今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、今治市教育委員会事務局生涯学習課の馬越健児さん。いのち短し、恋せよ少女…という歌詞で知られる「ゴンドラの唄」を作詞した歌人・吉井勇についてお話を伺いました。東京の伯爵家に生まれ、若くして短歌の世界で才能を開花させた吉井勇。「時代の寵児」と呼ばれるほどの活躍を見せますが、あるスキャンダルで東京を離れ、高知へと移り住みます。そして各地を歌行脚する中で勇の心を癒したのが、愛媛・伯方島だったのです。


佐伯)その伯方島を吉井さんは気に入ってくれたんでしょうか?

馬越)そうですね、勇はそもそも海の歌から始まっております。海洋の歌ですよね。しかも勇の最初の号=ペンネームは「浪(なみ)」という漢字を使ってるんですよね。

佐伯)へ~。

馬越)ですから、それだけに海への思いが強かったということで、これは紀行文にも残しておりますけれども、「船折の瀬戸」でですね、潮の流れにいたく感動し、要は海の万葉の調べをですね、海の万葉の歌人としての思いが奮い起こったというような随想も書き残しておられます。その時の事を振り返って詠んだ歌がですね、「伯方島に わが船泊てぬ さすらひの こころの港 ここにもとめむ」、もう一度繰り返します、「伯方島に わが船泊てぬ さすらひの こころの港 ここにもとめむ」というようなですね、いきなりもう伯方島に心の港を求めて、ふるさとというぐらいのですね、形容をしておりますけれども、他の地ではそこまでの想いを残した歌はどうにも見当たらないですね。

佐伯)ちょうどそのスキャンダルで追われて歌行脚をしている中で、伯方島で見る海への思いとか、そういうもので癒しになってということですかね。

馬越) そうですね。たしかに山の暮らしは非常に静かなものです、猪野々の里の渓鬼荘(けいきそう=高知にあった勇の草庵)では。で、一転して海を間近に見ることによって、歌人としての想いがあらためて引き起こされたのではないでしょうか。

佐伯)じゃあ、創作意欲というのも刺激されて。

馬越)それも考えられますね。

佐伯)一方で、そんな吉井勇の様子を地元の方々はどんな風に捉えてたんでしょうね。

馬越)そうですね、伯方島に最初に来た時はいわゆる一泊二日の旅ですので、「伯爵様、伯爵様」ということでですね、当時。現代人からすると「伯爵様」と言われてもどういった人物か、なんか想像しにくいんですけれども、要は雲上人。普段お目にかかるようなことのないような方、プラス若き伯爵歌人から祇園歌人として一世風靡した方が来られるということで、相当熱いもてなしですね。これは宴席の写真も残ってるんですけど、勇が…まあこれ言葉があれなんですけれども女性に囲まれてですね、というような写真がございます。

佐伯)でもその一泊二日だけですか?その後なんか関わりが?

馬越)そうですね、歌行脚は8月末に終えるんですけれども、また翌年のですね、昭和12年の6月に再び伯方島を訪れます。

佐伯)ああ、もう1回来るぐらいだからやっぱり気に入ってたんですね。

馬越)そうです。やはりこの時にもてなしたのが大沢輝彦なんですけれども、この伯方島での暮らしの中でですね、やがて家を建てようと思うまでに至ったそうです。

佐伯)え~、そんなに!

馬越)これはですね、伯方町史にも記載はされておりまして、ただまあ家を建てようと思ってたという伝説めいた、いわゆる都市伝説めいた話だったんです。じゃあどこに家を建てようとしたとか具体的な話はあったのかということをですね、調べて行きましたら…実際そうだったんですね。

佐伯)え!それがわかったんですか?

馬越)ええ、その当時の文人との手紙のやり取りからですね、キーワードがあるんですけども「岬の小高いところに200坪ほどの村有地があるから、そこを譲り受けて家を建てろと勧められておる」ということと、勇をもてなした近しい方の話から、大体この辺りではないかという話をおさえまして、ちょっと地籍図等を確認したところで番地が特定できました。

佐伯)番地まで!そうでしたか~。

 

 


[ Playlist ]
Sharon Van Etten – One Day
Tracey Thorn – Femme Fatale
Jon Lucien – The Pleasure Of Your Garden
Richard natto – Bish’s Hideaway

Selected By Haruhiko Ohno


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