今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、愛媛大学法文学部教授で四国遍路・世界の巡礼研究センターのセンター長でもいらっしゃる胡光(えべすひかる)さん。明治時代に道後湯之町の初代町長をつとめた伊佐庭如矢について、「命をかけて」「明治のパンデミックと戦争の中で」「『観光』でまちおこし」という3つをキーワードにお話を伺いました。


佐伯)一つ目のキーワード「命をかけて」について伺っていきます。胡さん、これは何にまつわるキーワードなんですか?

胡)はい、きょうの主役ともいえる道後温泉本館ですね、本館の建築にあたって、まさに命をかけてそれに取り組んだということがわかりますので、その話をさせていただきたいと思います。

佐伯)この本館を手掛けたのが初代町長時代とのことでしたが、その道後湯之町町長に就任したのはいつだったんですか?

胡)はい、明治の中ぐらいにですね、この町と村を整備するっていう町村制っていうのが実施されまして、それが明治22年なんですね。その時に道後湯之町っていうのが新たに誕生します。その初代町長に翌明治23年に就任したのが伊佐庭如矢だったということです。

佐伯)これは伊佐庭如矢が何歳の時になりますか?

胡)はい、もうですね63歳になってました。かなり高齢なんですが、地元・郷里である道後の役に立ちたいということだったんだろうと思います。

佐伯)これはどなたかに推薦されてというか?

胡)そうですね、地元の方に乞われてということで、今の香川県にいた如矢が道後、地元に戻ってきてということで、おそらく強い要望があったんじゃないかと思います。

佐伯)で、63歳で就任されてから何年くらい町長を務めるんでしょうか?

胡)はい、明治35年まで13年間も町長を務めるんですね。この時75歳です。

二人)…かなり!

胡)高齢な。

佐伯)そうですね(笑)、いま重なってしまいましたけど。じゃあずっと高齢になるまで尽力されたと言うことなんですね。

胡)そうですね、それでその後80歳で亡くなりますので、もう本当に晩年は道後湯之町のために尽くしたということが言えると思います。

佐伯)当時の道後温泉はどのような状況だったんでしょうか?

胡)明治時代になる前、江戸時代はですね、松山藩が管理する藩の公営の温泉だったんですね。それがその後いくつかの変遷を経て、明治時代になっても町が管理する公営の温泉という状況が続いてまして。今でも松山市営ですよね。ですので割とお手軽な値段で入浴できると思うんですけど、このへんも他の温泉と全く違う状況ですね。

佐伯)で、如矢が改築にのりだしたというのはどういった理由があったんでしょうか?

胡)当時の記録を見てますと、明治時代の初め頃の道後温泉っていうのは非常に老朽化してまして、温泉も非常に不潔だという状況が記録されてます。で、建物も今のような立派なものではなくって、低い建物がなんとか乗っかってるというような状況だったので、遅かれ早かれ何らかの修理はいるというような状況でした。

佐伯)その時に如矢が「これをなんとか改築しよう」と?

胡)そうなんですね。そういう不衛生なだけではなくって、当時温泉を利用する方っていうのは体が悪いから、直したいからというような…

佐伯)いわゆる湯治。

胡)そうなんですね。ちょっと見物に行こうというようなそういう雰囲気ではなくて、まあそういう体が悪い人が入りに来ると。ただそこにはですね、人間だけじゃなくって牛や馬も入りに来てたんですね。

佐伯)えー!?同じお風呂にですか?

胡)ちょっと別な湯は別な湯なんですけど…

佐伯)あー、ビックリした(笑)

胡)ただ、牛や馬が入るお湯に入る人もいたりとかして。

佐伯)えーっ、そうなんですか。

胡)当時、牛や馬っていうのは田んぼや畑を耕す非常に重要な動物だったので、その動物たちも元気になってもらおうというようなことで、全ての人々とか全ての生き物を復活させる力が道後温泉にあったと。

佐伯)そういう思いがあってというのは分かりましたが、でもさっきちょっとおっしゃったように衛生的には心配になっちゃいますよね。

胡)それを大きく建て替えた、改善したのが如矢だったということになります。

佐伯)ただ、そういう町民の気持ちもあるでしょうから、じゃあそれを建て替えてやり方変えますよってなった時の反応はどうだったんですか?

胡)はい、その大きな建物を作って新たに温泉を作り直すには非常にお金がかかります。その多額なお金を町で借金してするとなると、当然そこに反対も生じます。で、もともと温泉はタダだったんですね、無料でした。それを有料にしようというような案もあったので、その借金をすること、それから有料になること、今までとちょっと違うようになるっていう事に多くの町民が不安に思ったようでして、その反対派がですね、宝厳寺に立てこもって反対運動をするというようなことが記録されてます。

佐伯)立てこもり事件があったんですか?

胡)そうなんですね、当時の新聞を見てみますと200名以上が立てこもって。

佐伯)大規模ですね。

胡)そうですね。腕力に訴えたという風に書いてますので、かなり暴力的な行動もしてたということが分かるんですね。

佐伯)でも如矢はくじけなかった…

胡)そうですね。如矢自身の日記にもやっぱり町民が立てこもってたという記録が出てきて、それに対して説得をしたというような記事がありますので、事実であって一生懸命、命をかけて丁寧に説得をしたということがわかります。

佐伯)だけどそんなカーっとなっている反対派の人たちをどのようにして説得していったんでしょうか?

胡)日記の中で見えるのはですね、3階建ての温泉の図面を町民に見せて…、その図面というのは本来町議会にかけるための図面なんですね。でも町議会にかける前に町民に見せて説得したという風にも書かれてますし、さらにはですね、今残っている資料から分かるのは如矢とか有力な町民たちが借金をして、大勢の人が借金をしてそれを道後温泉の建築費にあてたと。

佐伯)え?私財でということですか?

胡)そうですね、それも入ってると思います。

佐伯)そうなんですか。そういうことを積み重ねて、町の人にも「この人は本気だ」っていうのが伝わっていく。そして今作ろうとしているものがどんなものなのかっていうのが具体的に分かってくる…。

胡)そうなんですね。ですので最初反対派のトップに名前があった人が、その後賛成派のトップに名前が変わってたりとか、それは徐々に資料を見ていると分かるんですね。だから如矢の説得が成功したということがわかります。

 

 


[ Playlist ]
Marvin Gaye – Mercy Mercy Me
Smashing Pumpkins – Lily (My One And Only)
Everything But The Girl – Rollercoaster
Seu Jorge – Ziggy Stardust

Selected By Haruhiko Ohno


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