今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、愛媛人物博物館の学芸員・冨吉将平さん。現在「加藤彰廉展~実業教育に生涯を捧げた松山高商初代校長~」を開催中ということで、今回は加藤彰廉について御紹介頂きました。幕末の松山に生まれ、大阪・東京で英語や経済を学んだ彰廉は大蔵省の官吏となりますが、恩師の頼みで教育界に身を転じます。そこで、斬新な教育方針を掲げるなど活躍し、晩年は、松山大学の前身となる松山高等商業学校設立に尽力。来年創立100周年を迎える松山大学の「三恩人」の一人に名を連ねている彰廉。その人柄がしのばれる、こんなエピソードが残っています。


佐伯)大阪高等商業学校時代、どういう実績を残していったんですか?

冨吉)色々あるんですけれども、特に大きなことが二つあります。まず一つがですね、教員の質を上げるために、教員を欧米へ留学させるための制度、そういうものを作ったんですね。最新の学問を学んで、それを学校に還元して欲しいということでこういう制度を作りました。もう一つがですね、学生の処罰に関して執行猶予を設けたんですね。

佐伯)これどういうことですか?

冨吉)学生が何かこう悪いことをして、罰しなければならないことがあった場合でもですね、執行猶予として一定の期間を設けるんですね。そしてちゃんと反省を促して、ちゃんと「私が悪うございました」じゃないですけれども、ちゃんと更生するようであれば、卒業する時にその罰せられたっていう記録を消して真っ白な状態にして社会に送り出すと。そういう仕組みを作ったんですね。やはりこれ「学校は物知りを育てるところではなくて、人間を育てるところだ」と、そういう信念のもとでこういう制度を作ったんですね。

佐伯)わ~、そうなんですか。

冨吉)で、明治42年に彰廉先生は再び校長の職についたんですが、その年の7月にですね、大きな火事があって学校全部燃えちゃうんですけれども、その時にも実は新しい校舎を作らないといけないんですが、学生にまでどんな学校がいいかっていうのをちゃんと聞いてですね、それを反映させた校舎を作っていると。その他もですね、自分のポケットマネーと、文部省から今までよく頑張りましたっていうことで250円、まあ今でいうちょっといくらぐらいなるのかあれなんですけど…

佐伯)大金でしょうね。

冨吉)かなりの大金ですよね、それ使って奨学金を作ったりとか。まあとにかく学生のために何かできることはないかというような信念のもとで一生懸命、校長として勤めていかれるんですよね。

佐伯)そうなんですね。あの先ほどの、高等商業学校になって初代校長になったけど、「自分で高等商業学校に昇格させておいて、自分がその長になるなどとは紳士的なことじゃない」って言って2ヶ月で「退きます」みたいな面がある一方で、学生のためには色々と心を砕いて実践をされる方だったんですね。

冨吉)そうですね。

佐伯)じゃあ、やっぱり大蔵官僚でずっといるんじゃなくって教育界に身を転じたっていうのは、彼にとってはとても向いていたっていうことなんでしょうか。

冨吉)まあ天職だったのかもしれないですよね。ところがですね、まあ20年ずっとやってくるわけなんですけれども、教育方針が合わないっていうか、大阪市当局、特に助役さんなんですけれども、教育方針がちょっと対立し始めるんですね。

佐伯)どういう?

冨吉)はい、彰廉先生はやっぱり生徒のことを思うと少人数制の授業をやっていこうとずっとしてたんですけども、助役さんはですね、合併授業っていうことで、大きな教室でいっぺんに生徒に教えると。

佐伯)ちょっとその合理化を進めようみたいなところでしょうか。

冨吉)はい、そういうところがまず一番大きかったんでしょうけど、その他ですね、今まで全然口出してこなかったのに、予算の使い方とか経営方針とか色々ちょこちょこ言ってくるようになったんですね。まあそういうところで一回一回対立をしてたんですけども、そういうことが原因で辞めると。「それだったら、もう校長を退きます」ということになっちゃったんです。

佐伯)は~、それだけ学生思いで慕われていたんでしょうから、また辞めますってなると色々あったんじゃないですか?

冨吉)そうですよね。まあ教え子さん達は…教え子も含めて卒業生もなんですけれども、彰廉を辞めさせないようにですね、何名か市役所にいきなり乗り込んで行ってですね、「辞めさせるな」と直談判するんですけれども…

佐伯)「彰廉先生を辞めさせるな~」っていう談判に!

冨吉)はい。ただ彰廉自身がもう正式に手続きをしちゃってたので、もう覆すことができなかったんですね。

佐伯)う~ん、だけどまあそう言って談判にまで行くような教え子たちがいるって言うところから、彰廉さんがいかに慕われてたかっていうのが伺えますね。

冨吉)そうですね。で、卒業生たちがですね、その後どうしたかって言うと、相談するわけです、「どうやって彰廉先生を今後顕彰していくっていうか恩を返していこう」と。そういうことを考えて何をしたかって言うと、代議士にしようと。

佐伯)教え子たちが!

冨吉)はい。当時ですね、大隈重信内閣が解散中で、これから衆議院議員選挙があるぞという、そういうタイミングだったんですね。なら、その恩返しと大阪市に対する反発っていうか、それもあって「彰廉先生を代議士にしよう」って運動が始まるわけなんです。

佐伯)え~、すごい。

冨吉)まぁ彰廉先生にしてみれば、寝耳に水じゃないですけれども「いやいやいやいや…」って最初辞退しようとしたんですが、もう同窓会を中心に「やるぞやるぞ」になってしまって、もう引くに引けないほど盛り上がっちゃってですね、それならということで遂に決意をしてですね、選挙戦に臨んだんですけれども。その選挙戦っていうのがですね、もう全て卒業生が引き受けて、彰廉さんが知らないうちに選挙事務所ができちゃったとか、なんせ皆で奔走したんですね。そんな選挙運動をして、実際に投票して蓋を開けてみると、新人ながらトップ当選!

佐伯)あら!そうなんですか。すごいですね~。

冨吉)そうですよね、ほんと凄いですよね。

 

 

 


[ Playlist ]
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Christy Baron – Overjoyed
Bob Dylan – Corrina, Corrina

Selected By Haruhiko Ohno


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