今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、「一粒米の会」会長の森二朗さん。「一粒米の会」とは、明治時代に余土村(現在の松山市余戸)で盲目の村長をつとめた森盲天外を顕彰する団体です。庄屋の長男として裕福な環境に育ち、幼い頃から大変優秀だった盲天外。若くして県会議員になるなど将来を嘱望されていましたが、33歳で両目を失明。人生に絶望した盲天外が立ち直るきっかけとなったのが一粒の米だったのです。71才で亡くなるまで、人々のために力を尽くした盲天外。村長を引き受けたのにも、こんな背景がありました。


 

佐伯)33歳で失明しながらも、そこから一粒の米がきっかけで立ち直った盲天外。さぁそこから世界初の盲目の村長へという道のりなんですが、これはどういった経緯だったんでしょうか。

森)京都で修行中の森盲天外のところへですね、幼い頃の盟友・鶴本房五郎さんという方がいるんですが(彼が)やってきて、「ぜひ余土村の村長をやってください」と言われたんです。その理由は、明治23年の町村制で、元々の市坪村、保免村、余戸村という3つの村があったんですがそれが統合されて余土村になりました。学校もそれぞれの村に一つずつありましたから、当然余土村立尋常小学校という一つにならないといけないわけですね。その一つになる小学校は、現在の中分館、元の公民館があった場所なんです。そこで新築を建築する。ところが東の方から見たら非常に距離が遠いんですよ。郡中線より西の方にありますから。それで今の余土小学校の位置がちょうど余土地区の真ん中で良いからという、それを主張する村民と、現在の前からある小学校そこでいいと、その2つの論が対立をして、全ての事がもうなかなかまとまるものもまとまらない。

佐伯)これはちょっと私たちにも想像に難くないといいましょうか、平成の大合併の時もどこに新しい役場を置くのか、どんな市町の名前にするのか。これはね、それぞれの元々の市町村で言い分が異なって調整が大変だったというのは、記憶されてる方も多いと思いますけれども。

森)まぁこれは保護者の考えですよね、学校問題に関しては。まず保護者が声を出して、周りがそれに同調するという格好になりますから。もう本当に、初代村長の松田久次郎さんという方は9年間、明治23年から村長を勤めるんですけどもね、村のしなければならない行政は当然進んでいきますけど、余土地区の学校の新築は進まないわけです。

佐伯)9年間も!

森)はい。子どもらが可哀想ですよね。

佐伯)本当ですね。

森)狭いところで、古い校舎で。それを解決するのはですね、もう余土村にはいない。誰が村長さんになっても、それは解決できない。それが村の結論だったわけです。で、村の人が思い出したのは、明治19年の大洪水。あの盲天外さんしか余土村を救ってくれる人はいない。盲目でありながら、あえて要請をしたんです。

佐伯)盲目で、そして今は村を離れて京都で修業中の、あの盲天外さんに頼んでみようと。でも頼まれて「よっしゃ」と、すぐに引き受けたんですか?

森)それはもう普通引き受けないでしょうね。

佐伯)ですよね。

森)いくら盲天外さんでもね、字も読めないわけですから。

佐伯)今となっては。

森)算盤もおけません。ですから村の行政の仕事は、自分では何もできないわけですよ、耳だけしかないわけですから。当然断ります。いったん鶴本さんも帰ります。で、盲天外さんが京都の修行を終えて、松山に帰ってくるわけですね。そこへ村議会の全員が押しかけて行って、また要請をするわけです。

佐伯)村議会の全員が押し掛けたんですか!?これはちょっと盲天外さんもびっくりしたでしょうね。

森)ですね。中にはですね、「盲目の人に村長なんか出来ない」という人もいたんですけどね、 長老は「それは盲天外さんしか救える人が今いない」という説得で、結局全会一致、選挙ですけどもね、村議会全員で当選させて。で、頼みに行ったわけです。

佐伯)今でこそ多様性の時代ということで色々な方の能力というのを活かしていこうという世の中の動きになっていますけれども、ただ当時は前例のない盲目の村長さんというのは受け入れられたんですか?

森)受け入れるも受け入れないも、余土村民が願ったことですよね。問題は県庁に、村長が当選したら届けをしないといけないんですよね。余土村から県庁のほうへ「森恒太郎当選」の届けを出すわけですけど返事がないんです、いくら待っても。

佐伯)恒太郎というのが御本名。

森)で、やはり漏れて聞こえてきますよね、返事がないのが。県庁の中でも初めてなんですよね、盲目の村長さんっていうのは前例がない。今までの歴史の中ではない。だからそれは当然迷う。結論が出ない。結局、県庁の中で「盲目の人に公的な村長は務められない」、そういう結論に達したということが、また漏れ聞こえてきたわけです。それを聞いた森盲天外さんは、当時は視覚障害者に対する差別が非常に社会の中でも大きかった、今のような障害者と健常者が共生するようにな時代じゃなかったということで、「これは自分が村長というのを認めてくれなければ、盲目の人が公的な生活というか仕事につけないことになる。そのためには自分が頑張らないといけない。これはまさに人権の蹂躙だ」ということで、県庁へ行きます。当時の篠崎知事さんに直接面会をして、その自分の説を述べるわけですね。篠崎さんは部下からその結果については知らされてなかったわけで、まあ書類が回ってなかったのかどうか。で、話を聞く中で知事さんもですね、目に涙を浮かべながら「わかりました」という返事だったんです。5日間ほど置いて余土役場へ承認の通知が来ます。
佐伯)思い起こせば23歳の時ですか、水害が起こった時も若くしてそのコミュニケーション力、行動力、交渉力で県と上手く交渉をまとめた。やはりその力というのが、さらに磨きがかかって知事さんへ直訴したのがまた認められ、心を打ったということなんですね。

森)自分ひとりのことではない、視覚障害者全員の問題だというふうな捉え方ですね。

   


[ Playlist ]
Kings Of Convenience – Peacetime Resistance
Linda Lewis – Spring Song
Booker T – Watch You Sleeping featuring Kori Withers

Selected By Haruhiko Ohno


この記事の放送回をradikoタイムフリーで聴く