今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、今年8月にオープンしたばかりの「佐田岬半島ミュージアム」の副館長兼主任学芸員の高嶋賢二さんです。日本一細長い半島として知られる佐田岬半島の自然や文化をたっぷりと紹介しているミュージアムは、夏休み中のオープンということもあり早くも人気を博しています。今回は佐田岬半島の魅力について、「三方を海に囲まれて」「変わらず残った宝物」「岬人の知恵と開拓精神」という3つのキーワードで紐解きました。


佐伯)今ですね、段々畑が出てきましたけど、佐田岬の産業って言いますと柑橘栽培だったり、それから漁業だったり…っていうのがパッと思い浮かぶんですが、他にも産業的にはどんなものがあったのですか?

高嶋)もう今は全然ないんですけど、かつては銅山がたくさんありました。

佐伯)え、たくさん?

高嶋)そうですね、別子銅山と同じ三波川帯っていう岩石のところなので、けっこう掘ったら銅が出るところがちょこちょこありまして、明治以降なんですけど、もう中小零細ベンチャー銅山が本当にわーっと出てくる時期がありまして。名前だけ拾うと100カ所以上ありましたね。

佐伯)銅山が100カ所?

高嶋)銅山が。〇〇銅山、✕✕銅山、って色んな名前が出てくるんです、明治時代から昭和にかけて、100カ所以上。

佐伯)え~!それはいつ頃まで続いた?

高嶋)昭和40年に高浦鉱山っていうのが最後消えまして、それでもうこの地域の銅山は終わるんですけれど、もうそれまでは銅鉱業関係者の人口の出入りがあったりということで、この地域の近代化を支えてくれたのも銅山なんです。

佐伯)一大産業だったんですね、昭和40年代まで。ということは、工業も盛んだったってことですか?

高嶋)掘って、ちょっと製錬するところまでですね。そこから先は多分もう少し大きい町へ運ばれていったんだろうと思うんですけれど。

佐伯)さっきおっしゃったように、愛媛で銅山って言ったら誰しもが別子銅山を思い浮かべると思いますけれども、佐田岬にあった…

高嶋)別子銅山は住友さんっていうバックボーンが江戸時代からずっとついてたんですけど、 こっちは本当にもうベンチャー。開拓精神の色んな人が一攫千金でわ~っと始まった銅山が多かったので。

佐伯)じゃあ、もう個人レベルみたいなものが多かったんですか。

高嶋)そうです。で、合併したり吸収したり潰えたりしながら、だんだん衰退していったんですけど。一時期はすごかったんです。

佐伯)でも別子銅山の跡地なんて今は観光の名所にもなってますけど、なんか残ってないんですか?

高嶋)製錬所の跡が残ってる所ありまして、1カ所は旧三崎製錬所焼窯っていう名前なんですけれど、国の登録有形文化財に一応なっております。

佐伯)ということは、それ、私たちも見に行くことが出来るんですか?

高嶋)あ、行けますよ。ちょっと険しいんですけど(笑)

佐伯)どのあたり?

高嶋)なんていうか…右手を伸ばして佐田岬半島になぞらえたとしたら、親指の爪のあたりです。

佐伯)親指の爪!半島の先のちょっと出てるとこの…先の方ってことですか?

高嶋)はい、人差し指さしたような佐田岬を腕になぞらえて、親指の爪あたりが精錬所です。

佐伯)じゃあ、ちょっとそれをヒントに出かけて…

高嶋)尋ねながら、ま、気をつけて(笑)

佐伯)気を付けてっておっしゃるぐらい険しいんです?

高嶋)まあまあちょっと獣道なんですけど、いろいろ整備も頑張りますが、ひとまず今はちょっと冒険心くすぐる感じの道になってますが…

佐伯)アドベンチャーで(笑)

高嶋)はい、一応ありますので(笑)

佐伯)いや~、知りませんでした!面白いですね。

   

 


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Selected By Haruhiko Ohno


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