今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、西条市教育委員会事務局社会教育課副課長の伊藤敏昭さん。西条市出身の実業家で「台湾電力の父」と呼ばれている松木幹一郎について、お話を伺いました。松山市と台北市が友好交流都市となり、松山~台北線が就航するなど愛媛との交流が進む台湾。その台湾で、昭和初期に発電用ダムの建設に尽力したのが松木幹一郎。辣腕をふるうに至る背景には、こんな人間関係もありました。


佐伯)この時代、国を揺るがす大きな出来事がありますよね。

伊藤)そうです。大正12年、関東大震災というのがございました。その時にですね、後藤が出てくるんですよね。

佐伯)後藤新平。

伊藤)はい、後藤新平が自らを総裁とする帝都復興院っていうのを設置するんですよ。しかも3か月でですね、復興計画を作ってしまうんですよね。これめっちゃ早いかなと思うんですけど実はですね、その復興院の後藤の両サイドにいたと言ってもいいかと思うんですけど、そこに松木と、そして先ほども出てきました十河。

佐伯)十河信二。

伊藤)はい、そうですね。松木を副総裁に、そして十河を経理局長に任命しております。で、先ほど3ヶ月で計画を作り上げたと言ったんですけど、実は後藤がですね、その前に東京市長というのを勤めておりまして、その時代にも一回都市計画っていうのを研究しておりましてですね、それに係る要綱とかも作っておったんですね。なので、それをそのままではないにしてもですね、使えたということで。ですのでやはり、それも松木も関わっておりましたので、その辺の計画がその後の復興に使用されたということですよね。ですので、現在の東京の都市インフラっていうものもですね、その時の後藤とか松木が作りました復興計画が元になっているという風に言われております。

佐伯)へ~、なんか知ればしるほど凄く功績のあった人物だなあというのが分かってきましたけれども、でもやり手だっていうだけではなくて人物的にはどうだったんですか?

伊藤)そうですね、残ってる話で言いますと、大震災で被災した方がたくさんおりました。そんな時にですね、被災した職員とかをね、「自分の家においで」っていう風に泊めたりしてですね、お世話をしてあげたっていうような話も残っております。あと後藤との関わりの話の中でになるんですけど、やっぱり結構、人物的にね、立派な功績残せた人だけあって、いろんな面で厳しかったりとか無茶を言うようなところもきっとあったんだと思うんですけど、お客さんとして来られた方が後藤と話をしたら腹を立てて帰ってしまうようなこともあったみたいなんですよ。それをね、すっと回ってね、フォローして回ってたというような、そういうところもあったというように聞いております。

佐伯)じゃぁちょっと柔和な部分もあり…

伊藤)そうですね、まあ腰が低くてですね、どちらかというと官僚っ気がないというんですか、そういう風な人だったんじゃないかなと。

佐伯)いやぁ、生粋のエリートで仕事はできるけれども人柄が良い、これは人がついてきますね。

   

 

 


[ Playlist ]
Madeleine Peyroux – Don’t Wait Too Long
Kings of Convenience – Homesick
Bell & Sebastian – Waiting For The Moon To Rise
Amos Lee – Keep It Loose, Keep It Tight

Selected By Haruhiko Ohno


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