今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、西条市の「五百亀記念館」学芸員の藤原英子さん。記念館の名前にもなっている彫刻家・伊藤五百亀について、また現在開催中の開館10周年記念企画展「秋川雅史彫刻展~彫り奉らん」についてお話を伺いました。大正時代、大保木村(現在の西条市)の農家に生まれたものの、彫刻家を志して上京。美大に入りますが、戦時色が濃くなり授業が縮小するなどを嫌い中途退学。その後は恩師となる彫刻家・吉田三郎氏に師事し、「鍬の戦士」という作品で一躍注目を浴びます。戦争により一時は彫刻を諦めた彼を支えたのは、故郷の人々の思いでした。今回は、「鍬の戦士」「彫刻を断念」「令和の五百亀記念館」のキーワードで、伊藤五百亀に迫ります。復帰後は日展で文部科学大臣賞を受賞するなど、彫刻家として高い評価を受けた伊藤五百亀。その作品は県内各地に残されています。その様々な偉人の像を、改めて探してみてはいかがでしょうか。


佐伯)2年目の出展で文展で特選を受賞したというところまで伺いましたが、その後はどうなっていくんでしょうか?

藤原)先ほどの「鍬の戦士」を制作する背景というのは、もう徴用が決まっていたんですよね。

佐伯)徴用?

藤原)徴兵ではなく徴用と言って、従事すると言っても航空機の制作というか、設計に携わるという形で従事をするんですよね。で、徴用先が岡山県でして、水島航空機製作所というところに従事するまで3週間しかない中、製作した作品だったんですよね。

佐伯)「鍬の戦士」は。

藤原)はい。

佐伯)そうなんですね。

藤原)それで、「最後の作品になるかもしれない、もう二度と彫刻の道に戻ることはできない」という思いで製作した作品だったんですけれども、それを出品して徴用先に向かったということですね。

佐伯)じゃあ、その入選したのが昭和17年でしたっけ?

藤原)18年ですね。

佐伯)18年ですか。もう本当に戦争も終盤に向かっている時ですよね。

藤原)そうですね、はい。特選を受賞した翌年ですね、伊藤五百亀の彫刻活動というものを生涯支え続けることとなる夫人と結婚してるんですよね。で、その翌年戦後を迎えまして、夫婦で故郷に戻って、お互いに慣れない農業で生計を立てながら平凡に暮らしていたんですね。 昭和24年には娘ののりこさんもお生まれになって、平凡ながらも平和な日々を過ごしていたわけなんですけれども、その頃の伊藤五百亀というのは、一時彫刻の道を諦めたといえども、やはりその思いを捨てきれず、何かしらの作品を作っていたようなんですよね。そんな伊藤五百亀を見ていた故郷の人々というのが、大保木村の村長であった伊藤一さんを中心に後援会を結成されまして、伊藤五百亀を全面的にバックアップしようと。で、彫刻家としての道に戻りなさいよというような支援を受けるわけです。

佐伯)そうなんですか。でも戦後まもなくって言いますと、皆さん自身の生活も大変な時期ですし、そんな中で戦争によって彫刻を断念していた地元の青年をバックアップしようっていう機運が生まれるってすごいことですね。

藤原)もうそこはすごく注目してもらいたいところでもあるんですけども、大保木という、とても小さな山村に、そういう作家を支えるという社会基盤というものが確立していた、戦後10年も経たない間に。それはすごく豊かな心というものが育まれていたんだなと。それはすごくありがたいことではなかったかなと思いますし、そういう心構えっていうのはとても大切、いつの時代においても。そういう支援を受けて、伊藤五百亀は再び彫刻の道に戻ることになりました。

 

 


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Selected By Haruhiko Ohno


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