今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、愛媛人物博物館専門学芸員の冨吉将平さん。宇和島市出身で「ネパールの赤ひげ」と称される岩村昇医師について語っていただきました。岩村さんは旧制宇和島中学から旧制広島高等工業学校に進みますが、そこで被爆。療養後、旧制松山高校に編入し、進学した米子医科大学で公衆衛生を学びます。そんな岩村さんは敬虔なクリスチャンでもあり、日本キリスト教海外医療協力会からの派遣ワーカーとして、ネパールへ赴任。結核を中心とした伝染病の治療、予防としての栄養改善などにつとめ、アジアのノーベル賞と呼ばれる「マグサイサイ賞」を受賞しています。今回は「九死に一生を得て」「みんなで生きるために」「後に続く者」という3つのキーワードで、その足跡をたどります。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。


佐伯)では、二つ目のキーワードです。「みんなで生きるために」ということで、ネパールの病院に赴任した岩村さんはどんな診療から始めていくんでしょうか?

冨吉)はい、どんなところかっていうところを説明するのに、やっぱりその行った場所がどういうところかっていうのをまず知っていただいたらと思うんですが、岩村先生が赴任したのはタンセンっていうところなんです。ここがですね、首都カトマンズからですね、一番最寄りの飛行場があるポカラまでプロペラ機で1時間ぐらい飛んで、そこからですね、徒歩で3日間歩いてたどり着くような、まさに山の上にある病院。

佐伯)すごいですね、3日も歩かなきゃたどり着かないんですか。

冨吉)だから車が通らない。

佐伯)ってことですよね、はい。

冨吉)ま、ネパールというとヒマラヤ山脈とかね…

佐伯)はい、山岳。

冨吉)山岳地帯ですね。だから平坦じゃなくて、山を3日間歩いてたどり着くようなところ。で、そのタンセンっていうところにある山の上の病院にはですね、近くても2、3日は当たり前で、遠いところからだと10日以上も歩いて、毎日200人から300人の患者が押し寄せていたそうなんです。

佐伯)そんだけ歩いても、やっぱりお医者さんにかからなきゃっていう方がそれほどいらっしゃったんですか。

冨吉)はい。

佐伯)うわー。

冨吉)ただせっかく来てもらっても、そのうちの半分は結核患者で、もう手遅れというような患者さんだったんですね。

佐伯)そうなんですか。

冨吉)なので、岩村先生は「病院で待ってたって駄目じゃないか」と。先ほどもお話したような感じなんですけれども、「早期発見・早期治療のためには、自分が山々を巡って村を訪れて患者を探す=巡回診療に出ないと駄目だ」ということに気がつくわけなんですね。ただ、その病院の方にはそのための予算がないと。じゃあどうしたかって言うと、自分の生活費を削ってお金を捻出して巡回診療ということで。

佐伯)は~。

冨吉)1か所の村に行ったらまた数日歩いて次の町、村みたいな感じで行くわけなんですね。まさに死闘です。

佐伯)本当ですね。

冨吉)キャラバンを組んで巡っていって、結核だけじゃなくてコレラとか天然痘とか赤痢とか、そういう方々をですね、診察すると。ときには自分もその伝染病に罹ったりしながらですね、1年のうちに約250日の巡回診療、最初の2年間で5000人の患者を診察したと。

佐伯)うわー、もう何か数を聞いてるだけでも途方もないなというふうに思うんですが…

冨吉)そうですね。

佐伯)さっき冨吉さんが「死闘です」っておっしゃいましたけど、まさに闘いですよね。

冨吉)そうですね。もうただの山々じゃないですからね。

佐伯)ヒマラヤ。でも心が折れなかったんでしょうか?

冨吉)そうですね、折れそうなときもあったみたいな。なんか時々夢の中でおにぎりが泳いでたって話は聞くんですけれども(笑)

佐伯)そんな中、巡回診療を続けていくんですね。

冨吉)そうですね。で、ある巡回診療で訪れた山村でですね、1人のおばあさんがですね、喀血して一刻も早く病院へ連れて行かなければならない。ただですね、運ぶ手立てがないと。

佐伯)歩いていかなきゃっていう所ですもんね。

冨吉)そこへですね、たまたまですね、岩塩を買うためにタンセンへ向かうと…タンセンっていうと岩村先生の病院がある所なんですけども、岩塩を買いにタンセンに行くっていう若い農夫の方、農業される方が通りかかったと。その若い方がですね、「行きがけは背中が空なんだから、そのおばあさんを背負いましょう」と。

佐伯)買い付けに行くから、行きは手ぶらだと。

冨吉)そうなんです。ということで、岩村先生は「じゃあ、お願いします」っていうことで、若者は老婆を背負いながら3日間、一緒に山道を歩いてくれたんです。

佐伯)ありがたいですね。

冨吉)そうなんですね。本当に大変だと思うんですよね、ヒマラヤの細い道をですね。

佐伯)一人でも大変なのに背負って、人を。

冨吉)はい、3日間ですね。

佐伯)はい。

冨吉)岩村先生、本当に嬉しかったんです。なので、その若者に通常の倍のお金を払おうとした。

佐伯)はい。

冨吉)ところがですね、その若者が怒っちゃったんですね。「その3日間で金儲けをするために運んだんじゃないんだ」と。

佐伯)怒った!?

冨吉)怒ったんです。「じゃあ何のために運んだんだい?」って岩村先生が聞くと、そのときですね、ネパール語で「サンガイ・ジウネ・コラギ」

佐伯)ん?どういう意味ですか?

冨吉)「みんなで生きるためなんだ」と。

佐伯)は~。「共助」だ、「共助」。

冨吉)そして若者はこう続けたんですね、「自分に余っている若さと体力を、長い人生の間のたった3日間だけ、そのおばあさんにおすそ分けしただけなんだよ」と。

佐伯)うーん、はい。

冨吉)この若者の言葉にですね、岩村先生はもう心がえぐられるというか、もう感動して…

佐伯)今、私だって話をここで聞いただけでもなんかぐっとくるものがありますから、まさに目の前で困っている、しかも命のともしびを何とか繋ごうとしているところに助けてもらった岩村さんにとってみれば、どれほどの喜びだったか!

冨吉)そうなんですよ。本当に胸が熱くなるような思いがするんですけれども、これが結局、岩村先生の生涯の信条になるわけなんですよね。この若者との出会いとその言葉がですね。「みんなで生きるために」。ネパールの草の根の人々との出会いで学んだ、この「みんなで生きるために」っていうことと、「生きるとは分かち合うこと」っていうこの精神がですね、結局は岩村先生の信念みたいなものになって、その後はですね、ずっとそれを世界にですね、発信し続けていくわけなんですよね。

佐伯)う~ん。でもそのおばあさんも結核を患っていたし、岩村先生も幼いころ結核に罹っていたっていうことで、やっぱり結核の治療っていうところには力を注いでいったんでしょうね。

冨吉)そうですね。

 


[ Playlist ]
Nicola Conte – Several Shades Of Dawn
Rumer – Blackbird
Ella Fitzgerald & Louis Armstrong – Autumn in New York

Selected By Haruhiko Ohno


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