナ戦争で始まっているというのが実態です。ですから、目が覚めてるか覚めてないかっていうのは、それを直接見ることができるのかできないのかということでもあると思いますので、そういう水野の問いというのは今も残っているだろうと考えています。
佐伯)日本ではもちろん戦火を交えるということは戦後80年起こっていないわけですけれども、世界では起きている。その中で、その水野の問いを我々はどう考えるべきかという。
小池)そうですね。二つの目。水野はですね、決してマルス(※ローマ神話における勇猛さと武勲などを表す男神)とベローナ(凄惨な実装を表す女神)で言えばベローナの目しかないわけではない。マルスの目があるから軍縮ということも捉えることができたし、それから世界的なレベルで反戦ということも言えたわけですよね。ですからこの二つの目、二つの立場というものを見ながら、この戦後の国際情勢や、あるいは各戦争における要因だとかを見ることができたんではないかな。あるいはそういう目で見れば、我々の見方もまた違ってくるのではないかなとは思います。
佐伯)そして戦後受けてきた我々の教育が果たす平和に対する考え方という部分において、やっぱり教育っていうものが果たす役割の大きさというのも感じますがいかがですか。
小池)そうですね。結局ですね、戦争を止めるっていうことであるならば、あるいは戦争が素晴らしいということを止めるということはですね、最終的には教育しかないんですよ。なんて言いますかね、これはユネスコ憲章にあるような「平和の砦を心の中に作る」っていう言葉もありますし、あるいは教育しかないっていうのは、このフランスのですね、戦争論を書いたですね、名前を度忘れしましたけど、彼なんかに言ってもですね、そういうような教育しか最終的には止めることができないというのが実態としてあります。
佐伯)その教育の中で水野の遺したものを改めて考え直す、見つめ直すということでも、一助になるのではないかと思いますがいかがでしょう。
小池)そうだと思います。いわゆる皆が、いわゆる国民がですね、戦争自体が、戦前の国民にとって戦争は悪いことではないんですよ。悪いことだとは思っていますが「必要悪」だと思ってるわけですね。平和のために必要な道具として戦争はあるんだと考えていたと。だからそういう時代にあってですね、しかし、そのことは自らに返ることなんだっていうことを水野は言い続けたわけであって、そういうようないわゆる国民がいろんな考え方を多様に持つことができるっていうのは一つは教育というものしかないわけであって、最終的にはそういう教育というものの中に水野が果たした役割を再び入れ直すということが重要なことだろうと思っています。
[ Playlist ]
Donny Hathaway – Love, Love, Love
Bibio – Raxeira
Roos Jonker – New Dress
Selected By Haruhiko Ohno