今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、広瀬歴史記念館館長の土岐幸司さん。別子銅山中興の祖と呼ばれる初代住友総理事・広瀬宰平について、お話を伺いました。近年は「東洋のマチュピチュ」として人気となっている別子銅山の産業遺構ですが、広瀬は明治期に別子銅山の近代化を推し進め、あの渋沢栄一と並び称されるほどの人物でした。その功績を「別子の申し子」「日本初の山岳鉱山鉄道」「西の広瀬・東の渋沢」という3つのキーワードで紐解きます。


佐伯)近代化を進めていく中で大事だった事っていうのはどんなことがありますか?

土岐)そうですね、近代化を説明する時には大きく「採鉱」の近代化=銅鉱石を採る近代化と、「運搬」の近代化、それから「製錬」の近代化という風にあります。まず「採鉱」の近代化としまして、別子銅山は、幕末に起こります「安政の大地震」で「三角の富鉱帯」と言われている良好な鉱脈があるところが水没してしまいまして、その富鉱帯を採掘するためには水を抜くための疏水坑道であったり、江戸時代は蟻の巣のように坑道を掘っていたんですけども、近代的な竪坑、実際には東延斜坑という斜めの49°の角度のついた斜坑ですけども、そういった坑道を開削してくようになります。

佐伯)これが採掘の採に鉱物の鉱、鉱山の鉱で「採鉱」の近代化。それから二つ目が「運搬」の近代化でしたっけ。

土岐)別子銅山というのは山の中、標高1000m~1300mぐらいの山中にありますので、その別子銅山で採った銅を新居浜の海岸沿いの港であったり製錬所のほうへ輸送しなければならないんですけども、まず江戸時代から明治の初めは、いわゆる「中持さん」と呼ばれる人たち、男の人で45kg、女の人で30kgの荷物を背負って歩いて運んでいました。

佐伯)え~!1300mの山から海、港まで人力で?いやぁ、スゴイ!

土岐)で、まず明治13年に牛車道、牛で荷車で引っ張って運べるようにしまして…

佐伯)これ、だいぶん効率上がりますよね。

土岐)そうですね。そのあと、牛車道もやはり山の上を越えないといけませんので、山の上を越えなくていいように標高1100mぐらいのところに第一通洞というトンネルをまず開削しました。そのあと明治26年に別子鉱山鉄道といって、蒸気機関車で一度にたくさん運べるようにしました。

佐伯)これ大きな違いですよね、この近代化。で、あともう一つが「製錬」の近代化。

土岐)はい、やはり洋式製錬の導入が必要だということで、中でも明治21年には新居浜の海岸にあります惣開というところに、惣開製錬所が操業を開始しました。

佐伯)どれも欠かせない近代化だと思うんですけれども、やっぱりあの、人間が運んでたのを最終的には山岳鉄道にまで近代化を進めたっていうのがすごく印象に残りますね。

土岐)そうですね。日本で最初の山岳鉱山鉄道になるんですけれども。

佐伯)そうですか!

土岐)広瀬宰平、じつは明治22年に還暦を記念しまして、奥さんと一緒に欧米を巡遊しています。

佐伯)へ~。

土岐)で、アメリカのコロラド州のセントラル鉱山で、断崖絶壁を縫うように走る山岳鉄道を見まして、別子銅山にも鉱山鉄道を導入できると確信を得て、帰国後その別子鉱山鉄道の工事に着手しました。

佐伯)アメリカで刺激を受けたのがきっかけなんですね。

土岐)そうですね、じつは行く前からですね、工事の許可などを得ていて構想はあったんですけども、実際ちょっと着手にまでは至っていなかったというところがあります。

佐伯)そこを後押しされてということなんですね。で、帰国して着手して。でもこれ大変な工事じゃないですか。

土岐)そうですね。明治26年に完成するんですけど、別子鉱山鉄道っていうのは、一つは山岳、標高1000 mぐらいの高さのところを走っています約5.5 km の上部鉄道と、あと今マイントピア別子があります端出場というところから先ほどの惣開製錬所というところまで走っています、主に平野部を走っているおよそ10.5kmぐらいの距離ですけども下部鉄道という、二つに分かれています。その両者の間をリフトで繋いでいるものになります。特にこの別子鉱山鉄道で走っていた機関車というのは、松山の坊ちゃん列車と同じドイツクラウス社という会社の機関車になります。

佐伯)そうなんですね!そんな意外な御縁が(笑)

 

 


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Selected By Haruhiko Ohno


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