今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、松山東雲女子大学名誉教授でNPO法人GCM庚申庵倶楽部理事長の松井忍さん。松山出身の俳人・栗田樗堂の命日「湯豆腐忌」を前に、松尾芭蕉の影響を受け、小林一茶とも親交の深かった樗堂の足跡についてお伺いしました。一茶は樗堂を訪ねて松山に二度滞在し、二度目の際には半年もの長きにわたって逗留したのだとか。一茶を惹きつけた樗堂の魅力とは何だったのでしょうか?


 

佐伯)樗堂は若い一茶の才能を見抜いて、その才能に触れたくて呼んだのかもしれませんが、一茶の方は樗堂の何に惹かれてたんでしょうね?半年も居るっていう(笑)

松井)人柄なんだろうと思いますね。自分よりも遥かに先輩なのに対等に接してくれることとかね。樗堂にはいつもね、学び合うっていう気持ちがあったような気がするんですよ。だから一茶からも吸収しようとするし、自分の持ってる物も一茶に与えようとするし。そういう関係が非常に心地よかったんじゃないかなと思います。

佐伯)そうですか。先ほど樗堂が芭蕉の作風に影響を受けたというお話ありましたが、ということは樗堂の作風にまた一茶も影響を受けてるって言う所はありますかね?

松井)そんな気がしますね。見てる目線も非常に近い気がするんですよ。

佐伯)そうですか。

松井)一茶の句の中でよく皆さん知ってるのは、小さな生き物にね、目を向けた句がたくさん出てきます。

佐伯)雀の子とかね。

松井)そうですね。樗堂も小さな生き物を詠んでる句がすごく多いんですよ。

佐伯)はい。じゃあ連句、二人はどんなふうに巻いていってたんでしょうか、一つ御紹介頂けますか?

松井)面白いのはね、2回目の半年間滞在した時の一番最初に巻いた連句が、最初は「やっと帰ってきました。あなたのお手紙に触れながら」っていうふうな一茶の句が始まるんですけども、連句はある程度の決まりがあって、一番最後は「めでたしめでたし」で終えるというのが基本的な決まりなんです。その「めでたしめでたし」で終わるために、直前には桜の花の句を詠んでめでたい雰囲気を盛り上げといて、最後「めでたしめでたし」で終わるんですよ。それを樗堂がそれよりも二句前に花を出してしまうんです!これって凄く珍しいことなんですね。っていうか、わざとつけにくいように最後の花を先に持ってきといて、それに一茶が呼応して春らしい雰囲気を「ここで読みたくないな」と思いながら詠んで、その次に樗堂がつけるのが、猫が春先になるとニャーニャーニャーニャーって鳴くでしょ、それを拳を振り上げて追っ払うっていう、そんな句をつけるんですよ。「めでたしめでたし」の直前に拳を振り上げてなんていう句をつけたら、最後つけにくいでしょ。で、もう最後に一茶が「なんて宿だ、ここは。石を抱かせるような、石を枕にするような大変な宿だったなー」っていうような句で終わって…

佐伯)それ、めでたい???(笑)

松井)めでたくないですよね。「もう樗堂さん、いい加減にしてよ!」みたいな、そんななんかね、二人の笑いあってるような声が聞こえる、そんな連句が出てくるんですね。だから、わざとつけにくいようにつけにくいようにして意地悪をしていくっていう…ね。若い一茶が戸惑いながら、それでも何とか句をつけていって最後は諦めて「もう降参しました」って、そんな句が出てくるのがすごく人間的で面白いですね。

佐伯)親しいからこそという。そういうお二人の関係というのは、先輩ですから樗堂が先に亡くなるまで続いていくんですか。

松井)そうですね。樗堂が亡くなる前、その当時の暦で行くと8月に亡くなるですけども、春に一茶に手紙を送るんですね。「もうこれが最後の手紙になるかもしれないけど、次に会う時はあの世のお釈迦様の蓮の上で会おうね」みたいな句を送るんです。その手紙を一茶が手にしたのは、樗堂が亡くなった事を聞いた後だったんですよ。で、その亡くなった後にその手紙を読んで、「ああ、なんかあの世から誘われてるみたいだ」っていうことで、もう自分はこの江戸で名をあげるなんていう事をもうやめて故郷へ帰ろうと思う、というようなことを書いてるんです。でも、故郷の信州へ帰ろうとしてたのも前から計画してたんですけども、樗堂が亡くなったのに意欲を削がれて、樗堂さんの後を慕うような感じで故郷へ帰ろうと思うっていう。そういう所まで一茶がね、樗堂の心に寄り添おうとしていたっていう感じがして…最後の手紙はとても趣深いです。

   

 


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Selected By Haruhiko Ohno


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