今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、今治タオル工業組合副理事長で田中産業株式代表取締役の田中良史さん。阿部平助、麓(ふもと)常三郎、中村忠左衛門という、幕末から大正期にかけて今治のタオル産業の礎を築いた3人について、「メイドイン今治誕生」「技術革新でタオル製造業者が続出」「タオルにデザインを」の3つのキーワードで語って頂きました。田中さんは、安価な外国製品に押され苦境にたった今治産タオルが、クリエイティブディレクター佐藤可士和さんとの出会いで「奇跡の復活」をなしとげていく経緯に立ち会ってきたとあって、その語り口には今治タオルへの情熱が溢れていました。
佐伯)今や世界ブランドとなったこの今治でタオルを作るようになったっていうのはいつ頃なんですか?
田中)今治はもともと織物を作る歴史っていうのが古くありまして、奈良時代の天平18年、746年になりますけれども、皆さん歴史で習ったか正倉院…
佐伯)はい、習いました!
田中)ええ、正倉院に絁(あしぎぬ)という絹の織物を伊予国越智郡石井郷っていうところから奉納したという歴史が残ってるんです。
佐伯)え~、奈良時代!そんなに古い歴史があるんですね。
田中)そうなんです。まあこの頃はいわゆる絹織物だったんですけれども、それから江戸時代を経て綿作=綿を作ることも農家の副業として始まったりしてですね、で綿織物を作る歴史が始まって、そこからタオルに繋がっていきます。
佐伯)それが、いつ頃なんでしょう?
田中)明治27年1894年に…
佐伯)あ、日清戦争の年。
田中)そうですね。先ほど名前が出ました阿部平助さんという人がタオルの製造を始めたのが起源と捉えてます。
佐伯)ほ~。じゃ、この方が今治タオルの生みの親。
田中)そうですね、約130年前になります。
佐伯)はい、そしてその後どのように発展していくんですか?
田中)はい、その後、麓常三郎さんていう人が効率の良い織機、織機っていうのは織る機械なんですけれども、タオルを作る機械を開発して、タオル製造の基礎固めをして。で大正時代に入ってから中村忠左衛門さんという方が新しい織り方を開発してデザイン性を持たして、それから発展の礎になったと我々は捉えてます。
佐伯)なるほど。この3人が生みの親であり中興の祖みたいな位置付けになるんでしょうかね。
田中)そうですね。
佐伯)田中さん、先程お話の中で「タオルは買うものじゃなくてもらうもの」なんていう発言がありましたけれども…
田中)はい。特に今治の人はですね、「みかんとタオルはもらうもん」みたいな。
佐伯)いや、みかんは分かるんですよ(笑)。でもタオルも、今治の方はそうなんですね!
田中)そうです(笑)。でもまあ今治タオルがブランディングに成功して以降は、「昔はもらえたのに今は買うもんになったね」みたいな今治の人も多くなりましてね(笑)。我々は今治にも直営店、SHOPを持ってるんですけれども、そこに今治の人も買いに来てもらえるようになったという感じです。
佐伯)だからそれだけブランド価値が高まっているっていうことでもありますよね。
田中)そうですね。
佐伯)で、やっぱり今治の方でタオル産業に関わってる方っていうのは未だに多くいらっしゃるんでしょう?
田中)一番最盛期の頃は、いわゆる働く人のうち5人に1人はタオルの関連の仕事についてると言われた時代もあったんですけども、まあそれよりは落ちてきたとはいえ、例えば友達の…とか親戚の…とか辿っていくと、必ずタオルに何らか従事している人が出てくるんじゃないかなという土地柄です。
佐伯)じつは南海放送にも今治出身の社員って何人かいるんですけど、おっしゃるようにそのうちの何人かは御実家がタオル工場されてたとか、結婚相手の方がタオル産業に携わっていたとか。やっぱりいらっしゃいますよね。
田中)そうなんですよね。タオルという産業は、性別あるいは年齢をあまり問わないと言いますか、うちの会社でも高校出てすぐってことは18歳19歳の子から70歳を超えた人まで、男の人も女の人も、あるいは障害を持った人も働いてくれてます。そういう意味では労働環境に優しい、我々もそういう努力はしてるんですけれども、産業じゃないかなと思ってます。
佐伯)それだけ多くの方が関わってる、まさに誇るべき地場産業であると。
田中)そうありたいと我々も思ってます!
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