今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、株式会社モブルコーポレーション代表でフリーライターの黒田仁朗(きみお)さん。「龍馬がたどった愛媛の道」をテーマに、幕末のヒーローとして人気の坂本龍馬と愛媛との知られざる繋がりに切り込んでもらいました。キーワードは「大洲藩といろは丸」「脱藩の道と村上海賊」「脱藩の道から見えてきた庶民の暮らし」の3つ。黒田さんのご先祖は「いろは丸事件」のとばっちりで大洲藩から脱藩した一人!なんていう驚きのカミングアウトもあり非常に盛り上がるトークの中、龍馬と愛媛の様々な繋がりが見えてきました。
佐伯)続いては 2つ目のキーワードです、「脱藩の道と村上海賊」。これどういう意味なんでしょうか?
黒田)なぜ坂本龍馬が梼原の韮ヶ峠を越えたか?で、伊予に行ったか?という一つには、伊予の人の手引きがあったから。もう一つは、もともとそういう道があった…
佐伯)なんかのルートだったと?
黒田)ルート。で、誰がその道を歩いてたの?普通は脱藩できないように、そういう道はブロックしてるじゃないですか。でも、誰か通ってたんですよ、それ。行ったり来たりしてた。で、それが誰かどうも動いてたみたいだということが分かってきて、それは誰かと言ったら職人さんたち。で、職人さんってどんな職人さんかというと、大工!江戸時代の終わりぐらいになると、四国の山の中で大きな木造建築物、お寺とか神社というものが出来始めた、新しくなり始めた。 それは長州藩、今の山口県の屋代島、大島と言いますけども、屋代島の人たちが大工となってですね、四国の山の中にやってきて色んな建物を建てたっていうことがあったんです。これは江戸時代の終わりぐらいから昭和の初めぐらいまで。で、そういう大工集団、大工の人たちのことを長州大工って言うんですけども、それが四国の山の中に入ってきて建物を作る。たとえば松山でも郊外、東方町に国の重要文化財の民家で「渡部家住宅」というのがあります。
佐伯)ああ、はい。
黒田)それも 長州大工の方たちが何人か入ってやってます。それは記録に残っているんですよ。
佐伯)へ~。
黒田)だいたい山のほう、久万高原とか、いわゆる広田地区ですね、砥部の奥の広田とかですね、城川とか、そういうところの大きな木造建築物は随分作ってます。
佐伯)長州大工が?
黒田)長州大工。
佐伯)なんでわざわざ山口の方から、長州の方から呼び寄せるというか、やって来るんですか?
黒田)ひとつには、大工の数が足らなかったっていう。
佐伯)単純に。
黒田)城下町には大工さんいるんですよ。でも山間部に大工さんの数が全然足りなくて、そういうところへ。屋代島にはたくさん大工さんがいらっしゃって。だいたい次男坊、三男坊っていうのは大工になってたっていうのがあるんですが、その人たちが出稼ぎで四国の山へ来て。一つの建物を作るのに、やっぱり木を切ってから建物を作るまでって10年ぐらいかかったらしくて、10年間むしろ移住してる形なんですよね。移住してて、盆と正月だけ屋代島へ帰る。だから10歳の子は20歳になるわけですよ。
佐伯)確かに。
黒田)で、そのまま住み着いてしまう人たちもいた。それぐらい非常に…行ったり来たりと言いますか、年末年始とかお盆の時期になったら行ったり来たり、それも集団で動く。その道が、例えば龍馬が脱藩した道だったわけですよ。
佐伯)へ~。
黒田)だから職人さんたちは、甘いチェックで出入りしてる。もともとが、だから緩かったってことなんです、チェックが。
佐伯)ええ、ええ。
黒田)だから龍馬もその道で行ってるんですよ。
佐伯)もしかして大工さんに化けてた、かどうかは分からないけど(笑)
黒田)分からないですけど、ルート的には山口の三田尻に渡ってますから。ちょうどだから大工さんたちの道に非常に重なってる。大工が来る道を逆に出て行くような、そういうルートをたどっていたということが一つ分かってきました。
佐伯)でも、どうしてそこの大島郡ですか、屋代島のところに大工さんが多かったのか。
黒田)これね、非常に疑問といいますか、なんでだろうと思って。なんで屋代島に大工が多かったんだろう、江戸時代にね。一つには、そういう神社仏閣を作る特殊な大工の技術、宮大工の技術を京都に行って学んできたらしいというのがあるんですけども、もうちょっと他にないのかなと調べて行った時に、ちょっと歴史の大きな波を食らっちゃったようなとこがあって。
佐伯)え?
黒田)そもそも屋代島の人たち、山口県の大島の人達っていうのはどこから来たか?愛媛県の大島から随分移住をしてるんです。
佐伯)あ、今治の大島から?
黒田)どっちも大島なんですけど。
佐伯)本当ですね。
黒田)じゃ、その移住した人たちっていうのは愛媛県の大島で何をしとった人たちか?これが村上海賊です。
佐伯)ここで出てきた!
黒田)そう。いわゆる安土桃山時代の終わりぐらい、豊臣秀吉が全国統一へ向けて動き始めた中で瀬戸内海を制圧し、瀬戸内海の海賊に対し「海賊禁止令」というのを出していきます。 その中で最強であった村上海賊に対しては、特に厳しい処置をしていく。それは、強制移住です。つまり、愛媛県の大島から周防大島へ、村上武吉以下頭領たち、皆さんそっちへ移住です。
佐伯)させられたんだ。
黒田)させられたんです。
佐伯)なるほど。
黒田)村上海賊っていうのは、まあ貿易を主にやってきた人たちで船戦の名人であると同時に、それ以前の問題として船を作る技術を持っていた。木材加工技術の最高峰ですよ。だからもともと木を加工する文化っていうのは、人々は非常にレベルの高いものを持ってた。それが…これ私の推測ですが、強制移住を屋代島の方にさせられて、その技術がいわゆる大工の技術として、船大工の技術が陸の大工の技術に変わってったんじゃないか?と考えると自然だなと思って。
佐伯)いや本当ですね、説得力がある。
黒田)で、船から家にっていう。その人たちが四国へやってきて、四国の建物作ったということ なんじゃないかな。で、その人たちが四国に来た道を使って、坂本龍馬が長州に行ったっていう…
佐伯)うわ~、すごい繋がり!
黒田)どうもそうなんじゃないかな、という風に考えました。
[ Playlist ]
Stereophonics – Nice to be out
Roy Ayers – Love From The Sun
Sly & The Family Stone – Runnin’ Away
Myron & E – They Don’t Know
Rasa – A Perfect Love
Selected By Haruhiko Ohno