今週、坂の上に訪ねてきてくださったのは、医療法人 聖愛会 松山ベテル病院院長の中橋恒さん。キリスト教の愛の精神とホスピス精神に基づいた「全人的ケア」を掲げる松山ベテル病院では、緩和ケアや難病支援などにも力を入れておられます。そうした中、中橋さんは正岡子規の生きざまをホスピスケアの観点から検証するという新たな視点で考察されているんです。そこで今回は「ホスピスケアから見た病床六尺」をテーマに、「痛み地獄からの解放」「家族、弟子や友人たちによる献身的な介護」「医師が鑑賞する絶筆三句」というキーワードでお話を伺いました。

番組のトーク部分を、ラジコなどのポッドキャストでお楽しみいただけるようになりました!ぜひお聞きください。


中橋)とにかくもう河東碧梧桐を中心にですね、もう出たり入ったり出たり入ったり、次から次に訪ねてくるんですよ。それで子規が一番最初、佐伯さんにも読んでいただいた。やっぱり痛み苦しんで何かそこの中でもね、日常の生活をやっぱり生活したいっていう部分で、子規が実は絵がお好きだみたいなこともあったじゃないですか。だから画帳とかですね、もちろん俳句に関わるみたいな書物であったりとか、絵の本であったりとか、ただちょっと訪ねてきて美味しいものを持ってきたとか、ありとあらゆることを友人たちがね、ずっと守ってくれるんです。守ってくれるっていうか、お世話をするんですね。先ほど話したみたいに痛み苦しんで自分のことが自分でできない。朝満足に起きれない、顔も洗えない。食事も自分でなかなか取れない、トイレも大変だみたいな話になると、やっぱりお世話が要りますよね。そういう身の上って、結局はすごい寂しいんですよ、皆さん。当然のことながら、自分で自分のことできない、周りに迷惑かけるんじゃないかみたいなこと。でも、そう悶々と寂しさだけを思い描いたときに必ず出てくるのが「やっぱこんな生き方してても、もう自分は迷惑かけるだけだから、やっぱり早く死にたい」みたいなことも、本当にホスピスの現場でよく聞きます。でもやっぱそういった中で弟子の方たちが、ただ俳句だけではなくて、先ほど言ったように日常的なことですごいお世話するんですね。それで一つあるのは5回目のところに書いてあるんですが、河東碧梧桐がですね、朝早くから夫婦で来ていろいろお世話するんですよ。その後ね、もう誰が来た彼が来たってずっと綿々とね、ずっと記載があってその最後の最後にですね、結局河東碧梧桐の夫妻が帰られるのが0時回ってからっていうんですよ。だから朝の9時から、夜中。

佐伯)え~っ。そんなにひっきりなしに。

中橋)それはどういうことかって言ったら、それをね書いてるのが…僕らもよく経験するのは、健康であれば寝たらほら、朝シュッと目が覚めてよかったと思うじゃないですか。ところがやっぱり病気だって痛みがあったりとかすると、ふと目が覚めたときに「自分はどうなるんだろうか」とか、目が覚めた夜の風景ってのは暗いんですよ。だから寂しいんですよ。だから恐怖感があったりとかそういうことで、多くの方がですね、電気を…全てじゃないですけど、ある方はもう電気をつけっぱなしでお休みになられたとか、すぐ家族を呼ぶとか。だから家族ケアって意外とね、家族の方も負担が大きいんですね。そういったところでその5回目のところの最後の最後の行にですね、「河東碧梧桐夫妻が0時を回って帰ったのは、自分(子規)が夜が長いときっと寂しくてつらいだろうということで、夜を短くさせようというふうな思いで帰ったのだろう」ってね、そういう文章があるんですよ。もうそれを読ませていただいたときに、もうこれは弟子たちの一つは大きな思いを込めたその態度と、それを子規がちゃんと受け止めて、それを文章で残す。これはだから、家族ケアとか友人たちのケアっていう社会的な部分でのご自宅でのケアの有り様ですよね、それを物語る一つの大きな僕はエピソードだと思ってて。もう一つちょっと律のこと。これは律は要するに妹です。妹・律はですね、なかなか実自身はですね2回結婚離婚を繰り返すんですね。そこの付近の記述が書いてあって、律さんってすごく無口で愛想のない人だったらしいんですよ。だからいろいろ言っても、子規っていうのは非常にウィットに富んだユーモアのある人なもんだから、ちょっと言葉をするとそれに対してひねりを入れて返すとかっていう言葉遊びもすごく大切にしている人のような記述があるんですけども、律に喋っても何の反応もないから木石のような、木・石ですよね、だから何かただいるだけで何もしてくれないみたいな。要するにとんでもないみたいな、結構ね、けなすみたいな表現が意外とあるんですけども、最終的には寝たり起きたりで不自由な生活の中でもし律がいなければ自分はもう成り立たなかった。律は看護師の役目であったりとかおさんどんしてくれたりとか、やっぱり自分の文学者としてのいろんな形の文献をですね整理するとか、ありとあらゆる多面的な仕事をする人で、もし律がいなかったら子規はいなかったっていうことを自分で書いてるんですね。だからこれはそういうお世話をですね、ぜひご自宅でしてくださいって意味ではなくって、要するに家で過ごすっていうことの意味がどれだけその人にとって心安らかに送れるかっていうことの僕は一つの大きな何か証左というか、そういうことを僕言ってるような気がして。やっぱり病室に閉じ込められた自分というのは本来の自分じゃなくて、自分が生まれ育つなり自分に関わりの多いその「家」というところで自分が最期まで過ごすためには、やっぱりいろんな意味で家族であったりとか、お弟子さんであった友人の方のですね、やっぱりその支えがあって成り立つ。でもこれは一方的に支えようということじゃなくて、子規は子規で支えていただく返しをですね、ちゃんと無言であったりとか文章を残すこともあるんだろうと思うんですけども、そういった感謝のことは僕はずっとやり取りをする中でお互いに、今風でいけばWin-Winみたいな。本来から言ったら子規はもうお世話してもらうだけで返すものがなかったんだろうと。でも子規のあの生きざまっていうのは皆さんに、特に弟子の方とか皆にやっぱり一人の人間として僕は尊敬に値する非常に大きな影響力のある人で、そこに自分が関わりを持つということの喜びを、たぶん僕は子規の与えるっていうのはその力も僕はあってその両面で何か子規の…二つ目の、結局その子規が子規として存在しえた、多分大きなものの一つかなってちょっと思ってます、はい。

佐伯)律さんといえばね、幼い頃から「兄さんをいじめたら私が許さんぞね」みたいな感じの男勝りのイメージもあって、だからさっき先生がおっしゃったように普段は「もうこいつに物を言っても」なんていう軽口もね、聞き合ってたかもしれないけれども、お互いのそういう心の交流というか思いっていうのはしっかりと受け止めあって過ごしてたっていうことなんですね。

中橋)じゃないかなっていうふうには思います。ちょっと感動的ですよ。文章に触れたときはね。

 


[ Playlist ]
V. Duke, Jane Monheit – Taking a Chance on Love
Bibio – Raxeira
Kings Of Convenience – Gold In The Air Of Summer

Selected By Haruhiko Ohno


この記事の放送回をradikoタイムフリーで聴く