今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、タウンツーリズム講座講師の岡崎直司さん。今回は、大洲市出身の貿易商である池田貫兵衛と河内寅次郎にスポットを当てました。建築好きな方にピンとくるのは、河内寅次郎かもしれません。あの臥龍山荘は、寅次郎が余生を過ごそうと建てたものなんです。その寅次郎の恩人とも呼べるのが池田貫兵衛。医師を志し長崎で学ぶものの、幕末の時流に乗って通訳や貿易界へと身を転じ、実業家として成功を収めると故郷の産業振興にも貢献。それによる経済の活性は「池貫景気」と名付けられたほどです。そんな二人の功績を、「貫兵衛 医師から商人の道へ」「寅次郎 余生は臥龍の地で」「貫兵衛 樟脳を豪邸に」という3つのキーワードで紐解きました。


佐伯)いま木蝋って言いますと、内子町の大森の…

岡崎)ああ、有名ですよね。

佐伯)和ろうそく屋さん。やっぱりあの辺りで木蝋が盛んだったんですか?

岡崎)そう、大洲藩も宇和島藩も当時、専売制を敷いて主要産業で保護してました。

佐伯)は~、専売制。なるほど。

岡崎)だから広い意味では、南予全体の主産業だったと言えます。

佐伯)へ~。

岡崎)その中心産地が、大洲盆地だったり内子だったり八幡浜の八西地区だったりしました。

佐伯)そういうことなんですね。そんな中で寅次郎は、どのようにして商いを成功させていったんでしょうか?

岡崎)やっぱり作るだけでは…物事って当然売らなきゃお金にならないから。売ると言っても国内では需要が知れてますんで、やっぱり海外なんですよ、当時の時代の気運に乗ろうと思えば。というとふっと見た時に、やっぱり郷土の先輩で神戸で成功してる人がいるじゃないかって話になるわけですよ。それで、おそらく頼りました。頼ったことによって池田さんも、それに見事に応えていくという。それで「喜多組池田河内合名会社」というのを神戸に作るんですね。当然「喜多組」ですから、いかにもその喜多郡での同じDNAというかね、その故郷の同志ですよ。一方は先輩、すでにもう「ホップ・ステップ・ジャンプ」の池貫さんですから。そこへ寅次郎さんも、やっぱり時運と気運に乗っていく。ということで、彼も神戸に居を構えつつ成功していくと。

佐伯)そうなんですね。じゃあ、ちょっと恩人みたいなところがあるんですね。

岡崎)恩人ですよ。池貫さんがいなければ、河内さんも臥龍山荘を建てるまでになってたかどうか。

佐伯)は~。先輩の官兵衛と組んだことで大成功して。で、今おっしゃった臥龍山荘が出てくるわけなんですか、これはどういった経緯からなんですか?

岡崎)江戸時代にはね、藩主の別荘というか、そういった景勝地で良かったんですけど、時代 が変わるじゃないですか、そうすると荒れるんですよね。

佐伯)ああ。

岡崎)武士の世の中が終わっちゃうと、スポンサーがいなくなるから。そこを、成功した寅次郎さんが購入すると。で、そこの景勝地に名建築を建てていく。たまたまそれは、京都の千家十職という職人集団が建てていくんですけどね。それも結局、職人さんからしてもスポンサーが変わったんですよ、武士から新しい時代の起業家に。という色んなことの追い風が臥龍に吹いた。ということで、あの山荘が今、脚光を浴びてる。

佐伯)当時、寅次郎は神戸に住んでいたんですよね。

岡崎)そうなんですよね。

佐伯)お仕事で。

岡崎)そうなんです。

佐伯)でも、臥龍山荘を大洲に建てるっていうのは…

岡崎)あ、晩年ね、やっぱり落ち着いた所で暮らしたいじゃないですか、余生を考えて。で、明治30年かな、にできるんですね、その臥龍山荘の建築群が。庭にすごい時間がかかったようですけど。

佐伯)もともと藩主が使っていたような場所に立派な建物を建てるとなると、結構これ時間も手間もかかったんじゃありません?

岡崎)そうなんですね、だからまあ10年、いちばん時間がかかったのは庭ですよ、やっぱり。

佐伯)10年。

岡崎)神戸の植徳という有名な庭師がいて、それが10年かけて庭を作っていく。で、その背景の中で、やっぱりあの建物が建っていくということなので、すごいと言いますかね。

佐伯)ですよね。

岡崎)そのかわり、せっかく老後はゆっくり…と思ったんでしょうけども、2年ほどして亡くなるんかな。

佐伯)え!たった2年だったんですか?

岡崎)えっと、もうちょっといたか。あの明治30年頃から10年かけてね、ま、40年になるじゃないですか。で、亡くなるのが42年ですから、本当になんか憩えたのは、まあ2~3年という感じでしょうかね。

佐伯)は~。でも今、臥龍山荘といえば世界からも注目を浴びてますし、愛媛を代表する観光スポットですよね。

岡崎)クオリティの高い建築物ですね。

佐伯)その建築の面でいうと、どういう評価なんですか?

岡崎)やっぱりあの桂離宮あるいは修学院離宮って京都に名建築があるんですけど、 それの写し…写しっていうのはデザインのいいところ、要素を取り込んでアレンジして、それを組んで新築していくという、そういうそのデザインの手法がね。だから黒川紀章さんっていう名建築家がいて、それを見いだすんですよ。「これはすごい!」と。で、「花数寄」というあの方の形容詞として、「はなやいだ数寄屋建築」という風に映ったんでしょうね。だから「花数寄」という何とも雅な名称をね、彼が与える。で、そのことが保存につながり、活用につながりっていう大きなアクションになったようですね。

   

 


[ Playlist ]
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Selected By Haruhiko Ohno


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