今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、愛媛人物博物館の専門学芸員・冨吉将平さん。8月4日の「栄養の日」を前に、西条市出身で「栄養学の父」と称される佐伯矩(さいき ただす)について伺いました。いま私たちが当たり前に考えている栄養素やカロリーなど「栄養」について、世界で初めて科学の対象にしたのが佐伯矩なんです!そんな人物が愛媛出身だったとは…。今回は「矩、栄養学の必要性を覚る」「矩、栄養学を研究し広める」「矩、栄養士を作る」の3つのキーワードで、その偉業に迫ります。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
佐伯)3つ目のキーワードです。「矩、栄養士を作る」ということなんですけれども、本当に研究成果を広めるっていうこと、また実践するっていうことを大切に活動してこられたんだなというのがこれまでのお話でわかりました。
冨吉)はい。国立栄養研究所でもですね、私立のときと一緒で、やはり基礎的な研究もするし応用的な研究もするんですが、その他にですね、やっぱり調査ということで、研究した内容が本当に実践してみて成果が出るかっていうのを非常に大事に考えていたんですね。それが国立栄養研究所ではフィールドワークというふうに位置づけられていて、それも研究活動として非常に大事にされていたと。実際どんな研究をしていたかっていうと、研究の一例ですけれども、1日に必要とされる栄養の要求量を決めておくわけなんですよね。それをどんなふうに摂取したらいいか。例えば何回に分けて…要するに食事の回数ですよね。で、佐伯矩さんは1日に必要な栄養素が含まれる食事を「完全食」とか「標準食」っていうふうに言って、そうでないものを「偏食」としたわけなんですよね。
佐伯)へ~。
冨吉)で、1日単位で見てみると、一食で1日に必要なものをワーッて取ってしまうというよりは、3回に分けた方が効率がいいと。というようなことを発見されて、実践してみたら実際そうだった。で、佐伯矩はこれを「毎回食完全則」というふうに名付けて、日本ではそれまで1日2食っていうのが習慣だったんですけれども…
佐伯)そうだったんですか。
冨吉)はい、矩の研究成果によって、それを広めていって、1日3食っていうのはこれで定着。
佐伯)え~!じゃ、今の朝食昼食夕食っていう1日3食は、佐伯矩が提唱したものなんですか?
冨吉)そうなんですよね。
佐伯)知らなかった!そうですか。
冨吉)だから、朝抜いて食い溜めとかは駄目なわけなんですよ、佐伯矩に言わせると。
佐伯)そういうことですか。
冨吉)はい、バランスの良いものを3回に分けて、1日に必要なものを取るっていうのが理想ですよ、ということをおっしゃってらっしゃるんですよね。
佐伯)これが令和の私達も、今も提唱されてることですからね。そう考えるとすごい成果ですよね。
冨吉)そうですね、はい。
佐伯)そして「栄養士を作る」ということになっていくんですが、これは?
冨吉)はい、きっかけはですね、関東大震災なんですね。関東大震災の時にですね、国立栄養研究所の所員さんを総動員して、被災された方の救護活動とかするわけなんですけど、それに合わせて食品を分配したりだとか炊事用の水を運んだりとか、重湯を調理したりとかしていたんですが、それがですね、その国立栄養研究所が配布したものっていうのはやはり栄養分をすごく考えていたわけなんですよね。その救護活動そのものが、営業改善のですね、フィールドワークの一例ともなったんですけれども。この他ですね、被災した小学校の子供たちに給食を国立栄養研究所で提供しようということを、東京市の方にですね、提案したんですが、実はですね、その国立栄養研究所の給食を食べた子たちはですね、被災をしていない小学校の子供たちよりも体格が良くなったりとか、健康状態が良くなったりとか、非常に成績が良かったわけなんですよね。だから、これが起きると、「じゃあ、うちでも」「うちでも」っていう話になりますので、他の小学校でも望まれるようになったわけなんですよね。ところがそれを本格的に広めていこうとすると、それの指導ができる人材が足りなくなっちゃったわけなんですよね当時はまずは間に合わせとして、日本女子大学の家政科の学生とかそこの先生方が中心となって、国立栄養研究所で臨時の講習を受けて指導にあたったんですが、それが栄養士の誕生のきっかけとなっていくわけなんですよね。とにかく、この給食の現場で指導ができる人材を育てなきゃいけないと、それが急がれるというふうになっていったわけなんです。
佐伯)なるほど。きっかけが関東大震災だったんですね。そこから栄養の大切さっていうことが理解されるようになって、人材が必要となっていくと。
冨吉)はい。で、佐伯矩さんは、その指導ができる人を育てるための学校をですね、作れ作れとですね、国の方に再三要求するわけなんですよね。ただ、その管轄だと内務省ってところはですね、「それは必要なのはわかるんだけど、お金がね…」という。財政難、まあ大震災が起きた後っていうのもあったんでしょうけれども、なんせ予算がなかったと。なので、それなら「私費でやるのは構わないよ」と。要するにまたポケットマネーならいいよと、回答は一応出したんですよね。それならばということで、佐伯矩、大正13年にですね、もともと自分が経営していっていた私立栄養研究所の跡地に、世界初の栄養士養成施設である栄養学校を設立して、卒業生を栄養士とすることを決めて。
佐伯)そっか、そこまではそうした知識のある方たち自体が少なかったので、栄養士っていう立場の人もいなかったわけですよね。
冨吉)はい、そうなんですよね。
佐伯)その名付け親ともなったのが佐伯矩!
冨吉)そうなんですね。
佐伯)またそうした方々が(栄養学を)さらに広めていくんですね。
[ Playlist ]
Fernanda Porto – Auto-Retrato
Ophelia Swing Band – Knock Knock
Rumer – Come Saturday Morning
Everything But The Girl – Rollercoaster
Selected By Haruhiko Ohno