2022年の元日!坂の上に訪ねて来て下さったのは、愛媛人物博物館学芸員の冨吉将平さん。博物館では、企画展「河野兵市~一人北極点をめざした“旅人”~」が現在開催中です。河野さんといえば、日本人で初めて徒歩による単独での北極点到達に成功した“冒険家”と紹介されることが多い印象ですが、じつはご本人は「冒険家」という肩書きを好んでいなかったのだとか。その思いを汲んで今回の企画展のタイトルには“旅人”という言葉が使われています。前人未踏の挑戦を支えてくれたのは…。


 

佐伯)いよいよ北極点へ向かうということですが、何年かかけてトレーニングをして、スタートが…

冨吉)平成9年、1997年の3月4日。この日がまさに北極点へ出発するその日だったわけですね。

佐伯)先ほどマイナス58°cを体感されたというお話がありましたけれども、出発の頃の気候っていうのはどんな状況だったんですか?

冨吉)えっとですね、もちろん3月4日ですので春ではあるんですけれども、白夜とそろそろ白夜になるかなっていうぐらいのちょど間ぐらいなんですね。本当に春、北極の春ではあるんですけど、平均気温がおそらくマイナス40度前後。

佐伯)平均が!?

冨吉)はい。なんですね。で、きょうはあったかいなーっていう時でだいたいマイナス15°cから20°cという話が日誌にありましたので、それぐらい寒いところではあるんですが。その中をですね、歩いていくわけなんですけれども、まあ期間が60日間と、一言で言っちゃいますけれども、まあ大変ですよね。

佐伯)いやいや、大変でしょう!

冨吉)とても想像ができないくらい大変だとは思うんですけれども…

佐伯)もちろん穏やかな晴れた日ばっかりじゃないですもんね。

冨吉)そうですよね。毎日のようにブリザードが吹く時もあれば。で、なんとなく氷の上、海の上だから平たいのかなと思うんですけれども、実際はですね、乱氷って言って、ものすごく北極海って海流が強いですので流れるんですね、氷が。氷と氷がぶつかってガッチャンすると持ち上がったりとか、氷がグジャグジャになったりとかそういう風になってるので、ほぼそういうところなんです、逆に言うと。

佐伯)あ~、じゃ平らなところなんてないくらいな。

冨吉)ほとんどないくらいなところなんですね。そういうところだと。あと氷の上なのでツルツルするから引っ張りやすいのかなと思うんですけども、実際はソリと氷が接地してる面が全く溶けないので、アスファルトの上を引っ張ってような感じ。

佐伯)え~!

冨吉)そういう中を重さが85キロぐらいのソリを、本当にそのアスファルトの上で引っ張ってる。

佐伯)これ60日間誰もそばにいないで…だから「きょうは寒いなぁ」とかそういうのでなんか紛れる気分ってあるじゃないですか、それが全然なかったってことですよね。

冨吉)まあもちろん無線は持って歩いてるので時々無線交信をするんですけれども、あまり感度も良くないので。だんだん離れていっちゃいますしね、感度も良くないのでなかなかお話しするっていうこともできないですけど、本当に孤独に耐えなければ、ひたすら孤独なんですね。

佐伯)そうでしょうね。

冨吉)音も自分の吐く息と雪を踏む音しかしないみたいなシーンとした…晴れているとですね。

佐伯)そういう時って、河野さんどんな思いが胸によぎると言うか…

冨吉)そうですね。歩いてる最中っていうのは本当に歩くことに精一杯みたいな感じではあるんですけれども。

佐伯)ああ、そうか。過酷な状況だから余計なこと考えてる場合じゃないんだ!

冨吉)というのは僕、日誌を読んでいてそういうイメージを持ったんですけども。

佐伯)そうですか。

冨吉)で、一日が終わってテントを張って、という時になると、そこでベースキャンプの方から送ってもらった支援者の方からのお手紙を読んだりとか、日誌をつけたりとかになるんですが、ただテントを張ってからっていうのは結構ご飯作ったりとか自分で水を作ったりとか…

佐伯)水を作る?

冨吉)はい、そうですね。海水が凍ったものの上に雪が積もってるんですけれども、その雪を溶かして。でもそれも、やっぱ水を作るのに2時間ぐらいかかる。

佐伯)え~。

冨吉)そのぐらい時間かかるんで、案外とこのテントに入ってからもバタバタ忙しいと。その中で毎日、いわゆる大学ノートみたいなやつに2ページぐらい日誌を毎日書かれてるんですけれども、今日はこういう風な感じのところ歩いて行ったみたいな。なかなか忙しい。

佐伯)だけどそういう60日間を、本当によくぞ一人で耐え抜いたと言うか乗り越えられて、その支えになってたものっていうのはどんなものが考えられますか?

冨吉)そうですね、途中ですね、やっぱり自分を鼓舞しながらですね、「北極点絶対行くんだ」と、そういう強い気持ちで行ってた河野さんなんですけれども、途中ですね、もうブリザードに降り込められてしまって、やり込められてって言うんですかね、全く動けなくなったんですね。そのうえ途中で海流がすごい早いところに入って、歩いても歩いても戻される。戻されてしまって、なかなか距離が稼げない。で、歩きたいのに外に出られない、ブリザードで。本当に落ち込むというか、それでもう孤独ですから、一人ですので。その時にですね、1回ですね、ギブアップの信号を送ってるんですね。

佐伯)そうでしたか!

冨吉)もう心も体も限界だってことで、どうかピックアップしてほしいということを送ってるんですが、その時はですね、なんとかベースキャンプの方が説得をして「もうちょっと頑張ってみよう」って。「もう少しだから」って。もうその時が4回目の補給が終わってるところなので、あともうちょっとだったんですね。まあそれだったら、じゃあもうちょっと続けようと思って、その晩にですね、母校の小学生からの「頑張ってください、河野さん!」っていうメッセージを改めて読み返したそうなんです。

佐伯)それを持って行かれてたってことですよね。

冨吉)そうですね。で、これを読んだ時にもう泣きじゃくってしまったそうなんですね。「子供達の夢を壊したらいけない」と。「なんとか最後までやりきろう」「次ピックアップの信号を送るのは本当に命が危ない時だけにしよう」という決意をされて、もう1回奮い立ったんですね。

佐伯)奮い立たせてくれたのが、ふるさと愛媛の小学生の手紙…。そうだったんですか。

冨吉)だから普段からも支援をしてくださった方であるとか、こういう小学生であるとか、ご家族からのもちろん手紙もありますし。で、この北極点を旅する時っていうのはさすがに自分のお金では無理だったので、たくさんの方、5000人を超える方々からカンパをしてもらってそれで行ってるので、そういう方々の後押しですね。心の後押しですよね。そういうのがあって、もう1回「じゃあ、頑張ろう!」って決意されたんですね。

佐伯)そこにいらっしゃるのは河野さん一人だけれども、改めて「あ、自分は一人じゃないんだ」っていうのを取り戻してくれたのがその手紙だったんでしょうね。

 


[ Playlist ]
Jack Penate – Learning Lines
Elizabeth Shepherd – It’s Coming
Build An Ark – You’ve Gotta Have Freedom
Smashing Pumpkins – Beautiful

Selected By Haruhiko Ohno


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