今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、松山歌人会の会長・片上雅仁さん。「愛媛ゆかりの歌人たち」をテーマにお話を伺いました。正岡子規の出身地ということもあり短歌よりも俳句が盛んな愛媛ですが、全国的には東日本大震災以降、心の揺れを詠む短歌人口が増えているんだそうです。そして子規は、歌人でもありました。今回は「熟田津論争」「子規 連歌から俳句へ」「子規の想いを受け継いで」をキーワードに、熱く語って頂きました。
佐伯)子規も短歌の世界の革新を手がけたっていう話をね、冒頭で伺いましたけれども、どっちが先だったんですか?
片上)表向きに出たのは俳句が先ですね。もとは短歌、そして中世にいっぱい流行った連歌ってことを考えないといけない。僕ら今でも遊びでやりますが、二人いたらね、私が五七五、もうひとりの人が七七をつける。それはもう万葉集の昔から遊びで行われていたんですよね。それがある程度形式が整って、大人数で、鎌倉時代ぐらいになると定着するんですが、大人数って言ったら十何人とか…
佐伯)え、そんなに?
片上)多ければ二十人ぐらいまで。最初の人が五七五を言う、次の人が七七をつける。その次の人がまた別の五七五を言う。で、七七、五七五、七七、五七五、七七・・・
佐伯)そうやって連なっていくので…
片上)ずーっと連なっていく、連なる歌=連歌。
佐伯)なるほど。
片上)ま、結局、短歌がいくつも出来ていくような、形はそれになります。
佐伯)これが鎌倉時代に。
片上)鎌倉時代から室町。武士階級、まあ貴族階級もそうですね、盛んにやった。私たちが思うより非常に盛んにやったんですね。
佐伯)そうなんですか。で、これが室町、戦国を経て…
片上)江戸時代にも行われていた。
佐伯)ずっと長い間それが続くんですね。
片上)ず~っとずっと続いてた。
佐伯)そこで登場する、正岡子規。
片上)はい。子規はですね、この連歌とか…俳諧の連歌とか言ったんですけど、それは「近代的な意味での芸術ではない」って言ったんですよ。これはつまり、前の人が何か言いますよね、それを受けて五七五なり七七をつける。それを受けて次の人がつける。そうすると、そこに集まった人々の社会関係ですね、地位の上下だとか、どっちが金持ちだとか、そういうことがやっぱり自ずと反映されるわけです。忖度しながらやるわけなんです。
佐伯)なるほど。その自分の上司の五七五に、どう自分が七七をつけたら喜ばせられるかなとか。
片上)自分の前のをですね、完全にバーンとひっくり返して全然別の方向に持っていくようなことは、あまりするとね…
佐伯)あ~、卓袱台返しみたいなことはできないっていう。
片上)できにくい、できないですよね。だからそれは…個人が個人として心動いたことを心動いたように表現する、それが近代芸術なのであって、なんか集団で忖度し合いながらやるのは、それは近代的な意味での芸術ではないと。
佐伯)バッサリですね。
片上)はい。でも、連歌の中の最初、一番最初の五七五、これを発句って言うんですけれども、発句だけはそれより前がないですから、何ものにもとらわれず自由に表現することができる。だから発句は、発句だけで芸術でありうると。
佐伯)連歌の一人目。
片上)そう、一等最初。
佐伯)は、五七五を詠むわけですよね。
片上)その五七五は、忖度もへったくれも無しですから。
佐伯)これは芸術だと。
片上)芸術でありうる。
佐伯)じゃあ、そこから、もしかして俳句…
片上)うん、その発句のことを俳句というようになった。
佐伯)は~、なるほど!
片上)だから五七五だけで独立の芸術だってのは、本当は正岡子規からなんですよね。
佐伯)そうでしたか。
[ Playlist ]
Swing Out Sister – Breakout
Acid House Kings – Would you say stop
The Beatles – For No One
Sade – By Your Side
Selected By Haruhiko Ohno