今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、内子町役場町並・地域振興課学芸員の小野翠さん。内子町出身で大正から昭和にかけて活躍した実業家・高畑誠一について、お話を伺いました。正直、愛媛県民にもそれほど知名度は高くないのですが、じつは商社「日商」を立ち上げ国を代表する総合商社に育て上げた上、戦後の高度経済成長を牽引した人物でもあるのです!そんな偉業を多くの人に知ってほしいと、内子町ではこのほど高畑誠一の歩みを紹介する漫画を制作、町内の中学生に送りました。そのタイトルは「皇帝と恐れられた商社マン 高畑誠一物語~内子から世界へ~」。彼の功績を「木蝋がつなだ世界」「カイゼル・皇帝と呼ばれた所以」「ゴルフのヘッドカバー」というキーワードで紐解きます。
※番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。
佐伯)そうして赴いたロンドン、どんなビジネスをしていったんですか?
小野)はい、ちょうど第一次世界大戦前にロンドンの方に行かれてるんですけど、日本人で初めて三国間貿易を始めています。
佐伯)三国間貿易というのは?
小野)というのが、当時貿易って言ったら、イギリスから日本に物を運ぶってなると、イギリスから物を運んで日本に行ったら空船でイギリスまでまた帰ってくると。この空の間の、この帰りがもったいないと。なので、日本から帰る途中に、ベトナムに寄ってサイゴン米を入れます。積んだものを今度はフランスに運びます。フランス経由でイギリスに帰るっていうような形で、船の空きを作らない非常に効率的な貿易方法になります。ただこれをうまくやるには、どこで何が必要とされているのかっていうのを非常に細かく把握しなきゃいけないので、情報収集とか時期を読むっていうのが非常に肝心になってくるやり方ではあります。
佐伯)そこも計算しながら、当然営業もしながらということになるでしょうから、本当かなり能力が求められますね。
小野)そうですね、鈴木商店の方針として、世界各地に社員を派遣して情報を集約するっていうなことをされてたっていうのもあるんですけど、やはり先を読む力とかそういったものは必要になったんじゃないかと思います。
佐伯)そうした三国間貿易などをして実績を上げていったということですか?
小野)そうですね。ちょうど大正3年に第一次世界大戦が勃発するんですけれども、当初の世界的な読みは「すぐ終わるだろう、この戦争は」というのが読みだったんですけれども、ただ世界から情報を集めてた金子直吉さん(鈴木商店の役員)は、そうではなくて「これは長引くぞ」と。「物資が不足するから今のうちに買い込んでおけ」と先をすごく読んでらして、そういう指令を世界中に出してるんですね。その話を受けた高田さん、鉄材とか船舶とか食料品なんかを非常に買い込んで、それを物資不足の国、いろんなところにビジネスとして売っていくっていうなところで非常に利益を得たそうです。そういったものすごい利益を出したっていうことで、大英帝国からも呼び出しがかかったそうです。
佐伯)あ、ビジネスの相手として。
小野)はい、当時日本が同盟国だったっていうのもありますので、非常に利益を出してる鈴木商店に物資を供給してほしいというような依頼があったようなんですけれども、そのとき交渉相手になったのが、先ほど紹介したあのチャーチル海軍大臣。
佐伯)後に首相となるチャーチル!
小野)はい、そうです。
佐伯)わぁ、大物との交渉ですね。
小野)そうですね。鈴木商店に食料や鉄や船舶など供給してほしいというような依頼があったようなんですけれども、この依頼に対して高畑は「何でも供給しましょう」と。「ただ、手付金が欲しい」と。大英帝国からしたら、手付金をよこせということは大英帝国を信用できないというのかって思ったそうなんですけれども、高畑からすると「大英帝国って言っても、鈴木商店にとっては一介の客に過ぎない」というような非常に毅然とした交渉を繰り広げられて、かなりの大金を手付金としていただいたというようなエピソードが伝わっています。
佐伯)え~、そんな大物相手に一商社マンが…っていうことですよね。
小野)そうですね、一歩も引かない。
佐伯)豪胆。
小野)そうですね(笑)このときの態度をもって、チャーチルが高田のことを「皇帝を商人にしたような男=カイゼル(皇帝)のような男」っていうふうに称したと言われています。
佐伯)なるほど。当時のイギリスのかなり重要ポストの大臣に向かって、手付金をもらったらビジネスしますよっていうような…、普通言えませんよね。
小野)そうですね。ましてや当時日本は国際的な地位が低いので。
佐伯)ああ、そうかぁ。
小野)かなりの強烈な…
佐伯)博打と言えば博打(笑)
小野)カウンターですね。
佐伯)それって、どういう思いでそのような態度に出たんですかね?
小野)やはりそれはご本人も書いてらっしゃるんですけど、開国以来、日本、日本人は非常に国際的な地位が低くて外国人に馬鹿にされてきたと。不平等条約なんかもあったりして、非常に不利な立場にあったんですけれども、それではいけないと。この国をどうにか列強より地位を上げて凌駕するような、そういった国にしなければいけないっていうのが、当時の志ある人たちの共通する思いであったかと思います。それを非常に強く感じた、その瞬間を今作り出してやるというような気概で、交渉にあたったものと考えられます。
佐伯)いくら相手が大物であっても、媚びたりしないぞという気概なんですね。その心意気っていうのが本当に伝わるエピソードですね。
小野)そうですね。この頃やはりあの食料品の注文なんかが殺到してまして、日本の北海道の豆類であったり、デンプンであったり、あと雑穀類とか、日本の産物を載せてる船もろとも売り渡す「一船売り」って言われるんですけど、そういった非常に豪胆な商売もされてたり。鈴木商店がこのイギリス政府による売り込んだ小麦粉に関しても非常に膨大な量になってたそうで、大戦中ヨーロッパの戦場では鈴木の商標、鈴木商店の商標のついた大量の麻袋が連合軍の防護施設の土嚢に使われてたっていうぐらい、そのくらい鈴木の土嚢ばっかりだったっていう。
佐伯)莫大な量が輸出されてたっていうことですね。
小野)そうですね。一説によるとスエズ運河を通る当時の船の1割は、鈴木商店の貨物を搭載していたって言われるほど。
佐伯)え~!1割!
小野)1割です、はい。こういった流れがありまして大正6年に、当時新興の商社だった鈴木商店が、貿易年商で三井とか三菱といった大手の財閥を抜いて、なんと日本一になったと。
佐伯)そうなんですか!すごい!
小野)鈴木商店としても「三井、三菱を追い越せ、追い抜け」っていうような熱い思いで皆さん仕事をされてたっていうところがあるので、その中心となって活躍したのがこの高畑、当時30歳だったそうです。
[ Playlist ]
Hindi Zahra – Fascination (Album Version)
Elizabeth Shepherd – It’s Coming
Jon Lucien – The Pleasure Of Your Garden
Elvis Costello – Alison
Selected By Haruhiko Ohno