今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、松山歌人会会長の片上雅仁さん。4回目のご出演です。今回は、太平洋戦争中の戦闘機「紫電改」がテーマ。愛南町にある「紫電改展示館」では国内で唯一現存する「紫電改」を見ることができますが、こちら2026年にリニューアル予定で、先月、完成予想図が公開されたところです。その「紫電改」が生まれた経緯や部隊の隊員たちのエピソードなどを、「パイロットの命を守る」「食べ物もいいし、人もいい」「特攻を拒否」という3つのキーワードで紐解きました。


佐伯)2つ目のキーワードです、「食べ物もいいし、人もいい」ということです。これどういうことでしょうか?

片上)元々この343航空隊というのは横須賀で結成された。海軍の大本拠地ですね、航空隊もあって、そこで結成されたんですけど、横須賀もまあ色んなのがいて狭いなと。もうちょっと広いところがいいと。戦闘機部隊が3つあったんですけど、そのうちの1つの隊長だった菅野直(かんのなおし)さんっていう方がですね、「もうちょっといいところないか」って言ったら葛西智一(かさいともかず)さんという方がですね、松山航空隊で訓練を元々受けたことがあった方で、「いや私は松山に行ったことあるんですけど、松山がいいですよ」と。で、管野大尉が「よし、じゃあ俺が直接行って確かめてくる」って、それこそ紫電改に乗ってポッと行って。

佐伯)紫電改に乗って視察に来たんですか?

片上)そうそう。こっちに来れば、航空隊があるわけですから滑走路もありますからね。ほんと一人で飛んできて、朝飛んできてその日の夕方のうちに横須賀に帰ってくるはずだったんですけど、帰ってこないのでどうしたんだろうっつったら、翌日の夕方になって帰ってきて。で、帰ってきて言うには、「いやあ、松山はいい。広いし、飛行場がですね。それに食べ物もいいし、人もいいし、あそこだ!」と。それで、松山に来たっていうんですね。

佐伯)じゃあその菅野さんが松山を気に入ったんで、その理由が「食べ物もいいし、人もいい」と。しかも日帰り出張のはずが1泊2日になって。その方の決定で松山に3000人やってきたってことですか?

片山)まあ、それだけでもないんだけれども、例えばそのパイロットも休憩しなきゃいけませんからね、例えば道後温泉もあると。ちょっと赤い灯青い灯もあると。で、菅野さんも松山航空隊の近くの農家に泊めてもらって、農家ですからね、食べ物豊かで、だからいっぱい食べさせてもらって、お酒も飲んでいい気持ちになったっていう風に言われてるんですけど、本当はね、道後温泉行ってね、ちょっとそのへんの赤い灯青い灯のところで遊んだりもしたんじゃないかと…たいていそうだろうと思ってます。

佐伯)片上説。でも視察の時に、そちらの農家の方にもよくしてもらったしっていうところ…

片上)そこらへん、「食べ物もいいし、人もいい」っていうのはそういうことなんでしょうね。

佐伯)じゃ、そういう背景もあって松山へ。

片上)もちろん軍隊が動くわけですから、それだけではなく地理的な意味が、軍事的な意味がないといけない。まあ呉が近い。アメリカ軍は南から呉を爆撃にやってくる、それを迎撃する、ちょうど松山って都合がいいんですよ、あそこから出撃すると。

佐伯)確かに近いですもんね。

片上)そして呉海軍工廠がありますからね。

佐伯)海軍工廠?

片上)つまり海軍の工場ですね。部品やら何やらの供給が便利だと。連絡も便利だということ、それも大きかったと思いますね。

佐伯)そうした軍事的理由も加味されて…っていうか、そっちが先ですけどね。軍事的にもとても地の利があって、人もいい、食べ物もいいということで松山にやってくる、3000人がね。で、場所は今の松山空港周辺?

片上)現在の松山空港の滑走路は2500mぐらいあるわけですけど、あれの真ん中のあたりの590m分は当時の滑走路です。もちろん舗装し直してありますけど(笑)

佐伯)そうなんですか!

片上)590mが両方に延長されて、今2500mに。

佐伯)へ~、そうなんだ!これは知りませんでした。今度、飛行機に乗って出張する時なんかには「紫電改もここから飛んだのか」って思っちゃいますね。

片上)滑走路全体のだいたい真ん中ぐらいです。

   

 


[ Playlist ]
Kings of Convenience – Homesick
Tracey Thorn – Hands Up To The Ceiling
Bob Dylan – Corrina, Corrina

Selected By Haruhiko Ohno


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