今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、考古学者で、愛媛県埋蔵文化財センター理事長、奈良芸術短期大学・特任教授、さらには東温市の法蓮寺ご住職でもいらっしゃる前園実知雄さん。藤ノ木古墳の発掘調査にリーダーとして携わり、文部科学省地域文化功労者大臣表彰を受けられたほか、様々なメディアを通して考古学の魅力を発信されている前園さんには、「恩師」と呼ぶ人物がいます。昭和の考古学ブームを牽引し、邪馬台国の謎にも迫った人物・森浩一氏です。今回は「考古学で、人間が生きた証を現代に生かす」「考古学は、地域に勇気を与える」「考古学は、町人の学問」というキーワードで、「考古学者・森浩一から学んだ考古学の魅力」を紐解いていただきます。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
佐伯)森先生の功績の中で、一般の方により身近なものっていうとどんなものが挙げられますか。
前園)そうですね、よく新聞記事の中にありますけど、鏡の中でね、「三角縁神獣鏡」ってのがあるんですよ、卑弥呼がもらったんじゃないかっていう。それに対して、先生はそれに反論を出されて。それはね、実はもう何百枚も日本で出てるんですよ。
佐伯)そんなにですか。
前園)それがね、先生の一番大事な考古学的な物の見方は、出土状態が大事だって言うんですよ。どういうふうに埋められたかっていうのが。発掘でそれがわかるわけでしょ。ところがもう取り上げたものだけの研究ではそれがわからないから、埋めた人の気持ちがわからないわけでしょ。
佐伯)ほ~。
前園)で、先生の研究いろいろありますけど、「三角縁神獣鏡」は棺の中にないんですよ。
佐伯)え?
前園)外に並んでるんですよ。
佐伯)そうなんですか。
前園)うん。で、棺の中にはまた別のね、「加画紋帯神獣鏡」なんていう別の鏡があるんですよ、1枚とか2枚ね。だからこれはね、いま有力な説は、これは悪霊を除くような感じでね、遺体を守るためのものだっていう…30枚ぐらいありますからね。そういうふうな意味で、これは卑弥呼がもらった魏の鏡ではないっていうのが森先生の考え方で。中国に1枚も出てないんですよ。
佐伯)あ、そうなんですか。
前園)日本向けに作ったんだという説もありますけどね。「景初三年」という年が書いてあるのがあるんですよ、年号が。で、「景初三年」で中国の「景初」は終わってるのに、日本から出た古墳の中に「景初四年」って書いた鏡があるんですよ。
佐伯)え~。
前園)無い年号の(笑)。
佐伯)そうなんですか!
前園)古墳から出てます。
佐伯)それはどういうことを表してるんですか?
前園)それはもう中国鏡だという人は、「日本から来るから、プレゼントのために作っとこう」って作ったんだって言う人もいますけどね。そんなこと考えられないと思う。
佐伯)出てきた物そのものだけを研究するんじゃなくて、どういう形で発見されたかっていうか、そこに収められていたのかっていう…
前園)それがね、考古学の一番大事なとこですよ。
佐伯)わ~、面白いですね!
前園)遺跡と遺構と遺物っていうのがね、3つセットじゃないといかん。遺物だけでは意味ないですね。
佐伯)は~、そこの物だけをどんなに細密に調べても…
前園)そうそう、どこにあるか、どういう遺跡の中のどういう形で埋まってたのかっていうのも入れないと、その意味はわからない。本当の意味はね。
佐伯)そういう意味で言うと、考古学の最大の謎とも言われている邪馬台国論争。これなんかは…先生はどんなふうに考えてらっしゃるんですか。
前園)森先生の考え方はね、九州説なんですよ。
佐伯)へ~。
前園)その一つの一番大きな根拠は、古墳の中、前期古墳の中には鏡と玉と剣っていうのがセットでね、三種の神器といいますね、これが大和とか、畿内中心の古墳の、初期の古墳にはあるんですよね、棺の中に。ところが、弥生時代の大和の古墳にはそんなのないです。
佐伯)そうなんですか?
前園)ところが九州の弥生時代の古墳には、そういうのが甕棺(かめかん)の中に鏡とか剣とかあるんですよ。鏡が何十枚もね。それをどう解釈するんだということです。だから墓の中にあった遺物が動いているとしか考えられない。そのものが動いたんじゃなくて、その考え方がね。だから、そういう邪馬台国の元になるのは九州。それが何らかの形で大和に政権が移動したっていうのが、最後まで先生の考え方です。いろんな見方があるし、先生の弟子の中でもそうじゃない人もいますしね。それは先生は許すんですよ。自分の考えであったり。僕はね、なんで邪馬台国問題が大騒ぎするんだろうかっていうと、日本の国がいつできたかっていうのと関わりがあるんですよ。後に、古墳時代から中心は大和だってのは誰も反対しない。でも、邪馬台国が大和だったら、もっと前に大和政権ってのはあった、弥生時代からあったいうことになるでしょ。ところが、鏡を持った古墳が九州にあるんですよ。そしたら後に九州からやってきた政権が、大和に政権を持ったっていうふうに、単純に考えればね、そういうふうに考えざるを得ない。だからそこで、古墳時代以前から大和政権があったか。それとも古墳時代に大和政権が始まったかっていう、いつ始まったかの問題です、日本国家の起源が。そこが大きいんですよね。
佐伯)では、前園先生も森先生の説に立ってるっていう…
前園)いや、僕は立ってないですから。
佐伯)あら、立ってないんですか!?
前園)わからないですね(笑)
佐伯)は~。
前園)自分なりには…僕はね、古墳時代がなぜ終わったかいうことをテーマに今も研究してるんでね。古墳が作られなくなった理由を。大学の卒論もそうでしたし、今でも。先生も終わりのことも、僕がやってることも非常に興味を持っておられましたけどね。始めと終わりを先生興味持ってたから。
佐伯)なるほど。始めがその邪馬台国論争だとすれば、終わりを今先生が研究続けてらっしゃるということなんですね。
前園)そう。で、今ね、奈良県の纒向遺跡っていうのが大和説の中心地なんですよ。そこに纒向考古学研究所っていうのがあるんですよ。そこの所長が、僕の後輩で森先生の教え子です。彼は大和説。
佐伯)そこにも脈々と…
前園)面白いでしょ。大和説じゃない、畿内説ですね。
佐伯)そこで師匠と弟子が意見が違ってるっていうのも面白いですね。
前園)対立じゃないけどね、いろいろそれは許すんですよ。
佐伯)そこに考古学の懐の広さを感じます。
前園)そうです。
[ Playlist ]
Tracey Thorn – Like a Snowman
Belle & Sebastian – Nice Day For A Sulk
Bill Withers – Lovely Day
Selected By Haruhiko Ohno



