今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、フリーライターの中村英利子さん。中村さんが執筆された「渋柿の木の下で~孤高の俳人・松根東洋城の生涯~」は、第37回愛媛出版文化賞で部門賞を受賞しています。宇和島藩主の血を引く俳人・東洋城は、漱石の十弟子の一人とも言われ、独身を貫いて厳しい俳句指導に当たった一面から“孤高の俳人”とも評されています。一方で、人間味あふれる魅力的な人物であったことを中村さんが伝えてくれました。


 

佐伯)漱石にもとても可愛がられていた松根東洋城。その俳句活動は、どんな風に続いていったんでしょうか。

中村)東洋城が宿直なんかで、たまに皇居の方に泊まることがあったんですけども、ある日ですね、大正天皇からご下問があった。まあ尋ねられたわけですけども、大正天皇という方は歴代の天皇の中でも一番たくさん歌を読まれた方なんですね。1300首とかって言われてますけども、そういう歌を詠まれる方なので、俳句に対してちょっと興味があったんじゃないかと思うんですけど、「俳句とはいかなるものか」っていうようなことで、東洋城にお尋ねがあったんですね。その時に3句ほど俳句を奉って、ご下問に対しては俳句でお答えして「渋柿の如きものにては候へど」っていう風に言ったんですね。

佐伯)「渋柿の如きものにては候へど」、という俳句なんですね。

中村)そうなんです。

佐伯)これ、どういう意味です?

中村)これはまあ色々解釈は出来るんですけども、まあやはり日本人だからこその美を感じる、渋いんだけれどもその渋さがいいんだと。日本人はいろんな風に工夫して食べたり加工したりしますよね。

佐伯)はい。

中村)そういう、その「渋いからいいんだ」みたいなところはあると思うんですよ。で、もう一つその…例えば色彩的な事なんですけれども、“木守柿”っていうのがあるんですけどね。柿の木に、てっぺんの方に「今年もたくさん実をならしてくれました。また来年もたくさん実をならしてください」っていうので、まあ1個か2個残しておいたりする“木守柿”っていうのがあるんですけども、それを鳥がつついたりとかすることもあるんですけど大抵はもうそれが熟してですね、本当にきれいな色になるんですね。それで“柿もみじ”って言って、その葉っぱがですね、黄色とか赤とか色んな色になって、これも非常に綺麗な色なんですよね。外国人なんかは紅葉っていうのはね、単に葉っぱが枯れる前の一段階のプロセスにすぎないっていうような捉え方をするんですけど、日本人ってそういう儚くもうすぐ散ってしまうとかね、そういうことにものすごくなんて言うか特別な想いを持ってますよね。わざわざ紅葉狩りに行ったりとかね。そういう感性っていう、それがやっぱり俳句の中で大きなウェイトを占めてるんじゃないかっていう風に私は思ってるんですけど、ま、そういうことを言いたかったんじゃないかなって思うんですね。

佐伯)その思いを込めたものが、渋柿の句に表れているんですね。

中村)そうですね、はい。

佐伯)で、この渋柿というのが実は東洋城にとってとても意味のあるものになるということで。

中村)はい、実は主宰誌で雑誌を出すっていうような運びになるんですけれども、大正4年にですね、名前をつけて何か雑誌を出そうという時に、皆うんうん唸ってなかなかいい案が出なかったんですけど、ある人が「ああ、そうだ!東洋城さんの俳句に、大正天皇に捧げた『渋柿の如きものにては候へど』っていう、あれがあるじゃないですか。あれから名前つけましょう!」みたいなことで、それで「渋柿」っていう名前になったらしいんですね。で、その“題箋”っていうんですけど、題字ですよね、題の文字を書いたのが夏目漱石さん。「題箋 夏目漱石」っていう風に、ちゃんと書いてあるらしいんですけども。これがやっぱりね、一つのステータスって言いましょうかね、シンボリックなものになるわけですよね。
 

 


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Selected By Haruhiko Ohno


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