今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、四国中央市で宇摩地域の歴史や文化などを紹介・展示する郷土資料館「暁雨館」の学芸員・石川桂さん。江戸時代の儒学者で教育者の尾藤二洲について紹介していただきました。二洲の出身地にある川之江小学校では校歌の中にその名が出てくるほど身近な存在で、石川さん自身も、この校歌を歌って育ったのだとか。暁雨館では二洲による十の心がけを「二洲先生のアドバイスみくじ」として設置していて、私も特別に一つひかせてもらうと…(結果はポッドキャストで)!市民による顕彰会も存在するなど、宇摩地域では有名な偉人・尾藤二洲。その足跡を「学問の素質」「座右十戒」「寛政の三博士に」という3つのキーワードでたどります。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。


佐伯)では、三つ目のキーワードです。「寛政の三博士に」ということなんですが、大阪での塾も順風満帆、そして朱子学を広く伝える教科書になる本も出版したという二洲ですが、その暮らしぶりっていうのはどんな感じだったんでしょうか?

石川)はい、塾も軌道に乗って本なども出してたんですが、でも生活の方は貧しかったようなんです。二洲自身は物事に執着しない、そういう性格だったようで、出世欲とかもないし、金銭にも関心がなかったというふうに伝わっております。実際に様々な藩から教官就任の話があったようなんですけども、もうほとんど辞退しておりました。

佐伯)あら。

石川)そういう暮らしぶりからは、貧しいことを楽しもうという、そういう境地すらも感じられるところになります。

佐伯)なんかこう…学者さんあるあるみたいな感じですね(笑)

石川)そうかもしれません、質素を好むというような、はい。そういうところだったのかもしれません。

佐伯)そうですか。ただ、そういう暮らしに満足しながら過ごしていたっていうことですよね。

石川)はい。とてもそういう暮らし、大阪での暮らしというのも満足していたようなんです。だから寛政三年の頃に、幕府から江戸のしょうへいこう昌平黌(幕府直轄の学問所)の教官になるようにお達しが来るんですが、このときには「穴へ落ちたるような気持ち」と、そういうふうに表現しております。

佐伯)穴へ落ちたような気持ちですか(笑)。だけど、幕府からね、江戸の一番…なんでしょう、すごく認められるというかね、皆さんが憧れるようなところに招聘されたってなれば名誉なことだと思うんですけどね。

石川)そうなんです。実際にこれ本当に名誉なことのはずなんですけども、二洲は静かな暮らしを求めていたということで、本当に天下の幕府からお達しがあったということで、青天の霹靂で困惑していたようです。

佐伯)困惑…

石川)そうなんです、すごく動揺して、地元の親戚、川之江の方の親戚には昌平黌への招きについて「罪人も同様だ」とか…

佐伯)え~!

石川)「不自由の至り」なんて書いて、そういう手紙を送っております。

佐伯)不自由ね。ま、確かに幕府の直轄の学問所っていうことになると、これまでの自分の塾のように自由にはいろいろ勉強というか研究などはできなくなるっていうところを恐れたのかもしれませんね。

石川)はい、そうなのかもしれません。

佐伯)ですが、その後二洲はどうするんですか?

石川)はい。悩んではいるんですが、ともに朱子学を学んだ友人からの勧めもあって、最後は昌平黌の教官になることを決意していきます。これが45歳の時のことになります。

佐伯)へ~、友人の勧めだったんですね。

石川)共に学び合った信頼できる友人ということで決意をした二洲は、家族や弟子たちと共に20年住み慣れた大阪を離れて江戸へ向かっていきます。塾の方なんですけども、弟子の(近藤)篤山に任せていました。ですが、二洲は弟子の篤山の才能や人柄を認めていたので、後にこの篤山を自分のいる昌平黌の方に呼び寄せております。

佐伯)それで篤山は昌平黌で学ぶことにもなったということなんですね。さあ、その昌平黌なんですけれども、二洲はどんな講義をしていたんですか?

石川)はい。二洲の声は爽やかで、発音は明快。一度話し始めると、門人たちは静かに聞き入ったというふうな文献が残っております。とても快活な講義をされていたんではないかと思います。同時期に昌平黌で教官を務めていたのは、二洲の他に柴野りつざん栗山、岡田かん寒せん泉で、この寒泉は後に古賀せいり精里と交代していきます。この寛政時代に教官だった尾藤二洲、柴野栗山、古賀精里は「寛政の三博士」として、当時の教育界をリードしていきました。

佐伯)すごい、もうカリスマ的な存在だったんでしょうかね。

石川)そうですね、リーダーとして引っ張っていったんだと思います。

佐伯)人気もあったんでしょうね。

石川)そうだと思われます。昌平黌での在職期間っていうのが、だいたい20年ぐらいあったんですが、そのうちの14年間は筆頭教官。これ今の校長先生にあたる役職、トップとして勤めていたということで、信頼と実績があった証拠だと思います。

 

 


[ Playlist ]
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Swing Out Sister – Heaven Only Knows
Jane Monheit – No Tomorrow (Acaso)
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The Radio Dept. – What You Sell
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Selected By Haruhiko Ohno


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