今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、愛媛県習字教育研究会の澤田乃理子さん。同研究会を立ち上げた一人で乃理子さんの祖父である澤田大暁について、お話を伺いました。初動だけでなく、絵画や音楽にも造詣が深く、子規の弟子としても知られる俳人・河東碧梧桐の研究も手掛けていた澤田大暁。書家としてだけでない魅力を「芸術家・澤田大暁」をテーマに掘り下げます。キーワードは「下手だからこそ書道界へ」「見聞を求めて海外へ」「河東碧梧桐の研究」です。

番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。


佐伯)有名な浅海蘇山さんと澤田大暁さんは、愛媛で初めて、文部省の書の検定に合格した人なんですね。

澤田)はい。

佐伯)となるとですよ、そこから書家に身を転じようとされたんですか?

澤田)いや、その後は浅海先生と大暁とで、師範学校の男子部女子部それぞれの指導をするようになりまして

佐伯)あ、先生を続ける

澤田)そうですね。もう愛媛県の書道の普及っていうのに努めたっていう感じだと思います。もう退職するまでずっとやってまして、退職の後も何年かはそのまま、校長先生に続けて欲しいって言われて何年か続けてたと思います。

佐伯)そうなんですね。愛媛県内の書道の発展にものすごく尽くされた方なんですね。

澤田)そうですね、夏休みとかになったら島しょ部に指導に行ったりとか、南予に行ってみたりとか。「今日は三机に行ってきた」とか「今日は何とか島に行ってきた」とか、夏休みになるとそういう記述があって、「夏の書道の指導に行ってくれと言われたので行きました」みたいなのがたくさん出てきます。

佐伯)そうですか。ものすごく熱心な先生だった。どんな先生だったんでしょう?

澤田)けっこう女子師範学校時代は、「坊っちゃん」うニックネームを…

佐伯)どういうことですか!?

澤田)つけられてたそうなんですけども、「言ったら女の園だったからね」みたいな感じに母には言ってたみたいですけど(笑)。夜はやっぱり書の勉強も続けていたし、女子師範のときはちょうど戦時中だったのでもうげっそりやつれていて、その後の高校の教員時代から以降の大暁しか知らない方はびっくりするぐらい激やせしている姿です。

佐伯)でも「坊っちゃん」っていうニックネームでしょ。「坊っちゃん」といえば、あの小説の中ではものすごく情熱的というか感情を爆発させたりする場面も多く描かれてますけれども?

澤田)感情を爆発という話は、あんまりそこまで聞いたことはないんですけど、厳しかったっていう話は何人かから聞いたことがあったりとか。あと何か東校のときとかには、遠泳があったらしくて、遠いとこまで泳ぐという遠泳ですね、もう「頑張れ~!」みたいな感じで、「途中途中の監視員の先生のときには結構なんか泳がされたわ」みたいなことをおっしゃってた方もおられたりとか。あとは芸術について言うと、もう自分のスタイルとか決まった形みたいなのに全てとらわれてたわけではなくって、「そういうやり方もあるね」とか「面白いことやってるね」みたいなのは、結構柔軟に生徒を応援して「そういうのもいいんじゃない。そういうのあってるんじゃない」みたいなのとか。あともう卒業してしまってからは、もう対等な感じで付き合っている感じでした。生徒の家に泊まりに行ったりとか、ちょっと現在では考えられないんですけど。

佐伯)いや、でもそういう先生たぶん人気があったと思う!

澤田)そうですか?お正月は生徒がけっこう来るみたいだったんですけど。

佐伯)そうですか。その頃の活動というか残されたもので何かエピソードっていうのはありますか?

澤田)そうですね、教員時代に、高校生用の副教材を出版してまして。昭和38年に「書道」っていう名前の本を作って、それは先ほどご説明した競書雑誌「習字」の中からの記事を使って加筆修正して発行したものなんですけれど。松山東高校、自分で教えていた学校の他に、南高校とか松山商業高校とかの授業の副教材として使っていただいたりしたそうです。

佐伯)じゃあやっぱりとらわれない、自分とこの学校の教材だけじゃなくて、そういう垣根を越えて、県内のいろいろな高校生のために使ってくださいっていうような方だったんですね。

 

 

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Selected By Haruhiko Ohno

 


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