今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、乙亥大相撲編さん委員会委員長の岡澤壽さんと医院の清家卓さんのお二人。このほど西予市野村町の誇る乙亥大相撲の歴史をまとめた「乙亥大相撲~伝統を受け継ぎ、未来へつなぐ~」が出版されました。6年前の西日本豪雨で水没した乙亥会館は、地域の皆さんの熱い思いとともに復旧を遂げ、復興のシンボルともなっています。野村の人々にとってなくてはならない乙亥相撲。今回は「乙亥って何?」「野村の相撲文化は日本一」「いよいよ乙亥だなぁ」という3つのキーワードで、その歴史や文化的意味を紐解いていただきました。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
佐伯)私はずっと愛媛で仕事もしてますし当たり前のことなんですけど、乙亥の乙は乙女の乙、亥はイノシシの亥ということで、これ子丑寅などに続いて最後が戌亥で終わりますよね。乙亥っていうのはどういう意味があるんですか。
清家)そうですね、今言われたように十巻十二支のものなんですけれど、謂れはですね、いろいろとあるんですが、乙亥の始まったきっかけというのが、嘉永5年、1852年の6月に野村に大火事が起きまして、かなりもう100軒以上の民家が焼けた大火事がありました。そういった火事を2度と起こしてはいけないんで、こういった相撲を奉納するんで火事は二度と起こらないようにしてくれということで、地元の三島神社に祈願して奉納して始まったのが乙亥というふうに言われております。
佐伯)は~、もともと二度と火事を起こすまいというのが、奉納したのが始まりなんですね。
清家)そうですね。その奉納した日が10月、当時の10月15日というところで、「乙亥の日」に始まったということで「乙亥大相撲」というふうに言われたというふうに聞いてますね。
佐伯)ああ、そうなんですか。今年は何年っていう干支の年っていうのはよくありますけれども、日にも「乙亥の日」っていうのがあるんですね。
清家)そうですね、はい。一般的にはですね、今回僕らも「乙亥(おとい)」と当たり前のように言っとったんですけれど、今回編さんの方には大学の先生や歴博の学芸員さんも入っていただいて、「実際これ『おとい』って読まないよ」と。
佐伯)え?
清家)一般的には「きのとい」って呼ぶらしいんですが、逆に僕らが「え?:って。
佐伯)いやいや私も今「あ、そうなんだ」と思いました(笑)
清家)「おとい」っていうのがなかなか一般的に読めないらしくって、「おとい」と言われるのが吉日、棟上げとか家建ての吉日ということで縁起がいいというふうにされておりまして、そういった縁起の良い意味でも先人たちが「乙亥」ってつけたんじゃないかなというふうに言われてはおりますね。
佐伯)もともと火事にまつわることの奉納だったから、その焼けてしまった100軒余りですか、家も早く建つようにみたいな思いもあったのかもしれませんね。
清家)そうですね、はい。
佐伯)そうですか。で、100年間奉納するっていうことで始まったということですか。
清家)はい、100年間奉納するんで火事は起こさないでほしいということで、お祈りして始まったというふうに言われてますね。
佐伯)で、実際に100年間続いたってことですか。
清家)続きましたね。
佐伯)ほ~、それもすごいですよね。
清家)その間、江戸時代から始まったんですけれど、それから明治時代になって、大きな日清日露戦争、また太平洋戦争とかもありながらも、ずっと続いていったというような話がありますね。
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Selected By Haruhiko Ohno