ゲスト:NPO法人アイムえひめ理事長、通訳・翻訳家 菅紀子さん

今週、坂の上に訪ねて来てくださったのは、NPO法人アイムえひめ理事長で、通訳・翻訳家の菅紀子さん。夏目漱石をはじめ、愛媛にゆかりのある偉人たちの研究家でもある菅さんですが、今回詳しくお話を伺ったのは、今治出身の偉人・重見周吉について。じつは漱石の人生に大きな影響を与えた“ライバル”だったというのですが、その真相とは?


 

佐伯)さっき「漱石のライバルの本を見つけましたよ」というコメントがあったと思うんですが。

菅)いいところに気づきました!この重見周吉さんが書いた本は「日本少年」という本なんですけれども、これが漱石のライバルの本だっていう風に恒松さん(ロンドン漱石記念館の恒松郁夫館長。ロンドンの古書店で「日本少年」を発見し、菅さんに紹介した。)がおっしゃるんです。「どういうこと言ってらっしゃるんかな?」と思って、最初はもう狐につままれたような気持ちだったんですけれども、原書を日本語に翻訳するとともに、同時進行で漱石と重見周吉さんとの関係をずっと研究を始めたんですね。それで「ああ、なるほどライバルだ!」というのがわかったんです。実は重見周吉さんはエール大学で医学部まで進学して、晴れて医学博士号を取って医師免許を持って日本に帰国しました。そして当時の慈恵会医学校という、イギリス医学を元に高木さんという方が始められた医学校の英語と物理の教師を3年。それから当時は官立の学校であった学習院ですね。学習院は皇室の方々とか貴族の身分の方々が行く学校だったんですけれども、そこの英語教師として仕事をしようということで、学習院に応募するわけですね。その時に同じく応募していたのが、東京帝国大学を卒業したばかりの夏目漱石さん。当時はまだ作家になってなかったので、夏目金之助さんという実名で、だったんです。ということでいわば“就活のライバル”という関係だったわけですね。で一言で結果を言いますと、なんと夏目さんが落ちて、今治の重見周吉さんが採用されたというわけなんですね。

佐伯)は~!その時の年齢って?

菅)当時、夏目金之助さんは24歳ですね、大学出て。そして重見周吉さんの方はね、エール大学も終わって帰ってきて27歳。3歳違いなんですね。明らかに英語力としては、その時点ではですね、やはりネイティブのところで何年もやってきて医学まで英語で修めたような重見周吉さんの方が勝ってたということだったんじゃないかなと思います。

佐伯)うわ~、エリート意識がきっと高かったであろう漱石さんは、相当ショックだったでしょうね。

菅)その時の挫折感たるや、どれだけあったかなあと思われます。

佐伯)それで、敢え無く就活失敗して漱石は?

菅)この失敗した後ですね、なんと1年後に愛媛県の松山中学 へ赴任するわけです。

佐伯)え~っ!っていうことはですよ、その就活で漱石が採用されていれば、松山には来なかった?

菅)そういうことになりますね。

佐伯)ということは、その後熊本にも行かなかった?

菅)そうそう。そしてね、熊本からロンドン留学っていう道も、ずっと開けてたかどうかっていうのは分かりませんね。まあもちろんですね、学習院を落ちたことだけが松山に来る理由だったかというと、それは何とも言えないんですけれども、でもこの学習院の挫折(・・)っていうのは明らかにありまして。というのが、漱石さんが本物の文豪になった後、もう亡くなる2年前ですね、彼の晩年の時に、この落ちた学習院の輔仁会という同窓会から講演を頼まれるわけですね。それで、その講演の時に、学習院の現役の若い学生さん達に向かって、言わなくていいのにわざわざ「私は実は、ここの学習院の教授になろうとしたことがありました。でも、その気になってモーニングを揃えていたら、豈図らんや落ちました」という。「その時に採用されたのは米国帰りの人だったということですが、その人の名は忘れてしまいました」なんて講演するわけなんですね。でもそれは後で「私の個人主義」という大変重要な漱石の著作の一つとして残るわけなんですけれども。なので、わざわざ晩年に何十年も前のことを、自分のしかも失敗談をね、言わなくていいのに言ってるっていう事は、やはりずっと心の中に持ち続けていたんだろうなと思われるんですね。なので、重見さんのことも忘れてなかったと思いますね。

佐伯)漱石の心に幾何かの傷を残したのが重見周吉!?

菅)でもね、傷というよりも、結局それによって漱石さんはもう一度考え直して、自分は一番何をやりたいのかっていうのをよく考えて、「いや、自分がやりたいのは教師ではない。著作をしたいんだ、小説を書きたいんだ」という気持ちをはっきり自分自身で確かめていって作家に、自分で選んで職業作家になるわけですから。まあ考えてみれば、その挫折によって、重見さんによって漱石自身の人生の方向性を決めていくきっかけを作ってあげた人じゃないかなと思います。そういう意味で、大切なライバルなんです。ライバルって、とっても大切なんですね。

 

 


[ Playlist ]
The Little Willies – Roll On
Melissa Manchester – Bad Weather
Mayer Hawthorne – Mr. Blue Sky
Minnie Riperton – Perfect Angel
Mighty Diamonds – Right Time

Selected By Haruhiko Ohno