今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、八幡浜市美術館学芸員の井上千秋さん。八幡浜出身で「飛行機の父」と称される二宮忠八についてお話を伺いました。あのライト兄弟が有人飛行に成功する12年前に、丸亀練兵場でプロペラ式烏型模型飛行器の飛翔実験に成功していた二宮忠八。有人飛行まであと少しというところまで研究を進めるも、ライト兄弟に先を越され、飛行機研究から一切手をひいてしまったのです。しかし、その研究は昨年、日本航空宇宙学会から「航空宇宙技術遺産」第一号に認定されるなど、その功績が再び脚光を浴びています。今回は「凧づくり名人」「カラスの群れが飛ぶのを見て」「有人飛行をはばんだ戦争」をキーワードに、二宮忠八の足跡をたどりました。


佐伯)軍で認めてもらえなくて、きっと失望したと思うんですよ。そのまま軍に残るわけですか?

井上)そこがすごいとこなんですよ。

佐伯)え?

井上)忠八は「もうこれは軍に頼っててもしょうがない」っていうことで、33歳で軍を辞めて自分でお金を貯めて飛行機研究を続けようと大阪に出るんですね。で、大阪の製薬会社に入ります。

佐伯)お、製薬会社。

井上)はい。

佐伯)15歳でおじさんの薬屋に(働きに出た経験が)…

井上)ここでも生きてきます。設立されたばかりの大日本製薬株式会社、現在の大日本住友製薬に営業部員として入社します。

佐伯)営業さんなんですか?

井上)はい、もう本当の最低賃金から入ったらしいですよ。それが、でもメキメキと才覚を伸ばして。当時の薬品って粗悪なものが多かったんですね。で、品質の良い薬品の製造に心血を注ぎます。内服用殺菌剤であるクレオゲスト、正露丸の成分としても知られているクレオソートというのがあるんですけども、これを溶解して吸収しやすくした、そのクレオゲストという薬や二宮舎利塩っていう、まあ自分の名前を取った下剤なんですけれどね、これも開発して成功して。なんと、この二宮舎利塩っていうのは1903年の内国博覧会で金賞を受賞してるんですよ。

佐伯)え、すごいですね!

井上)そう。で、クレオゲストの発明で薬学会の大会で演説も行っているんですね。

佐伯)あの二宮忠八といえば「飛行機の父」っていうワードはありますけど、実は製薬業でも大変な功績を残してるという…

井上)そうなんですよ。

佐伯)はぁ、そうでしたか。

井上)だから、この薬学会の大会で演説を行っているんですけれども、この大会で出てくる他の人たちっていうのが東京帝国大学の教授だったり、薬学博士だったりっていうので、小学校しか卒業してない忠八がその方たちと並んで講演したっていうのは、それはもう偉業だと言えるんですよね。

佐伯)ですね~。

井上)で、忠八が作ったり改良を加えたりした薬は百数十種類にのぼります。

佐伯)そんなに!いやー、だけどまあ飛行機の研究のための資金をということで転職したわけですよね。にしては、ものすごい功績ですね!

井上)まあでも全ては飛行機開発のためっていうのが根底にあるんですね。で、会社が大きくなって東京支店ができたら、さっき言った営業職として最低賃金で入った忠八が、今度は東京の支店長になって。で、武田長兵衛、田辺五兵衛、塩野義三郎…

佐伯)あれ?

井上)聞いたこと…

佐伯)今の苗字は、武田?

井上)薬品だとか。

佐伯)田辺?

井上)製薬

佐伯)塩野義…

井上)製薬、の錚々たる大御所が忠八の良き理解者だったと。

佐伯)へ~。だけど、そんな大物と肩を並べるほどになったら、まあ業界もほっとかないと思うんですけど、その仕事をしながらも飛行機の研究?

井上)この資金集めの時は、飛行機研究は一旦中断しているんですよ。

佐伯)あ、そうですか。でもそれをするためのこの期間ってことですよね。

井上)はい。で、それなりのチームできた、資金も溜まった。さあいよいよ飛行機の開発するぞ!ってことになるんですね。で、1902年に京都府八幡町、現在の京都府八幡市の石清水八幡区に参拝するんですね、忠八。その時に故郷の八幡浜と同じ八幡の名前の懐かしさと、あと木津川という川が石清水八幡宮の近くに流れているんですけど、大きい川が。そこの川幅が広くて一面の砂浜であったことから、この地が飛行機の実験場には最適だと。で、付近にあった精米所の石油発動機に着目して、これを動力にして飛行機を飛ばせるんじゃないかということで精米所を買い取って…

佐伯)え、精米所買い取っちゃうんですか?!

井上)はい、もうお金もできたので。玉虫型飛行器の製作を本格的に再開するんです。

佐伯)はい。

井上)が、その矢先、忠八にとって悲劇が訪れます。

佐伯)なんですか?

井上)ライト兄弟、世界初の有人動力飛行に成功。

佐伯)はぁ~、先越されちゃった。

井上)はい。1903年にライト兄弟が世界で初めて飛んだんですね。で、日本にその情報が入ったのは5年後だと言われてるんですね。

佐伯)そんなに?

井上)すぐは入ってこなくって。で、忠八はまあ新聞でその事実を知って、もう製作途中だった玉虫型飛行器を打ち壊して、男泣きに泣いたと。

佐伯)壊さなくても…

井上)残してくれたらいい資料になるのにと思うんですけれども、「もうこうなっては仕方がない、多年の苦心ついに成らず。既に外国に先んじられた以上は、もはや彼らの後塵を追うは愚の至りである。遺憾なれども打切ろう」という言葉を残し、以来飛行機研究から一切身を引くことになります。

※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。

 

 


[ Playlist ]
Kings Of Convenience – Peacetime Resistance
Belle & Sebastian – Asleep On A Sunbeam
Sade – By Your Side

Selected By Haruhiko Ohno


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